光明の生活を伝えつなごう

近畿支部だより

近畿支部 平成21年2月

平成20年 聖者ご祥当念仏会

佐野 成昭

12月4日午前10時より午後3時まで 京都市龍岸寺にて約20余名の参加者を得て弁栄聖者第八十九回忌ご祥当念仏会を開催しました。

遠路福岡県より金田隆栄上人を導師としてお迎えし、午前午後各1席ご法話をして頂きました。

まず、午前10時礼拝儀によりあさの礼拝とお念仏(維那:佐野成昭)、11時前に聖歌「聖きみくに」前半を二胡伴奏でお歌いしてご法話に移りました。

午前の「至心に帰命す」と題してのご法話の内容は次のようになります。

聖者の如来光明礼拝儀要解によると、私を如来様に捧げ、己の無知無力を自覚し、己を空しゅうして全幅を捧げて如来様にお仕えすること。

  1. 無上の尊敬をなすこと。
  2. 至誠心をもって歌うこと。
  3. 如来様によって私が生存出来る故に如来様に私を捧げ仕えること。
  4. 身口意においてみ光栄を現すべきこと。

木叉上人はハガキ伝道で「心に名号を入れず、名号に心を入れる」と書かれ、名号やお掛け軸の如来様に、私の心と全身全霊を入れることであると言われています。

木叉上人は、人間には音楽的性格のタイプと絵画的性格のタイプがあると言われています。私や木叉上人は音楽的性格タイプで、私は若い時、24歳までには弁栄聖者のように三昧発得したいと目標を決めてお念仏していました。しかし、生きた如来様にお目にかかれなかったので、木叉上人に十箇条の質問状を手渡しました。お上人は「名号が大事です。唯一向にお念仏を称えなさい」とご法話中に回答を下さった。今思うと、お念仏には、その人の機根があり、早い人も遅い人も、音楽的も絵画的も色々であった。

木叉上人は、名号をお称えする重要な意味をよく説かれた。「子を呼ぶ大悲の御声が称うる衆生の声となり 南無阿弥陀仏と我が声に 現れ給う御名号」と詠われ、「私の声でなく、如来様の声です。勿体無い」とおっしゃられた。また、「それだけではいけない。更に進んで七覚支に。そうして如来様と密な関係になることが重要である」とも。

午後1時からお念仏と午後の続きの聖歌を斉唱した後、1時半より「至心に勧請す」の御法話がありました。

聖者の如来光明礼拝儀要解により「勧請」とは、「如来の分身たる霊応身を我が身心に請じて常住の指導を祈る」とあり、この身は如来の霊応を

  1. 安置する聖なる宮と信じること。
  2. 霊応の常住を請うこと。
  3. 聖意の指導を仰ぐこと。

私の体は如来様の分身の霊をお祀りする神聖な体で、お宮さんのようなものという気持ちをずっとずっと持っていなければなりません。そして、いつも事があれば如来様にお伺いを立てたり相談し、如来様のご指導を頂かねばなりません。

さるお上人は、檀家さんにトラブルが起こっても、すぐ行かなかった。お上人は3時間お念仏して如来様にお伺いをしてから行った。それが良かった。

ご法話の最後に聖者がお絵像「円相白衣観音」のコピーを皆に示された。内田さんという婦人が「聖者から頂いた(我が娘のように)大切なお絵像です」と、聖者十三回忌の時に公表された。その絵のお顔は亡き娘さんの顔とそっくりで、経本を横に置いた珍しい観音像です。

内田さんは、娘さんの体が弱かったので進学を担任の先生に断った。しかし「ぜひ」にと勧められてそれに従ったが、娘さんは卒業後すぐに亡くなったので、担任の先生を大変恨み悲しんだ。その時、内田さんは弁栄聖者に会うご縁を頂き、娘はどこへ行ったのかと死の訳を聞かれた。聖者は死後の姿を描いて差し上げられた。絵の讃に「恋しくば、南無阿弥陀仏と 称うべし 我は六字の うちにこそすめ」と、お浄土の娘の思いを添えられた。以後、内田さんはお念仏に精進し有難いお念仏の身の上とさせて頂かれた。

金田上人は、「来年はど真剣にお念仏しましょう!弁栄聖者九十回忌ですから」と申されました。お上人のご法話は熱のこもったものでした。来年の聖者九十回忌へのはずみが、これでついたようでした。

合掌

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