弁栄聖者御生誕別時
2月20日(月) 京都事務所念仏道場にて、大光院大嶋隆獅住職に愛知県蒲郡市からお越し頂き、十数名の参加者で弁栄聖者御生誕別時を開催させて頂きました。
時間割りは、午前10時より念仏礼拝、11時より12迄法話、昼食、13時念仏後、13時15分より聖歌「御降誕歌」斉唱、そして法話、14時15分より念仏、15時ご回向、聖歌「法の糸」斉唱、15時15分解散。
2枚のプリントを配布し「死んだら終わり!ではない体験談の数々」と題してご法話を2席頂きました。私はその内容を次のように理解しました。
今の時代、大嶋師は極楽が本当にあるのか?という疑問が起こり、調べて解決しようと思った。調べたら次の理由で本当にあるという確信が持てました。
- 江戸時代1715年の福島県善之丞少年が地獄極楽を見た例があり、当地の桑折町教育委員会も石碑に看板をかかげ認めている。また、江戸時代中期の浄土宗高僧の無能上人が係わり無能上人が認めている。また、この伝承の物語が版木に刻まれ、一万部の書物や掛け軸になって全国へ広まった。この親孝行の宗教物語は、二宮金次郎の物語が広まる以前全国に広まっていた。愛知県の大光院の親寺である荒井山九品院にも掛け軸がある。
善之丞少年は薬の効かぬ父親の病気を治してもらうために神仏を頼り、2、3メートルも雪が降る真夜中、八幡様、薬師様と万松寺字坂町の観音様の3箇所に願掛けに日参した。すると観音堂で行中の地蔵菩薩に案内され地獄を見た。父の母がいて「むすこ(父)は邪見で罪深い、仏法をそしり供養したことがない。どうか念仏供養するようにさせてくれ」と頼まれる。次の地獄で父の先立った魂が地獄で苦しむのを見る。そして、次に極楽に案内されて、善之丞少年は、菩薩にほめられる。くまなく極楽を見た後、気が付くと観音堂にいた。家に帰り、それを話し、家族が念仏するようになる。善之丞の言語障害も治った。父は無能上人の教えを受け、日課念仏3万遍称える。するとその功徳で病気が治る。上人の勧めで善之丞は僧になる。という内容である。(一部資料より補足)。今日現地は、豪雪が降る土地ではないが、昔は事実豪雪が降った所であったことも確かめたとのことであった。 - 愛知県永井辰二郎氏(1862~1922)は、屑物古着商無学の貧乏人であったが、1日3万遍の念仏をすれば極楽へ行けることを聞き、24歳から53歳まで実行する。そしてひどいでき物で一旦死亡する。この死亡の5時間に極楽へ行くが、生き返り、素晴らしい人間に生まれ変った。読み書きが出来、一切経の法話が出来るようになる。また、不思議な能力が備わり帰依する人が続々輩出する。死後信者により寺が建てられる。最近もそこで赤ん坊から年寄りまでお別時に百人以上参加した。大嶋師はその別時に訪れ確かめている。尚、極楽体験と臨死体験とは全く内容が別である。
午後の籍では、先だった人が現世の人を助けた事実があるといくつかの例を話された。そして最後に国立某大学の研究結果が最近分かったということで、老人施設であの世を信じる人とそうでない人との元気度、生活満足度と精神安定度を比べると、信じる人の方が良いという研究成果が出た。科学的には信じる人は交感神経の働きを活発にするノルアドレナリンの分泌量が多く出た。
満足度が高いとは、足るを知ることと幸福度が高いということで、仏教国ブータンが良い例です。政府がGDPでなく国民総幸福GNHを国家目標にしている。2006年には幸福国民97%達成、世界一である。日本は24ヶ国中で最下位であった。このように宗教を信じることは大切である。
以上でしたが、大嶋師のご法話は、面白く皆さんの興味をそそるものでした。昼食の時にも熱心に話され盛り上がりました。2月は毎年インフルエンザが流行していて、それに罹り参加出来なかった方もおられ残念でしたが、今回精神的元気を頂きました。
合掌