光明の生活を伝えつなごう

近畿支部だより

近畿支部 平成24年2月

近畿支部教学布教研修会

佐野 成昭

平成23年10月15日(土)京都市の龍岸寺に於いて、埼玉大学名誉教授であり、また僧侶でもある三島健稔博士より「如来光明摂化主義に思う」と題してご法話をいただきました。熊野忠道副首が体調を崩されたので急遽代講をお願いしたのでした。今回は少人数の出席者でしたが、中味の濃い重要なお話をいただきました。

差定(時間割り)は、午前10時より念仏礼拝、11時より12時迄法話。12時より昼食、1時より念仏。1時45分より、途中休憩を入れて4時10分迄2席の法話。その後、4時40分まで別室で質疑を含め座談会でした。東日本大震災や福島の原発事故の災害のことも話題に上り、質疑応答などがありました。

三島先生は、「四智(四大智慧、註1)を得ておらず、熊野上人の代役は務まりませんが、別の切り口でお話させて頂きます」と前置きして、概略下記の様な話をされたと理解しています。

午前の席 信の確立について

①類比に拠る

一般には限りなく厳密に構成されていると信じられている数学をより厳格に定義しようとする学問分野があり、その様なことに些か関心があり、惹かれるものがあります。反面、一般には仏教や念仏は、良く分からない何か怪しいものではないかとする極端な見方があるようです。その為でしょうが念仏に惹かれる理由をしばしば尋ねられます。

厳密な学問の世界の天才の一人である岡潔先生が熱心な念仏者であったことは周知のことです。私の周囲には天才的な学究であり同時に信仰心の篤い先生が少なくなかった(註2)。その影響か、私は仏教の四智の存在に限りなく好意的です。ノーベル物理学賞を貰うだろうと思える偉大な知己の一人に聞いても同じ様な考えでした。

四智の存在に限りなく好意的であるのは、喩えば、中学や高校で教わった幾何学の世界があって、それと一緒にすると矛盾するが各々矛盾のない他の世界があるのと同じかなと思えることに拠ります。肉眼では幾ら頑張っても見えない或る種の細菌でも電子顕微鏡があれば誰でも見ることが出来る様に、弁栄聖者の様に四智が円に拓けると、聖者の説かれる世界が明瞭に観えても何ら不思議ではないと思うのです。言い換えると、前提が異なれば、広がる世界、見える世界は自ずと異なるものになりましょう。

②良き師の人格と書物に拠る

非常に幸いなことに、私は良き師と書物に恵まれ、有り難いことに光明主義(如来光明摂化主義)に出会った。

藤本浄本上人は「もしも弁栄上人が此世に御出現で無かったならば、人様はとにかく、私はいかになっていたであろうか、思うだに恐ろしくなります。……」と弁栄聖者に出会われた幸運に感謝され、また「教えそのものは人を照らす力はありませぬ。之が人を通し、人格に体現されて、初めて人生の光となり、人を導く力となるのである。…… 実に弁栄上人様は一切の教法を人格に体現された御方であって、法の身そのものであらせられた。私にとっては生ける救いの御仏と拝まれました」としみじみと語って居られます。経典や書物の導きは無論有り難いことですが、師に恵まれることは無上の悦びです。

法然上人は善導大師の書物に拠って、親鸞聖人は法然上人の人格に拠って信を確立されたのでしょう。

私は弁栄聖者に見える幸運には恵まれませんでしたが、聖者の遺稿や田中木叉先生の編纂された弁栄聖者光明大系、笹本戒浄上人や木叉上人の法話、柴武三先生の遺稿を介して弁栄聖者の人格や教えに触れる幸運に恵まれました。また、恩師や優れた仏教者の人格に触れ、大きく感化されたのでした。余り知られていないようですが柴先生の遺稿は、先生が理詰めの世界の弁護士であった為でしょうが、整然とした極めて解り易く有り難い記録です。

