光明の生活を伝えつなごう

近畿支部だより

近畿支部 平成22年12月

神戸光明会秋期例会

植西 正裕

日時:10月30日(土) 10時~15時
場所:東極楽寺(神戸市中央区)
講師:金田昭教師(東京・源空寺)
参加者:11名

行事の概要

午前の部:朝の礼拝・法話①・聖歌
午後の部:お念仏・法話②
※法話には予稿プリントの配布あり。

法話の要旨

昨年から始まった苦・人・教・行シリーズの2回目で今回は教に関するもの。テーマは「西方浄土と相好について」

※西方とは何を意味するか・・・については例えば方角を指すのではなく、日がのぼり(出発点)西に沈む(到達点)という意味であることを経典・論書等の文献を引用して説かれた。

※また同様に十万億土を過ぎて極楽あり(阿弥陀経)の表現とここを去ること遠からず(観無量寿経)という表現が一見矛盾するようであるが、これは距離の隔たりを指すのではなく、信仰の眼が無明無知から開けた状態との差異であると受け止められること。

次に相好についてのお話であるが、正直この話を短い文章に?めるのは筆者には荷が重いので法話の枠組のみを記することにした。

※経典によりあらゆる相は皆これ虚妄である(金剛経)と説かれているのと無量寿仏に八万四千の相あり(観無量寿経)と説かれているのはどういうことか。さらには弁栄聖者がお与え下さったお絵像(三昧仏様)の受け止め方についてここでも多く経典を引用して説明された。

※上記二つの経典にある表現の差異については筏の喩えすなわち此岸から彼岸に至る場合のいずれの立場で見た表現であるかである程度理解できること。

※法話はさらに先に深く進み、彼岸の立場で此岸の人のために説かれた思惟・正受・啓示・形象と妙観察智について、主として弁栄上人のみ教えを解説された。

所感

※今回の法話の冒頭で、教についての話はどうしても難しくなるが避けて通れないので・・・という前置きがあったが、まさにその通りの内容の法話であった。一方、予稿プリントを見ても分かるように相当な労力を注入して準備された法話であった。この法話を少人数の本会だけでなく、他所のお念仏会でも聞かれるご縁があることを願って止まない。

※直接今回の法話に関係することではないが、三昧初得は仏道修行の目的であるが、一口に三昧発得といっても此岸に於けるいわば入門部から彼岸に於ける最深部である大乗釈迦の三昧で、もの凄い深みの差がある。弁栄聖者のみ教えはこれをストレートに間違いなく導かれるものであると理解している。そしてそのためには実践の段階で如来の大願力を信じる心、あるいは如来を欣慕する心を養うことが一つの重要な必須要素であろう。

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