光明の生活を伝えつなごう

近畿支部だより

近畿支部 平成20年8月

第13回常楽寺別時念仏会

亀山 政臣

◇日時 6月12日(水)昼から15日正午まで
◇場所常楽寺(京都府城陽市)
◇導師 河波定昌先生(14日午後と15日午前の二席)
◇参加者 延べ90人 うち僧侶尼僧25名。

暑すぎず心地よい風の薫る中、木魚に合わせて僧俗が一心にお念仏に励み、実りある3泊4日でした。早朝からお念仏を始め、『礼拝儀』による念仏三昧へのいざないに心が自然と阿弥陀さまへ向けられる想いでお念仏ができました。

河波上人のご指導1席目は、お念仏の教えは「浄土に往生する教え」と「浄土による救済の完成を説く宗教」の2面が必要であると。単なる他界信仰ではないためにも光明を表に出されたのが弁栄聖者でした。念仏者はいつも護られている(護念=加持)存在で、罪悪深重の凡夫の深まりの中で光明によって人間の高貴性が出てくるとのお話でした。

2席目は、宗歌「月かげのいたらぬ里はなけれども ながむる人の心にぞすむ」のお歌の成立背景と諸相というテーマで、檀信徒や若い僧侶にも分かりやすく説かれました。

『観経」には「如来是法界身 入衆生心想中」とあり、善導大師の六時礼讃の中には「弥陀身心遍法界 影現衆生心想中」とあるように、私たちの心に現れ(影現)て下さると論証され、念仏における業は仏さまと私たちがまさに一つに成っていくものであると。それは「すむ」という掛詞が「住」「澄」「済」と表せるように ①「into」入って下さる ②「in」作仏、光化 ③「out of」完成へと、私たちへの「相」(はたらき)を三相「諸根悦予 姿色清浄 光顔巍巍」で導かれました。

今回初めて参加の方もあり、お念仏のご縁が広がっていくうれしさと、無事終了できた喜びの住職の挨拶が印象的でした。別時念仏がこれからの日々の念仏のスタートとして、皆さん帰路につかれました。

神戸光明会例会

植西 正裕

◇日時 6月28日(日)午前10時から午後3時まで
◇場所 神戸・東極楽寺
◇導師 江島秀法上人(京都府・常楽寺住職)
◇参加者 10名

一、行事の概要

午前の部はあさの礼拝・念仏三昧・法話①
午後の部は法話②、念仏三昧、聖歌(伴奏:鈴木美津子さん)

二、ご法話(要旨)

【念仏のご縁について】
※信念・信心をもって念仏ができれば如来様が「努力する道筋」を与えて下さる。※浄土宗の僧侶も明治時代以降、世襲制のようになってしまっているが、本当は念仏にご縁のあるなりたい人がなった方が良いという面がある。
※念仏(生活)をいていると、その時は分からなくても後々徐々に分かってくることがよくある。・・・慈悲の水が心田を満たすが如き。
※念仏のご縁をいただくことは何にも代え難い喜びである。またこのことを人に伝えることが大事な問題である。
【念仏による人格の霊化等について】※弁栄聖者は念仏で人の人格が改造されることを「霊化」と呼ばれているが、これは自分が自分らしい生き方を全うすることができるようになると云うことでもある。
※『宗祖の皮髄』で示されているように、念仏すると皮肉骨髄に影響を受ける。これを「光化の心相」として説かれている。①清浄光の働きにより感覚(皮膚)が清められる。②歓喜光の働きにより感情(肉)が霊化される。③智慧光の働きにより知力(髄)が純化・向上し、人間らしい生き方ができるようになる。④不断光の働きにより意志(骨)が道徳的に霊化される。

三、所感

当日は梅雨前線上を台風くずれの低気圧が東進するという天候不良のためか少人数の集会であったが、江島上人をはじめ参加者の熱意もあり、充実したお念仏会となった。法話の内容は多岐にわたり、事例・考察・昔の話などなども多くあるために大変まとめにくい面があったが、筆者の理解できる範囲で要点と思われる部分だけを抽出して記すこととした。
神戸光明会は普段は関口高様が主宰されているが、今回は体調不良のためご欠席、筆者が代役を仰せつかった次第である。

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