③大乗経典について

明治38年、東京帝国大学文科大学(現東京大学)に宗教学講座を開設し、日本の宗教学研究の発展の基礎を築いた姉崎正治教授は、現在流布している仏教経典は、釈迦が直接説いたものではないと苦慮していた。親友であった高山樗牛との交流に救われ、懊悩の中にも仏法を離脱することはなかったのでした。しかし、晩年には「我は阿含伝来の法蔵に現身仏陀を見る。此故に又法を信じ法に活くるを楽む。法仏致一。本迹不二にして、此の身亦三身即一の如来を理想とするを得」と記している。

仏教学者の研究に拠れば、『スッタニパータ』は最も古い時代の経典であり、仏陀の教えをそのまま保存しているだろうと言う。一方、華厳経、浄土三部経、般若経、法華経などの大乗経典は、釈尊滅後からほぼ五百年以降に成立したとされている。サンスクリット、チベット語、漢文などを自由に読み書きできる身ではないので仏教学者の研究成果に拠る外ないが、姉崎教授でなくても釈尊滅後数百年経って成立した大乗仏典を如何に考えるかには等しく悩むものであります。

これを乗り越える幸運は、教えを人格として体現している師に見えることでしょう。師の人格により教化され、知らぬ間に此の悩みは解消してしまいましょう。

また、専修念仏などにより定に入り、宗教体験を経るならば自ずと乗り越えられるものと思われる。晩年の姉崎教授が「法蔵に現身仏陀を見る」と記したのはこのことを示したものと理解している。ただ、良き師に恵まれないと独善に陥る危険がある。信を確立することが重要だが、揺るぐことのない信を確立することは容易ではない。

従って念仏為先の重みが増すわけである。哲学的に理解したとしても不死の確信を得ることは極めて難しいと言うが、妙好人に観るごとく行の力は偉大である。誓願、行、信の働きが加わると如来の光明に教化(霊育)され、お育てを被る深さも早さも大きくなるのでありましょう。

●註一 四智 大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智
●註二 後日、「浄本上人に倣えば、恩師後藤以紀教授は透徹した学究であり、人格円満な哲人にして私にとっては終世の生ける神様(後藤先生は神官の家系)であられた。」と三島先生は語っておられました。

午後の席 念仏について

①口称念仏のこと

仏を念うことを念仏と言う。字義はそうであるが、念仏とは口に「南無阿弥陀仏」と称えること、また、念仏者を摂取するのは弥陀如来の願いであると理解された。

その念仏の方法であるが南無阿弥陀仏と口に称え、耳で聞き、仏像を見て脳裏に焼き付け、すなわち五感を総動員して一心に仏を念うと心に染み込み易い。延命十句観音経、

観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁
仏法僧縁 常楽我浄 朝念観世音
暮念観世音 念々従心起 念々不離心

に示されるように、念々常に仏を念うことがまさに念仏であります。
弁栄聖者は、如来様の慈悲の面を常に思うことが肝要であると示しておられます。

②念仏の所期(目的)

これは如来様に見えることに尽きます。

弁栄聖者は次のようにお示しです。

「如来は神聖と慈悲の尊容を真向にして一切の時、一切の処に存します。今も此身を照鑒し玉うなりと憶い上ぐれば、自ら恭敬の念生じ候。私共のような気ままものには、唯口に称名する計りであると、尊敬の念も生じ難く候えども、絶対人格のいと尊き如来現に尊く厳臨し玉う神聖なる尊容を瞻む想いの中には、自ら頭をたれて崇敬の念が起こり候。されば人にすすむるにも矢張り人格的の如来さまに離れぬようにすると其方が宗教心確かに成ると存じ候。」

重要なことは「如来さまのお慈悲の御尊顔を想い想いして念仏する」こと、このことです。この為に多くのお絵像を描いて下さった。それを脳裏に焼き付けて開目時、閉目時もそのお姿が浮かぶ様に念仏して欲しいのです。

良忠上人の一枚起請文に「念死念仏」について、「此の一言、千金よりも重し」とある(大本山光明寺版『良忠上人御法語』第二十九)。「此の二念を、こころかけたらんに過ぎたることあるべからず。念死というは終に遁れぬ死を思いて」(同文)と必死に念仏することです。「出ずる息のいらんことをたのまぬなり。念仏というは、仏のちかいのたのもしき事をおもいて口に南無阿弥陀仏と申べきなり」(同文)とあります。

