光明の生活を伝えつなごう

近畿支部だより

近畿支部 平成20年9月

佐々木隆将上人追恩別時と展示会

佐野 成昭

7月11日 11時より15時まで 20数名の参加者により大阪府豊中市の徳林院主催で佐々木隆将上人第8回追恩別時が行われました。導師は佐々木隆将上人次男の金田隆栄九州支部長上人、世話人が岩月卓郎氏です。午前中がお念仏法要、午後よりご法話とお念仏ご回向でした。

徳林院は昔、徳本行者のお住まいのお寺ですので、今回は立派な名号等のご遺品が展示されました。弁栄上人の名号も1点ありました。

金田上人の法話は、

ここに大変立派な名号が並んでいますが、どんな立派な名号よりも、もっと立派なものが、我が口から出る六字の名号です。仲々自分の意思では称えられない。しかし、如来様が私の心に宿って下さって称えさせて下さいます。如来様のお声です。田中木叉上人は、よくそうおっしゃっています。
私が青年の時、24歳になったら弁栄上人のようになろうと決めて一生懸命念仏した。けれども、23歳になっても仲々思うように行かない。ある時お別時で、木叉上人に質問をした。お上人は『それはとても重要な問題だ。一心にお見つめ申し、お慕い申すことが大切です』とのお答えでした。昔は、ただただ称名の一行念仏だったが、今は、知と情と意で念仏することが大切です。青年の頃は、情の所でお慕いすることが仲々難しかった。念仏が進んでくれば知情意が発達し、変わってくる。

また「月影」の浄土宗歌と「至心に勧請す」を詠まれた後、

「如来様が私の心にすみ、宿った後私を良きに導いて下さる。そして、良き計らいに遭遇させて頂ける。最近二つほど遭遇した」

「念仏の方法は、不動明王のように丹田にウンと気をすえて念仏して下さい」

と。

そして弁栄上人の書かれた不動明王絵付き「無称光」でお示しのお言葉のコピーを配布されました。来年は、弁栄聖者九十回忌を合わせて開催したいと語られました。

本堂横に展示された貴重な品々は、徳本上人のお袈裟と数珠で小五条と二十五条の袈裟、腰紐、過去帳、弟子本勇へ与えた弟子の宣言誓書のような証書。徳本銘付きの上人専用釜。書画としては、上人極彩色像の上に名号揮毫軸が1点、3枚観音開きの名号1点、歌付き名号1点、大サイズ名号1点、中サイズ名号2点が展示されました。それに全国でも数少ない坐像で、徳林院本堂右奥の蓮台の上に定印を組む徳本上人坐像が元々お祀りしてあります。背の高い徳本上人の小五条袈裟は全長99センチと、普通より2、3センチ長いものでした。他に弁栄上人のご遺品として、観音軸2点と立像阿弥陀如来1点が展示されました。

岩月氏は「本年の徳林院の佐々木隆将上人追恩別時は念仏行者・徳本上人のお寺であるので、徳本行者のご遺品を展示し、皆様に喜び味わって頂こうと思いました。遠路からもわざわざ集まって頂き、お蔭で盛会となりました。今後も一年に1~2回開催したいと思います」と述べられました。

参加の方々は、隆将上人譲りのエネルギッシュな次男上人の法話が拝聴でき、貴重な展示品も拝見し、徳林院の雰囲気と佐々木隆将上人への懐かしさで喜んでおられました。

合掌

平成20年度近畿支部夏期別時

佐野 成昭

7月18日~21日まで 京都府相楽郡精華町の安楽寺で近畿支部主催の夏期別時を開催しました。本来なら古知谷別時となるはじでしたが、古知谷阿弥陀寺様の止むうぃ得ない事情で、川本剛空導師上人の自坊・安楽寺に会場を変更させて頂きました。

参加者は総勢21名(近畿12名、中部5名、関東他4名)です。宿泊人数に限りがあり、宿泊参加をお断りした方には申し訳ありませんでした。岡潔先生の書物を読んで念仏を知り、念仏は初めての若い男性が、当会のホームページ経由でこの別時に参加されたことは有難いことでした。

