光明の生活を伝えつなごう

近畿支部だより

近畿支部 平成18年4月

聖者ご生誕別時念仏会

関口 高

◇日時 2月20日(月)
◇場所 大阪市福島区・地蔵寺
◇講師 藤島秀行上人(長崎市・浄安寺住職・58歳)
◇出席者 35名
◇主催 近畿支部

一、あさの礼拝・念仏三昧

維那は亀山政臣師(京都・専称寺内)

二、聖歌斉唱

弁栄聖者御降誕歌(夏山讃)と心田田植歌(田中木叉上人作詞)。伴奏は鈴木美津子様(オルガン)と佐野成昭氏(バイオリン)

三、ご法話

「宗祖・法然上人と弁栄上人の共通点と特徴」について、手づくりの資料を配ってお話し下さいました。

(1)両上人の出生
法然上人は1133年(天承3年)に美作国(岡山県)の押領使(武家の豪族)の家に生まれ、1212年(建暦2年)に80歳でご逝去。弁栄上人は1859年(安政6年)に下総国(千葉県)鷲の谷の農家に生まれ、1920年(大正9年)62歳でご逝去。
(2)共通点その1(時代転換期)
法然上人の時代は公家政治から武家政治(平氏・源氏)に移る時期で、43歳で浄土宗を立宗された。弁栄上人の時代は徳川末期の武家政治から明治・大正時代に移る文明開化、教育普及の時期で、48歳で光明主義を提唱された。
(3)共通点その2(真の出家者)
両上人ともに智恵深広、清廉潔白、カリスマ性に富み、真の出家者であった。(その実例の数々を説明されました。
(4)共通点その3(行住坐臥、念仏三昧)
三昧発得されたのは法然上人は60歳頃と推定、長い間比叡山で学業修養に専念されたために念仏三昧に切り換えるのが遅かったと思われる。弁栄上人は21歳で出家、勉学に忙しく念仏一行も昼夜断え間なかった。明治15年筑波山に籠り至心念仏の暁には24歳頃、三昧発得された。
(5)共通点その4(著作は寡作)
両上人とも衆生化益に忙しく、著作される暇がなかった。わずかに、法然上人は藤原兼実公に請われて「選択本願念仏集」を著された。時に66歳。弁栄上人は大正5年、知恩院夏安居会の高等講習会で講義されたのが「宗祖の皮髄」時に58歳。
(6)両上人はそれぞれ異なった大きな特徴を持っておられた。
・志向 法然上人は往生極楽-明日(未来)を力説、弁栄上人は光明生活-今日(現在)を主張
・中心情意は深心と合い
・強調天は凡夫性と光明
・行動は常座化益と遊行化益両上人の志向の違いは、時代背景が大変異なっていたためにホトケ様のお救いを説教する主眼が未来と現在に分かれたと思われる。

四、ご回向

導師は江島秀法上人(近畿支部長)

五、閉会のあいさつ

近畿支部長が本部主催の「法のつどい」のご案内を申され、本日の実り多き「聖者ご生誕別時念仏会」は終了いたしました。

付記

本日の講師・藤島上人の浄安寺様は光明会とのご縁が深く、藤本浄本上人、佐々木爲興上人、田中木叉上人、佐々木隆将上人、近年は別府信空上人にお越しを頂いておられます。先代の昭和16年より毎早朝「暁天念仏会」を始められ、本年で58周年。また、お逮夜等の法事にはお経と共に「如来光明礼拝儀」をあげられる由です。誠に有り難い篤信のお寺であります。

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