平凡な我々には難しいと諦めてはならないわけです。一気には実現できなくても「如来さまのお慈悲の御尊顔を想い想いして念仏」しているとお育て(霊育)を被ると言うところが絶対的に有り難いわけですから。また、徳本行者のお歌に、

極楽に望みなくとも南無阿弥陀仏うわの空でも 申しておきやれ弥陀の大悲で三塗にゃ陥ちぬ

とあります。「念死念仏」に徹底出来ない私には真に究極の救いの言葉であります。

如来光明摂化の過程

①「開」の段階

一心にお念仏をしていると、極楽の諸仏や何かが見えたり、音楽が聞こえたり、良い香をかいだりすることがある。これは、法眼が拓け始める時に顕れるものです。それは法眼の極く一部です。

更に余念なく念仏していると慧眼が拓けてくる。ここで一心に専心すると一層お育てを被り、法眼と慧眼が交互に顕れてくる。この段階を背面相飜と言う。更にお育てを被ると、法眼と慧眼が同時に現れるようになる。これを初歩の仏眼が拓けた段階であると言う(以下、伝聞の「と言う」は省略)。初歩の仏眼の拓かれた段階が「開」である。開の段階は、如来様の方からの働きによるので他受用報身のお育てを被ると言い、念仏者が自由な作為を働かせることは出来ない。

念仏していると、ぼんやりとながら、明るく清々しく感じ、霊妙に心広く体ゆたかに感じられる。その時、大慈悲のみ顔を仰いで渾身の力を込めて念仏していると、たちまち何もかも無くなってしまう。何も無いがはっきりはっきりしている。これは「開」の初歩の段階です。これを笹本戒浄上人が「空間と時間を超越して、分かる主として自己がはっきり目覚めていく」状態、「本来の自己」と説いています。禅家の言う「本来無一物」は、慧眼が開けた所。初歩の仏眼が開けた段階で空間的には「天地一杯」、時間的には「不生不滅」になる。三世を通じて了々たるものが自分となる。自己は死なないものである自覚ができ、大我に目覚めるのが「開」までの段階。如何に学問や哲学をしても間接的な了解で、大我の自覚に至るのは難しいようです。反面、学問の無い浅原才一が大我に目覚めているのが霊育の良い例です。

②「示」の段階

写象的啓示をいただいている期間である。仏心をしっかり悟ったところ。種々の説法をいただくなどの啓示も写象的啓示の一部である。「示」では自受用報身であって勝義作為が可能である。慧眼と法眼とは同時に融合して活動するので平等性とそれに写っている妙有とを同時に見ることが出来る。この様になったところを鏡体に喩え、大円鏡智と言うので、仏眼が拓けると大円鏡智が拓ける。重々無尽な微妙な様を悟れて来るので妙観察智も得られる。極楽の妙有を感覚する成所作智は法眼によって得られているので四大智慧が揃う。しかし、無量の三昧の迷路に入ってしまう恐れがあり、弥陀のお慈悲の御顔を思うことが要となる。

③ 「悟」の段階

法身の実体そのものに深く証入する境涯のことで、これを「法身理想的啓示」と言う。

法身真如の覚妙と如来蔵性の全部及び理法の全体を得る。哲学的には法身の全体を知ることですが、観念的一切智までの到達で、この境界を無生忍と呼ぶ。
「悟」に入るためには、意識も注意も滅せねばならないので、定に入る前に本有無作の弥陀如来に遇い奉ることを念じることが重要。なぜなら、未だ人の機能に依って既に着色されているからである。

真空に偏せず妙有に執せず狭義見仏所期の念仏に専念しなければならない処です。此の段階で行き詰まるのが従来の「悟り」の段階である。

「超在一神的汎神教」のこと

『礼拝儀』の冒頭に「本有法身阿弥陀尊」とあります。汎神論的仏教では無相法身の妙理を解知する能知を報身と名付け所知を法身とし、報身は酬因感果の始成の御身と解します。

