光明の生活を伝えつなごう

近畿支部だより

近畿支部 平成18年12月

神戸光明会10月例会

関口 高

◇日時 10月18日(水)
◇場所 東極楽寺(前住職・小林憲雄上人)
◇講師 八木季生上人(東京・一行院住職)
◇出席者 11名

一、あさの礼拝

維那は植西正裕氏。

二、ご法話

「弁栄聖者の光明主義とは」

五香・善光寺(松戸市)の故山崎弁誡上人は弁栄聖者ご臨終まで随行され、お人柄やお言葉をとりまとめたご本を出された。この中に聖者のお言葉で「光明主義とは」の文章がある。このお言葉に加えて「光明主義の中心・神髄は何処に在るのか。お釈迦様がお説きになったもので特に感得されたものは何か」をお話したい。

宗教心があることによって、常に自分を反省することができる。お念仏は自分の心の鏡である。念仏の中に雑念・乱想が現れてくる。どんな方にもあるのである。反省すれば、今後どうしようかという宗教的安心(あんじん)を求めるようになる。

弁栄上人は「光明主義の安心」は三つの要素を持っていると、内容を三通りに説明された。①所求 ②所帰 ③去行である。

  1. 所求とは、「信仰の要求する処は、ミオヤの光を得て光明生活に入ることを目的とする」と仰せられた。即ち目的は、「光明生活」である。その反対は「暗黒生活」、罪・闇・悩みの不安な生活だ。自分は罪を犯していないと思っている方も多いが、礼拝儀の至心に懺悔すの章に「作すべき事を怠るの罪に陥れり、是れ皆な自らの過ちなり」と
  2. 所帰とは、「自分のすべてを投げ出して、拠り所とする絶対的対象」で、アミダ仏におわします。すべてをお任せしてお念仏を続けると、必ずアミダ仏・如来様が、何等かの方法で助けて下さる。絶対帰依の安心である。
  3. 去行とは、「方法・行動」である。光明生活を実現するために、ミオヤの聖意にかなうために、如何なる方法をもってするか。それはお念仏である。お念仏は易業であり、誰でも簡単な六字名号のナムアミダブツと称え続けることにより、光明生活・生きている間、明るい生活を行い、極楽に往生するのである。

弁栄聖者は、光明生活を可能にする三つの性能を、天性、理性、霊性に分けて説明された。動物は天性のみ、人間は天性・理性・霊性を持っている。霊性は開発しなければ天性・理性が進化しない。

霊性は仏になる性能、仏性である。理性で経典は理解できない。霊性をもって経典を理解できる。霊性はあるがままの完全な世界。人間の周辺の物は、相対性、不完全な世界である。経典は、霊性の世界の内容を理性で判らせる方便である。

私(八木)はお寺の三男坊、医者になろうと理系校を志望したが、寺を継ぐことになった。しかし、仏教の経典に理解しがたい処があって大いに迷った。例えば、法蔵菩薩が五劫という長い年月をかけてようやく本願を成就して阿弥陀仏になられたと経典には書かれている。弁栄聖者は、そういう表現は古い経典の方便、手立てであると仰せられて、私は初めて理解ができた。

アミダ様は、無始以来のアミダ様である。体外受精した卵子を母親の胎内へ戻すと、10ヶ月で子供が誕生する。もしこの受精卵を外で育てようと試みるならば、人間が動物時代を経て進化した何十億年という長い年月を要するであろう。

私たちは70歳、80歳の短い生涯で、ナムアミダブツと、お念仏を続けることによって、如来の光明に育てられて光明生活を行うことができる。有難いことだ。

浅間山荘事件赤軍派の若者達の家庭にはみな仏壇がなかったという。幼少時に宗教情操・宗教心を育てることは大切である。

三、聖歌斉唱 「弁栄聖者哀悼曲」「のりのいと」伴奏は鈴木美津子さん。

四、附記 本日で今年の例会は終了し、来年1月15日(月)の「新年初会」に元気な顔を見せることとなった。ご法話いただいた八木上人にお礼の十念を同称して、散会した。

  • おしらせ

  • 更新履歴

  •