光明の生活を伝えつなごう

近畿支部だより

近畿支部 平成21年1月

教学布教研修会

亀山 政臣

◇日時 平成20年11月6日(木) 午前10時から午後5時
◇場所 龍岸寺(京都市下京区)
◇参加者 24名
◇講師 仏教大学教授 藤本浄彦先生
◇演題 弁栄聖者 出現の意義と思う~外相と内相から~

弁栄教学はまさに法然上人のみ教えをご自分の体験で説明されたものである、という出現の意義を深い示唆の中で三席にわたり説いて下さいました。しかも藤本先生に伴われてイギリス在住の英国国教会の加藤智神父も参加され、お念仏も皆とともになされました。

まず弁栄聖者のご略伝を見ていく中で、明治から大正にかけての宗教的うねりの時代に台頭されたことが分かる。しかも、聖者の宗教的欲求の追究が光明主義という形となり、光明生活のために念仏三昧がすすめられた。しかし、『浄土宗布教伝道史』という書物に「(弁栄聖者は)晩年に『宗教家は奇跡を現さなくてはなりません』と述べ、現世利益を認めるような発言をしているが、「予言ができるとか、病気が治るとか、そんな奇跡がなんの価値がありましょう。凡夫が仏になる。これほど大きい奇跡がまたとありましょうか』と阿弥陀仏信仰の絶対性を説いている」という伝道史上の聖者紹介の記述は、とても大事なことであると強調されました。

午後からは、仏身観、十二光明観、念仏観を法然上人が善導大師によって理解されたように、聖者が法然上人の見解(『逆修説法』『仏説無量寿経釈』)に添って理解されたことを証し、時代に合わせて発展させた教えであると明解に解説された。そして、現代社会が進歩進化する[変化]の受け入れるかの如く、聖者の時代性ある見解をもっと受け入れるべきであると提言され、同時に法然上人の『三昧発得記』を聖者の積極的な理解のためにも、今後の再評価が必須の課題である、と導いて下さいました。

ただし質疑応答の中で、三昧発得が初めにありきではないと。あくまで往生浄土を求めるお念仏の中で「不求自得」つまり「自然」に成ってくるものであることも強調されました。

先生のお話は、弁栄教学を今の浄土宗といかにすりあわせて理解していくかという内容でした。僧侶として必要な理解とともに、聖者の教えが法然上人と異質なものではなく、今という時代性の反映と、自己の宗教心の追求によるものであることが改めて分かり、目からウロコが落ちる思いの中、お念仏に導かれるご縁と歓喜踊躍の有り難さに満たされた研修会でした。

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