しかし、弁栄聖者は、本有無作、三身即一の大霊的人格態を広義の報身とし、法身はその体、報身は法身内蔵の万徳の精粋として最高中心に在ますとされます。

弁栄聖者は広義の報身、その精粋である報身に南無し、狭義の見仏をすることこそが念仏の目的であるとされる。広義の報身仏の霊育を被ることなくして「入」の段階に進むのは、宗教的な大天才でなくしては不可能だと言われる。

④「入」の段階

三身四智の三昧、大乗仏陀釈迦の三昧、無生法忍とも呼ばれる段階である。この段階に至る道を明確に述べた人は弁栄聖者ただ一人である。これは、法身真如の覚妙と如来蔵性の全て及び理法の全体を得る所。即ち、認識的一切智にまで到る所で、本有報身阿弥陀如来に合一する境界である。認識的一切智とは、Aさんと言えばAさんの三世の悉くが分かる智である。

善導大師並びに法然上人の晩年は、大乗仏陀釈迦の三昧に入神して居られたと聖者が笹本戒浄上人に語られ、それを有り難いことに柴武三先生が書き残された。

二祖上人の『徹選択集』に「本願、本、見仏を以って所期と為すが故に口に名号を称え必ず仏を見んと大誓願を起す」と記されています。所期を見失えば努力しても紆余曲折を免れない。仏性とは、人の本有の性であり無定性であって、しかも一切の種子を薫習する性質を持っている。環境の影響によって育つものである。

聖者幼少の頃三尊仏を拝んだが、或る時から中心の阿弥陀如来様だけを拝むようにされた。中心を手に入れれば全て手に入る。これが狭義見仏を所期とする念仏に帰結する所以であり超在一神的汎神教としての光明主義の偉大なところです。二祖上人も「口称名号の念仏行者の所期は、見仏三昧を以て所期とすべし。」と述べている(浄土宗第二祖 聖光上人法語(後編)大本山善導寺)。更に進めて弁栄聖者はこれを広義の報身仏に見える狭義の見仏が要であることを明確に示されたのである。

「結び」

以上のように「本有法身阿弥陀尊」を拝する超在一神的汎神教の教えに我々は巡りあえる非常な幸運に浴したのです。この幸運を悦び、脇道に逸れないように心して念仏に邁進したいものです。

柴武三先生は、弁栄聖者のお悟りの内容、経典にも記されてない誰も記したことのない仏教の奥義に至る要を書き残して下さいました。理路整然とした柴先生の遺稿は、論理的なことに惹かれる私にとっては、大変理解し易く有り難い書物でした。聖者は、当時、学生であった柴先生に光明主義の教えを熱心に説かれました。それは随行の僧が羨ましく思うほどで、聖者にクレームをつけた由です。しかし、聖者は、従来の考えに染まっている者を光明主義に染め直すのは大変だが、白紙の者はそのまま染み込む旨お応えになった由です。聖者のお示しが柴先生に染み込み、それが遺稿として現れたわけです。

残念ながら、弁栄聖者に見え、直接ご指導いただく幸運には恵まれませんでしたが、弁栄聖者、笹本戒浄上人、田中木叉上人、柴武三先生のお残し下さった資料を手に出来た幸運を悦び、記していただいた道を(例えそれがトボトボとしたものであっても)辿りたいものだと願っております。

以上が私の理解した三島健稔先生のお話の概要です。三島先生は柴先生の著作『弁栄聖者の弥陀の啓示「開」「示」「悟」「入」』を中心にして、種々の文献を引用した覚え書き『光明摂化主義要諦』を作成され、それを手許に置かれ、早口熱心にお話をされました。

講義中、柴先生の書物の一つ『弁栄聖者の御垂示と三昧の念仏』(柴先生三十三回忌記念版)の冊子を参考本として参加者に配布しました。柴先生の書はそれ以外絶版ですが、前述以外の著作に次があります。

