光明の生活を伝えつなごう

近畿支部だより

近畿支部 平成20年5月

神戸光明会3月例会

関口 高

◇日時 3月6日(木)
◇場所 東極楽寺(前住職・小林憲雄上人)
◇講師 金田恭俊上人(福岡県芦屋町山鹿、大願寺副住職、九州支部よりの派遣講師)

一、あさの礼拝・念仏三昧

維那:植西正裕氏

二、法話

講題「お念仏と実践」(要旨)

①「お念仏は実践あってのもの」
お念仏は実践を伴わなければ、いくらお念仏をしても、苦しいこと・いやなことを乗り越えることはできない。ちょうど薬を飲めば治ると分かっていても、貰った薬を飲まなければ、なんにもならないのと同じである。お念仏も分かっているつもりでも、いくら仏教を勉強していても、お念仏を本当に実践しなければ分からないのである。お念仏を広められた法然上人が『一枚起請文』で「念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし」と仰せられたのである。
②「毒矢の論え」
お釈迦様が、お弟子の中で屁理屈ばかり申して一向に念仏修行に身の入らないお弟子に向かって「毒矢の論え」話をされて、改心させられた。その内容とは、

毒矢に射られた者があった場合、周囲の友人達は、速やかに本人を医者へ連れて行って治療を受けさせなければならない。ところが本人が「一寸待って下さい。そもそも。この矢は誰が射ったのか、何処の出身の者か、矢は何の木で出来ているのか、ヤジリの材料は何か、毒は何の毒か。これがわからないと、治療どころではありません」と、申したならばどうなるのであろうか、とお弟子へ質問された。お弟子は「毒が回って死んでしまいます」と答えた。そこでお釈迦様は、「私たち衆生は、心が三業の煩悩という毒矢で射られて毒が回りつつある。釈迦の教え・念仏の教えを頭で分かっていても、速やかに念仏修業をして、この煩悩を解決しなければならない。

と諭されたのである。

③「お釈迦様の高弟、舎利弗尊者と倶綺羅尊者」
二人はバラモン教の知恵第一とうたわれていたが、お釈迦様に問答に行った。そして問答に負けたのではなく、釈迦の毅然とした威厳の姿、たたずまい、慈顔、和語に心服して、その場で釈迦のお弟子になられたのである。舎利弗は倶綺羅の甥。
舎利弗については『仏説阿弥陀経』に「爾時仏告。長老舎利弗」と、筆頭弟子の舎利弗へお釈迦様が何度も話しかけるような形で、極楽のご様子を説かれている。
④「南無阿弥陀仏の意味」
ナムアミダブツのインド語を漢字に当てはめて作ったもので、漢字そのものには意味がない。
「南無」とは帰命。身口意の三業を以て、至心に帰命しなければ効果がない。「阿」とは無。弥陀とは量・計り。即ち「阿弥陀」で、無量・計り切れない。「仏」はホトケ。従って「南無阿弥陀仏」とは至心に生ける無量光仏・無量寿仏に帰命いたしますと、称えるのである。
⑤「念仏の実践」
※「信仰は信ずることから入る」「南無阿弥陀仏」の意味が理解さるれば、礼拝儀の「至心に帰命す」の通りに『法身・報身・応身の聖き名に帰命し奉る。三身即一に在す最と尊き唯一の如来よ。如来の在さゞる処なきが故に、今現に此処に在ますことを信じて一心に恭礼し奉る』と、自分の真面目に在ます生きた大ミオヤへ、すがる気持ちで、ナムアミダブツと称えるのである。
さすれば、自分の心が煩悩に汚された冥黒の無明であることが漸次、分かってくる。これは、如来の光に照らされて自覚させられるのである。

※「弁栄聖者の太陽光線の諭え」
弁栄聖者は、如来の光を太陽光線になぞらえて説明しておられる。
(如来)  (太陽)
智慧…光線(可視)
慈悲…熱線(赤外)
霊化…科学線(紫外)
太陽の光は物質界を明るくする。如来の光は知恵なれば心の明かりである。太陽の熱は暖かである。如来は慈悲にて人の苦を抜き、楽しみを与える温かみである。
太陽の化学線はシブ柿も干柿にすれば甘くなるように、如来の霊化の徳にて人の心の煩悩シブをも化して、よき意として下さる。

※「人の心の器・箱は小さい」
お念仏を実践するに伴って、幸福・不幸・苦しみを入れる心の器・箱が大きくなってくる。苦しみ、不幸をも如来の恩寵であると感謝するようになるのである。霊化であり、如来の功徳である。行動・たたずまい・考え方に表れてくるのである。これが光明生活である。行動に表れてこないのは、念仏の実践とは申せまい。慈悲心も萌えてくる。
礼拝儀「総回向の文」に「願わくば 此功徳を以て、平等一切に施し、同じく菩提心を発して、安楽国に往生せん。」と。このような人を「人中分陀利華」と申すのである。泥の中から咲く白蓮の花のような人の意味。私共は、不幸・苦しみをも養分として、大ミオヤ様の光明・智慧・慈悲に育てられていくのである。このように、お念仏を至心に実践される人は菩薩である。

三、聖歌

「清浄光」、「のりのいと」(伴奏:鈴木美津子様)

四、所感

金田上人は昨年結婚されて、生後4ヶ月の坊ちゃんがおられる。ところがお気の毒に、百万人に十五、六人という難病の「心臓大動脈欠陥症」で、既に大手術2回、入院治療中です。金田上人はこれも善知識として、ご夫婦で至心に念仏しながら介護をしておられます。私どもも第3回目の手術の成功をひたすら祈っている次第です。

人生は如何なる事態が起きるか不明でありますが、お念仏の実践により如来の恩寵を頂きながら、艱難辛苦を乗り越えて行きたいと思いました。

なお本日のお菓子の供養は、杉田様と久村様でした。

最後に金田上人の音頭で、心からの帰命の気持ちで大声で同唱十念をして感銘深く散会いたしました。次回の6月の例会は、京都・常楽寺に江島秀法上人をお迎えいたします。

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