光明の生活を伝えつなごう

近畿支部だより

近畿支部 平成22年6月

柴先生33回忌一期一会の念仏会

佐野 成昭

◇日時 4月18日 午前10時から午後4時
◇場所 京都山科念仏会
◇導師 熊野忠道副首上人
◇参加者 17名

京都市の光明修養会登録事務所の念仏道場を会所として、京都山科念仏会主催でいつもの月例会と柴武三先生の三十三回忌追悼法要念仏会を開催させて頂きました。お導師に熊野忠道副首上人、遠藤喨上人に大木を手伝って頂き、維那佐野成昭で開催。参加メンバーはご長女柴晴美様を含め、京都、大阪や奈良から延べ17名が集いました。

なごりの花、遅咲きの桜の咲く頃、昭和53年5月22日逝去された柴先生の三十三回忌追悼法要会は本当に一期一会を感じました。熊野上人曰く「私はもう91才この道場でのご法話も最初で最後です」とおっしゃり「歳をとると鼻水が出やすくなります」と言いながら感極まって涙を何度も流しながら熱弁をふるいました。

午前中は10名程で2時間程の念仏、「念仏七覚支」の聖歌から始まり中間に十二光の礼拝が入りました。昼食後夕の礼拝、念仏。2時、聖者と柴武三先生他のご回向がなされました。その後、二時過ぎより三時過ぎ迄、熊野副首上人のご法話があり、4時頃まで茶話会で終了しました。

ご法話の前にお上人の好きな聖歌「大みおや」を、二胡の伴奏で斉唱しました。若い方はこの聖歌は初めてなのでお上人がまず1番を歌ってから斉唱しました。私が印象を受けたご法話の内容は、次のようになります。

「私が尊敬する恩師は、おかしいと人は言うかもしれないが、弁栄聖者の弟子、我が父中川察道上人である。
私は監獄の教戒師をしていた。私はどんな悪人もかならず良い所があることに気付かされ、どんな人もすべて私の先生であると思っている。だからどんな人とも付き合え、争うことはしない。」と語られましたが、そういう考えを持ち、実行出来るということはすごい事だと感じます。

「仏教帰依された聖徳太子は『和を以て尊しとなす』とおっしゃられた。仏教徒は戦争をしないが、キリスト教徒はする。二十世紀最大の歴史学者トインビーがこれからの宗教はキリスト教を形式として仏教を内容とするものが将来の宗教だと言っている。私は学生時代、論文に十二光を書きたかった。しかし、望月博士が『弁栄さんはキリスト教の教えが入っておるので異安心である。だから書くな。中国の仏教を書け』と言われたので不本意ながら元と明代の中国仏教を書いた。元・明時代は、禅と浄土の教えが混合している。禅宗は理性宗教であり、浄土宗やキリスト教は感性宗教である。それがうまく融合されればすばらしい宗教になれると思う。また、禅の形式で浄土教が内容となるものは素晴らしいものになる。キリスト教も仏教もその中身は同じである。ゴッドと如来と、呼び方が異なるだけである。キリストの教えは仏教の一切経の中に含まれている。

当時、弁栄聖者程キリスト教を知っていた人はいなかった。聖者はキリスト教の本を読んでいる。私も読んだ。感性宗教として光明主義はキリスト教とほどんど同じであり良く似ている。キリスト教の一番の魅力は賛美歌である。(宗教の精神を美的歌詞にして美しい楽曲にしている。)『礼拝儀』も殆んど賛美歌(のような聖歌)で占められている(私は聖歌の歌詞はお経と思う)。

浄土宗は『念仏一会』と言うが光明会は『念仏三昧』だ。絵でも音楽でも『三昧』が大事だ。私がこうしてここでお話することは最初にして最後。(涙声で顔を赤くして)どうぞ、皆さんお念仏して下さい。私は幸福、極楽。お念仏すれば、なまくらな私のような者でもそうなる。どうか皆さんお念仏して下さい」と熱く語られた。

このご法話で多数の方が感動された。お上人は所々何度も感極まって涙と鼻水を流されたので、見かねてティッシュペーパーの箱ごとが持ち込まれ、最前列のお嬢さんからひとかたまりのティッシュがお上人に渡された。

ご法話の後、柴先生の荘厳浄土を祈念しつつ聖者の浄土三昧の聖歌「聖きみくに」を斉唱しました。電子オルガンで伴奏しながら歌っていましたが、私も途中で感極まるような感じになり、指が振るえ、指がもつれかけてしまいました。

3時過ぎ隣の部屋に移動。茶話会でまずはお茶で一服。そして、私が柴さんからのご供養として参加者に手渡された冊子、柴武三先生著『辨榮聖者の御垂示と三昧の念佛』の説明を次のようにさせて頂きました。この冊子は柴武三先生の三十三回忌を記念して長女柴晴美さんを含む主催者の京都山科念仏会が増補再版したこと。聖者と唐沢山阿弥陀寺岩壁「御垂示」碑の写真3枚およびルビ付けした「不動明王図」讃を増補し、B6サイズからA5サイズに拡大して読み易くしたこと。この冊子は、昭和49年病床の田中木叉が涙ながらに柴先生に執筆を督励されて出来たものであること。「御垂示」岩壁碑建設が柴先生御生涯最後にその生命を捧げたお仕事であり、その「御垂示」のご説明が書かれていること。それが光明主義のカナメであり、現代人に重要かつ不可欠なものであることが語られていること。そして辨榮聖者の不動明王図によるご説明の「三昧の念仏行法」および柴先生の著作が記載されていることを頁を拡げながら説明させて頂きました。すると柴先生の著作の中下巻の質問が出、この他の著作で質問者未読分をコピー入手したいと要望が出ました。

また、私が最近発行させて頂きました註、用語説明付き『田中木叉先法語お聞き書き 上巻』の小冊子を参加者に差し上げました(尚、希望者には本年近畿のお別時で差し上げる予定)。それには、聖者の「御垂示」に使用されている重要語、「憶念」が記載されていることも説明させて頂きました。

尚、この柴先生著作の冊子には「禅と念仏について」が記載されており、私は禅に興味がある方にもお役に立つだろうと思っています。

今回、熊野上人と柴先生の著作の語る内容から、光明主義が社会生活の各分野でお役に立つには、「三昧」の生かし方が重要になるのではないだろうかと、ふと思いました。

熊野上人のご法話で語られたように禅宗、浄土宗、キリスト教すべての宗教がうまく融合された宗教がこれからの宗教であると言う事は、その宗教に近い宗教が光明主義であるのではないかと思われました。

今回の参加者の中にはおおよそ10年前にこの部屋に来られており、当時を思い起こし懐かしがっている人もおられました。10年前は、熊野上人が当時理事長でこの建物の落慶法要をされ感性にご尽力されたお陰で出来た会でもあります。

合掌

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