『光明主義概要』
『弁栄聖者の御教えの御話集(上巻)』
『名体不離について』
『光明主義六大特徴 無明編』

柴先生を知る田中木叉上人は、柴先生に聖者伝授の教えを書物に書き残すよう再三懇請されましたが、「専門家でないから」と拒否され続けました。しかし、木叉上人最晩年病床の必死の懇請により宿命的に書かれたものです。私の知る所では、柴先生は聖者に言われ一切経を購入しそれを読まれています。かつて私は、大阪で柴先生の記念講演に参加し、出来立てのお書物三五一頁の『弁栄聖者の御教えの御話集(上巻)』を頂き、その内容のお話を直接お聞きしました。当時大勢で百人くらいの参加者が集まったと記憶していますが、よくもこんなに多くの本を無料で参加者に寄付して下さり、有り難いものだと感激しました。また、印象に残った柴先生のお言葉は「聖者が私に今でも誤り無く完全に記憶が甦るようにして下さった。聖者が私をして語らせている」ということでした。

合掌

ご祥当りんご念仏会(第10回)に参加して

安宅川崇

弁栄聖者ご祥当りんご念仏会が、11月19日(土)~20日(日)の1泊2日の日程で実施されました。この行事に初めて参加する妻と私は、早朝4時に車で和歌山の自宅を出ました。そして、集合時間の丁度半時間前、長野駅に着きました。道中は荒れ模様の天候でしたが、駅に着くと小雨でした。 関西、中部、関東各地区から19名の参加者がありました。そこから、3台の車に分乗して十念寺に向かいました。  十念寺は、源頼朝公ゆかりの寺で、境内には和歌山とも縁の深い徳本行者の石碑がありました。その十念寺では、「只一向に念仏する会」に合流参加させていただきました。袖山ご住職導師、古田幸隆上人維那によるお念仏を立ち礼拝を主に唱えました。

その後、十念寺から法学寺のりんご園を目指して、海抜700mの高地へと車を走らせました。

りんご園に着くと強く雨が降っていました。この日の朝、雨天を予想された古田幸隆上人が、前もって採ってくれていたたくさんのりんごを、そこで参加者それぞれにいただくことになりました。雨の降りしきる中、傘を広げ、りんごをビニール袋に入れながら、みんな嬉しい笑顔となりました。りんごを積み終えて、法学寺に向かいました。

法学寺様では暖房の効いたお部屋で甘いりんごやその土地のおいしいお漬物で歓待してくださいました。しばらく、法学寺様ご家族のあたたかいおもてなしに浴させて戴いた後、夕刻の本堂でお念仏をさせていただきました。お念仏が終わり、参加者全員、古田幸隆上人ご揮毫の米粒名号入りの携帯ストラップ・キーホルダーをいただきました。

その日の宿は、アゼイリア飯綱いこいの村。六時に着いた私達は広い部屋で、一品一品と出されるおいしい夕食をいただきながら、楽しく歓談させていただきました。

夕食後、8時半に、3階の研修室に移りました。そこで縮小された弁栄聖者の如来様お絵像などの写仏にとり組むことになりました。佐野成昭師の写仏方法の説明があって、筆ペンや鉛筆にて写仏三昧の快い集中に浸りました。早く仕上げた人から順に、古田上人はその人の祈願文を米粒に添え書きして授けてくださいました。入浴後すぐ床に就きました。

翌朝は6時前に起床し、6時20分早朝のお念仏のため一旦宿舎を出て濃い霧の立ちこめる中、智香寺に向かいました。近代建築の大伽藍の中で、前田家ゆかりの阿弥陀如来様の前で一心にお念仏させていただきました。

8時前に宿に戻り、朝食をおいしくいただいた後、アゼイリア飯綱いこいの村に別れて法学寺に向かいました。法学寺に着くとすぐりんごの包装発送作業にとりかかりました。

そして9時半、いよいよ本行事の主目的である弁栄聖者ご祥当念仏会のセレモニーが始まりました。古田上人のご指導に随って、佐野成昭師の二胡伴奏に合わせ、全員が聖歌「衆会」と「いまささぐ」を斉唱する中を3人の代表が献灯・献香・献花を行いました。その後すばらしい環境の中で称名念仏に打ち込むことができました。古田上人は、ご祥当会表白として弁栄聖者のご略伝を読み上げられました。弁栄聖者の生涯に亘るご苦心を想い、また古田上人の慈愛こもるお声に感涙が込み上げてきました。

