神戸光明会例会
植西 正裕
10月22日(水)に神戸・東極楽寺にて開催。
講師は八木季生上人(東京・一行院住職)
参加者は15名。
一、行事の概要
午前の部は、あさの礼拝・念仏三昧・法話①
午後の部は、法話②・念仏三昧・聖歌
二、ご法話(要旨)
光明会のみならず他の宗教も含め高齢化と後継者不足の問題があり、世の中に宗教性が薄れて来ているという現実がある。このような時代にどのように宗教を広めることがよいかということであるが、およそ800年前に法然上人がお説きになった念仏の教えを、今の時代にふさわしい新しい理解の仕方で示された弁栄聖者の光明主義の教え、すなわち阿弥陀様を日常生活の中に置く光明生活こそが一番求められるところであろう。
人間の根底には生まれながらにし三毒すなわち貪瞋痴と云われる煩悩があり、これがさまざまな災いの元凶になっている。菩提心も一般には煩悩に邪魔されることが普通であり、この煩悩を取り除くことができるのは阿弥陀様の光明によってのみ可能である。
弁栄聖者は阿弥陀如来の光明の働きを自然界における太陽の光線・熱線・科学線に対比して、智慧と慈悲と菩提心であるとお説きになっている。衆生は煩悩が強いのでこれを理性で変えようとしても難しいが、如来の光明に照らされるとマイナスがプラスに変化する(煩悩即菩提)
宗教においては神の存在が絶対であるが、これが理性では最も分かり難いのも事実である。弁栄聖者はご遺稿の中で釈迦の悟りが五感を超えた絶対無限の世界(心霊界)であったことを示されている。人間の場合教育によって理性を育てることはできるが、心霊界のことは霊性が発達しなければ分かることはできない。自然界と心霊界を結びつける方法すなわち霊性開発の方法は一部の座禅などがあるが、一般的には生命の進化という非常に長い時間をかけて行われるものである。生命を含む大宇宙の大元は阿弥陀様であり衆生とは親子関係であるから、親の名を呼びお育てを受けることが霊性開発には最も有効であり進化の先取りが可能となる。
一般に宗教は神と衆生という関係で成り立つが、キリスト教ではこの関係を一神教として教え仏教では汎神教としている。弁栄聖者はこの概念をさらに深めて仏教は超在一神的汎神教であると説明されている。十二光の無量光のところで大宇宙の統一摂理として独尊統摂帰趣を説かれているが、生きている間に一心に親の名を呼んでお育てを受けることによって霊性開発の向上を期待することができる。
弁栄聖者は多くのお絵像(三昧仏)をお与えになったが、これは役2500年前の釈迦仏の姿でありこれを見つめて念仏し絶対的な帰依をすることにより、より早くお育てを受けることが出来またその延長線上に見仏がある。これはまさに絶対無限の阿弥陀様と合一した状態である。
三、所感など
大乗仏教・浄土教・光明主義という壮大な教えの空間に、生命の進化という視点で霊性開発をお説きになった誠に貴重な法話であり、このような場に居合わせることができたことを感謝したい。
なお末尾になりますが、関口高様・久村キミ子様より参加者の皆様にお供養の品を頂戴しましたことを記しておきます。