連日の気温が30度を超えており、3日目の京都に気温が37.4度と高く、扇風機のみの本堂もそれに近くなったように思われ、大変暑い修行になりました。しかし、食事、休憩、就寝の部屋は冷房があり、涼しく助かりました。

プログラム

1日目は、16時念仏~17時半夕食とシャワーの入浴~19時夕の礼拝~21時退堂就寝。
2日目と3日目は、5時起床~5時半念仏~8時朝食~9時朝の礼拝~10時半法話~11時半念仏~12時昼食~13時念仏~14時半休憩~15時法話~16時半念仏~17時半夕食とシャワーの入浴~19時夕の礼拝~21時退堂就寝。
4日目は、5時起床~5時半念仏と回向~8時清掃~8時半朝食と茶話会~10時解散。

川本上人のご法話は「礼拝儀」と題して本年は「無礙光」までのお話でしたが、その内印象に残ったことを記載します。

「礼」とは離れるという意味があり、離れて繋がることが礼拝である。礼拝儀の特徴で最もよく出てくる言葉は「至心」です。「至心信楽」から信じお慕いしますということで、この「楽」は愛するという意味。弁栄上人は「愛する」という言葉をもよく使用され、当時としては思い切った大胆画期的な言葉である。

「法身、報身、応身の三身即一」生みのみおやである「法身」と育てのみおやである「報身」と導きのみおやである「応身」は、阿弥陀如来様のお徳、即ちお働きをこれらの三つに分けたものである。キリスト教の教え、「アダムとイブ」の人類出現に対して、また、ダーウィンの進化論の科学に対しての関係が世界性で、進化が始まり、衆生性で人間が生まれたと明確に説明されている。

「我が身と心の総てを」では、身と心を二面に分けている。更に中国では、心を魂と魄(はく)に分ける考え方があり、魄とは「もののけ姫」の「ものの化」であり、死体の体に残る。物に心や神が宿るという考え方は、日本では火の神、水の神、大木に宿る神にある。ギリシャで生まれた、小泉八雲の作品の源流とされる古代ギリシャ信仰(プネウマ)と共通する。日本人が西欧化で計量思想化された今、計量できない視点に向け直す時期が来たようだ。私は特にうつ病等の精神的病、奇病、核家族化、成果主義、拝金主義、温暖化現象などの現代の悪弊が仏教ことに光明主義により減少して行くことを強く願っている。

「十二光」は弁栄上人の出世の本懐である。無辺光の四大智慧の解釈は次のようにもなる。

  1. 大円境智は理念、一者であり、如来様はいつも見て下さっている。
  2. 平等性智は理性、ヌースであり、如来様は愛して下さっている。
  3. 妙観察智は認識、ロゴスであり、如来様はいつも聞いて下さっている。
  4. 成所察智は感覚、ソーマであり、良きにして下さる。

川本上人は、聖者六十回忌の折に山本空外上首上人の命で弁栄上人のご遺稿を調査した。そのご遺稿と現在の弁栄上人の諸本と照らし合わせると、抜けている所があったり、ミスが多くある。弁栄上人の著作と言えるものは、「宗祖の皮髄」が最もその著作らしいものと言える。

参加者の感想は、「良いお念仏が出来た。価値ある時間だった。本堂は大変暑かったが、寝所は冷房で快適だった」。「川本上人のご法話が良かった。お茶や食事がおいしかった。いつもの安楽寺のお別時と異なり、違う寺に来たように感じたお別時だった」。如法衣でお暑かったはずの維那大木の古田上人は、「扇風機のお陰で今までより涼しかった」等です。

最後に

急遽、安楽寺様に会場をお引き受け頂き、大変有難いことでした。お寺のご家族から昼夜あれこれ気を配って頂き、ぶじ如法別時が4日間光明裡に勤まり、如来様の光栄をあらわすことが出来たように思われます。

合掌

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