終了後、古田上人の奥様より境内から見晴かす野山の中に枝を広げる有名な神代桜を教えていただきました。そして空を見上げると、ようやく青空が広がりつつありました。

心のこもるおもてなしにあずかった法学寺様ご家族と名残惜しくお別れしました。そして昼食のため、本場の信州蕎麦料理の店に移動しました。本場の味はさすがでした。善光寺参拝を前に、私達は、そこで参加者の方々とお別れしました。ほのかにりんごの香漂う車で、念仏会行事の“感動と感謝”の余韻に浸りながら帰途に就きました。

合掌

弁栄聖者ご祥当会

佐野 成昭

12月3日午前10時より午後3時まで京都市清浄華院にて15名の参加者を得て弁栄聖者ご祥当会を開催しました。今年は聖者の92回忌に当たり、歴代諸上人や諸先徳のご回向をさせて頂きました。参加者の多くは長い経験者が多かったのですが、初参加者が3名おられました。島根県向西寺住職の山上光俊上人を導師としてお迎えし2席ご法話を頂きました。

清浄華院は浄土宗大本山八ヶ寺の一つ、当初清和天皇御勅願で御所の中、西暦860年に創建された天皇ゆかりの大変由緒ある寺院です。12世紀になり何人もの天皇の受戒をされた法然上人にこの寺が与えられた。そのため、阿弥陀堂には、各天皇のお位牌が祀られています。かつてここでは、よく光明会のお別時がなされていますので、ご縁のある参加者の方が大変懐かしんでおられました。山上上人は、この大本山清浄華院の布教師会会長でもありますので、念仏会の終了後別棟の建物や宝物を見せて下さいました。

時間割は午前10時礼拝儀により亀山政臣師維那で朝の礼拝とお念仏。11時法話、12時昼食、13時15分聖歌「哀悼歌」・法話、15時念仏・ご回向および聖歌「のりの糸」、15時半終了。

今回のご法話の主題は、やさしく説く「光明主義」で、「光明会趣意書 口語訳」「阿弥陀ほとけのみ光をほめたたへ奉つるふみ」「十二光と七覚支の歌」の三枚の資料に基づきお話されました。その概要は次の様でした。

午前の席

弁栄聖者の紹介でご遷化の部分を『礼拝儀』の「略伝」を見ながら、「寒風にさらされてご病気であっても他人を気遣う聖者の長野巡業」から「ご遷化」までのお話で始まりました。山上上人が学生の頃、京都市龍岸寺で田中木叉上人が「お念仏を本当にお称えしたら、必ず阿弥陀様にお会い出来ます。もし、うそであればこの首をあげます」と言われて驚いたそうです。本当に阿弥陀様がいらっしゃることは、既に実験実証されているということです。

かつて全国の信者の方が悩んだり困ったりした時に、木叉上人からタイミング良くハガキ伝道のアドバイスが良くありました。多くのその信者は「なぜ私の心が分かるのだろう」と不思議がりました。そのお便りが解決の糸口になり喜ばれていました。それは、木叉上人が早朝念仏三昧をされた直後、大円鏡智によって凄い勢いでお便りを書かれたからでした。このことは現代心理学で当り前に認められている事柄です。

弁栄上人も重要と認めておられる聖光上人が法然上人の正しい教えを相伝し著された『末代念仏授手印』を山上上人が三十八歳の時奇しくも各地伝道中に三種相伝本を一年以内に拝読されました。その仏縁で聖光上人からのメッセージとして受け止められた山上上人は、聖光上人と同じ様に四十八日間別時念仏をされました。それで次のことが分かりました。

