光明の生活を伝えつなごう

近畿支部だより

近畿支部 平成19年2月

ご祥当別時念仏会

植西 正裕

12月4日(月)午前10時から午後3時まで大阪・地蔵寺にて開催。
導師は金田隆栄上人(福岡・大願寺住職、光明修養会九州支部長) 参加者は30名。

行事の概要

午前の部は、あさの礼拝・念仏三昧・聖歌(聖きみくに)・法話①、午後の部は法話②・念仏三昧・回向・聖歌(哀悼曲)。

ご法話(要旨)

講題は「阿弥陀経(絵図)」。テキストとして「仏説阿弥陀経絵図・現代語訳(カラー版)」を全員に配布された。この資料は金田上人のご縁戚の方が作成され、金田上人が絵図の色付けをされた約40頁の立派な小冊子である。

①弁栄聖者のご布教について
弁栄聖者のご活動の前期は周知のように「阿弥陀経絵図」によるもので、資料の初版は明治30年頃でそのあと6回の改訂を経て大正4年版のものが最終版のようである。この間合わせて約27万部が配布された。聖者のご活動の中心はこのあと次第に無量寿経→礼拝儀の成立へと移っていく。
②阿弥陀経の特徴など
光明修養会の歴代の上首上人や高僧方の著作・法話記録などを少し調べてみたが、何故か阿弥陀経に関するものはほとんど見当たらない。この経は釈尊が自ら進んでお説きになった無問自説経であり、内容的に内心の法であることと係わりがあるのかも知れない。
③阿弥陀経の内容など
この経も序文・正宗分・流通分より成り立っているが、中心である正宗分では依報荘厳(四荘厳)と正報荘厳(阿弥陀如来・菩薩・聖衆)が説かれている。これを平易に言えば極楽浄土の荘厳・阿弥陀仏(名号)の意味・阿弥陀仏の護念が説かれていると言える。
④努力・精進について
(法話を通して)念仏をし「・・・平等一切に施し・・・」と願うことも大切であるが、身近な人に仏縁を結ばせるための具体的な行動が望まれる。また五根・五力を超したら仏子と言われるが、そのためには一度は「命を懸けた」念仏をする必要があろう。

所感に代えて

今回の法話を聞かせていただいて、ここ数年間モヤモヤとしていた事柄の一部が見えてきたような気がするので、所感に代えて筆者の関心事を三点記す。共通テーマは言語系では表現しにくいイメージ系に関するもので、この方面から見た理解も重要ではないかと言うこと。

①阿弥陀経は右脳系
論旨を分かり易くするための方便として、右脳(イメージ脳)・左脳(ロゴス脳)論を利用する。光明修養会系の諸先生達の著作や法話記録などを拝見すると、いわゆる左脳で考える哲学的な内容のものが多く見られるが、阿弥陀経や法華経は右脳の助けがなければ所詮理解できない面がある。円満な仏道精進にはこの点も大切と思うが、この方面が充実される必要があるのではなかろうかと考えること。
②ご絵像と念仏修行の関係
弁栄聖者は阿弥陀仏のご絵像を多くの念仏者にお与えになっておられるが、その目的・趣旨が正しく理解されているかの問題。念仏→ご絵像→見仏と短絡的な発想では物議を醸すことにもなろうが、筆者の考えでは必ずしもそうではなく、五根・五力の念仏から七覚支の最初の段階である「択法覚支」へ入るためのイメージトレーニング(修行)を助けるためのものであると解釈している。これは間違っているのだろうか。
③光明聖歌について
筆者が今日まで聞かせていただいた多くの法話の中でも、また「日本の光」の中でも、光明聖歌を教会音楽の模倣のように考えないで、聖者の深甚な宗教体験のイメージ系でとらえて、これを正しく利用し次世代に伝えていくことが必要ではなかろうか。
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