  1. 光明体験するにはどれだけ学問をしても、知識や学問(分別知)ではだめである。最後理屈をもって臨んでもお手上げで、自分が何ひとつ分かってないことを気づかされた。阿弥陀如来様にお任せするほかない。自分が知らない間に念仏を学才的な解釈と理解に偏ってしまって分ったような気分になっていた。
  2. 如来様のお慈悲を体験した。自分の前の世はどんな人間だったか、またその前と順に考えると阿弥陀如来様が私を救いたい、良くしたいと思っていて下さったと分かり涙しました。つまり自力的念仏から他力的念仏へ移行した。それからは楽にお念仏出来るようになった。

お釈迦様の悟りの自内証とは一言で言えば、「光明」である。そのみ教えは光明主義である。光明の中味は智慧と慈悲である。光明主義とは光明体験主義でなければならない。弁栄上人は、本を読むことを薦めるより念仏することを奨められました。その理由は念仏体験により光明を獲得することである。聖者は信仰の目的を「趣意書」(口語訳)の中で次のように明確に説いておられます。

「外部に向う文化の足は大層進歩して今日の隆盛を見るようになりました。これからは宗教や道徳などを盛んにせねばならぬ時が来ました。私達は時代にそうた信仰の団体を作って共に教えを研究し、又信念を養って、互いに手を結んで、大御親のみむねにかなう清い同胞としてみ光の中に生活し、現在から永遠の浄土に進行するのを目的と致しましょう」それ故、皆がこの「光明」の生活から「永遠の浄土」への目的を一つにして、手を携えて精進し合いましょう。皆各人個性があり、みんな違ってみんな良いのですが、まず体験的な「光明」の生活を歩まなければなりません。

午後の席

今の日本は、法然上人の「末法」の時代と似ている。なぜなら、原発問題や震災の問題をかかえて人は無常の前にどのように生きるかを問われているから。2万人の人が一瞬で命を落とし、町ももぎ取られている。しかし、こんな時だからこそ光明の生活で永遠の生命と真実の生活を得て、感謝と幸せの生活を送る必要がある。

光明主義は難解と人が良く言うが、難解ではない。そういう所を注目して欲しい。配布の『阿弥陀ほとけのみ光をほめたたへ奉つるふみ』(ミオヤの光―仏光の巻、道詠集)を拝読すれば分かり易いと仰って「如来光明歎徳章」の内容が記載されているところを読み上げられた。

また、聖者作の十二光のお歌の紹介があり、印象に残ったものは次です。炎王光のところで次のような説明がありました。人は縁によって変る。おいしい料理を見たら欲しくなる。欲には原理(起因―追求―満足―消滅)があり、満たされたら必ずゼロになる。物質で満足することはない。震災の被害者も例に漏れない。質素な衣は着ていても人間の中味が大切。聖者は言うにおよばず、徳本上人、マザー・テレサが質素な衣を身に纏い伝道しておられた姿が良い例である。心を欲望色に染まらず、慈悲色に、光明色に染まろう。法然上人は「念が往生の業となる」と語っている。何をおもうかが大切でおもいが人格にあらわれる。仏をおもうと仏色に染まる。

「念仏七覚支のお歌は、仲々言葉で表現出来ない御悟りの内容を聖者が七つの過程に分けて歌にして説かれたもので、これは今まで誰も表したことのない重要なものです」と語られて、歌を読み上げながら、時間の制限の中で少しずつ説明を加えられていました。

最後に次でご法話を終了しました。

  1. 信仰の目的(所求)は、光明生活
  2. 信仰の本尊(所帰)は、光明王、つまり、阿弥陀如来様
  3. 信仰の方法(去行)は、光明名号、名号をお称えすること。

すべて「光明」がついている。目的と対象と実施することを明確化し確実に実行しなければならない。つまり光明主義は如来光明摂化主義ですから光明体験主義である。

以上の内容で山上光俊上人は、時間を超過する程熱心に多く語って頂きしたが、念仏体験主義が光明主義であるという大切さを経験的に語って頂けたことは貴重なことと思われました。尚、お話しが長くなり今回お念仏の時間が減ってしまったことは、主催者として参加者の皆様に大変申し訳なく陳謝したいと思います。今回昼食時に私が参加者のお名前と大まかなお住まいの地をお上人や皆様に紹介させて頂き、座談で色々話がはずみ良かったと思われました。

合掌

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