近畿支部夏期別時
佐野成昭
7月20日(金)より23日(月)まで、岡山の誕生寺にて近畿支部主催の夏期別時を13名の参加を得て開催しました。今回は、良く声が出てまとまったお念仏が出来ました。また、川本剛空師に貴重なご法話を初日の2時過ぎより4時半までして頂きました。
別時中の天候は、まだ梅雨明け前のような状態で、時折雷が鳴り、停電したこともありましたが、別時にはたいした影響もありませんでした。雷の多い地域は、地面に窒素が発生し、土地が肥え、稲がよく育つので昔から稲岡の地とよばれたそうえす。時期的に猛暑に入ってないことと、田舎でもあり、気温は高くなく過ごしやすい別時でした。
初日4時半より念仏、5時半夕食で民芸風の太い梁のある大食堂棟まで廊下を通り行道で行き夕食を頂きました。毎食ご馳走で恐縮しました。そして、男女別々に入浴をすませ、7時半より2時間程念仏し、広い部屋9時半就寝。
初日の念仏中は、津波から原発事故の東日本の大災害を受けたことが思い出されて、「主よ、あわれみ給え」という言葉が自然に何度も出てくるのでした。あわれみを受ける者は人間だけでなく、自分の子供のように育て羅ペットや家畜もそうです。その数膨大、過去にあやめた家畜も含めて、人間はなんという罪を作るのでしょう。昭和三陸沖地震で母を失った小学生は、海に向かって、「海のバカ!」と叫んだそうです。しかし、「海」の立場からすれば、海溝のプレートが加害者。海も被害者です。人間が海にバカと言っても、海が人間にバカなのはあなたと言われてもしかたない立場です。そこで思い出したのが、大日比での仏教精神文化の影響を受けて育った金子みすゞの詩、次の「こだまでしょうか」という詩
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ だれでも。
2日目は、5時起床、5時半念仏。7時半に本殿を参拝し、開山上人、熊谷法力房蓮生大法師がはるばる京都からこの地に運んだ貴重な法然上人像と対面させて頂きました。それは、法然上人御自作、浄土開宗43歳念仏体得歓喜の姿と言われており、特別に間近で参拝させて頂きました。他にご両親や熊谷大法師のみ影を拝みました。ご住職のお話によると、1193年法然上人が61歳の時、ご両親の地でご両親を供養したい願いを聞いた弟子の熊谷が、阿弥陀如来像と法然上人像を上人のお家に運び、念仏供養されました。それも5年間も念仏供養を続けられたとお聞きし、並大抵のことでは無いと思われました。また、旅の途中、平家物語で有名な須磨では、熊谷作と言われる平敦盛像で敦盛を供養もされていますし、忠と義に厚い人物と感心させられました。
次に8時からの日程は、朝食、9時朝の礼拝と念仏、12時昼食、午後1時念仏2時半休憩、3時念仏、5時半夕食と入浴、7時夕の礼拝と念仏、9時就寝です。二日目から起床と念仏開始時間が半時間ずつ早くなっています。二日目は、「念仏七覚支」の聖歌を取り入れ、3日目の昼食前は、聖歌「お慈悲の頌」を歌い、夕食前は「心田田植歌」を歌いながら、行道で食堂へ入りました。夜のお念仏後には「聖きみくに」を歌い、最後の就寝となりました。
最後4日目の朝4時起床、4時半念仏、6時半ご回向と閉会式、7時本殿参拝、清掃し、8時朝食と座談会で9時半過ぎ解散しました。
座談会では、次のような感想がありました。
- 朝食後の2時間の念仏が1時間に感じる程よく集中出来た。
- 今回は古田師に木魚の音を揃えなさいと注意されなかった。許容範囲内で揃っていた。
- 誕生寺様は、毎朝食ごとにコーヒーを出してくださり、そんな経験は他のお寺ではないことで、眠気ざましにもなり有難いことでした。(コーヒーを飲まない私も有難い思いで頂きました。常時、魔法瓶の冷たいお茶の提供に気を使ってくださったことも有難いことでした)
- 聖歌の時間、ヴァイオリンの音色が良かった。殊に、食堂まで、今回初めてヴァイオリン伴奏で聖歌が歌えて良かった。聖きみくにでは礼拝儀のままでは音程が高すぎなので次回は低めに。
- 三昧仏の正面に今回席をおいたら眠気が感じられなくて良かった。
- 端の席でいねむりも出た時もありましたが、念仏精進出来た。
- ある人の念仏の通った声が良かったので、今回新鮮な御別時に感じました。
- この御別時に参加出来るだけで、もう感謝感謝のみ。
- 誕生寺には来てみたかった。この体調で何とか脱落せずに別時につけたので良かった。
- 捨世派の以八上人が平等往生という理念で開放的な本堂を建てられたことは、素晴らしい。捨世派が、結局、弁栄聖者に帰結していると思われる。
- 別時の早起きの習慣を日常帰っても出来るだけ保って、次11月17~18日長野のりんご念仏会まで頑張ってほしい。
- 来年の会場について、誕生寺か京都の浄土宗本山になる予定。古知谷会場は、不可能でも、毎年使用可能か問い合わせを行う。行中は、今回のように別棟で観光客等と出会わない場所にする。
今回のご法話の内容は次のようにお聞きしました。
今回は、今まで『宗祖の皮髄』のお話をしていたものの最終編として、弁栄聖者も説明されなかった法然上人道詠最後のお歌の所をお話します。
まず、お念仏とは何かについては、決して学問や理屈ではなく、宗教である。自分でお念仏を実践してつかむ内容が大事である。あの本、この本がどうだではない。それは学問であり、形式だ。最近は内容が薄れて来ている。そういう話の出来る人がいなくなってきている。
皮髄の内容をカントの「範疇」4種×3種=12 で分けると次のようになる。
①量
②質
③関係
④様相
①から順に形式から始まり、④までで内容と変わっていく。量と質の段階で法然上人歌は、
あみた仏といふよりほかはつのくにの
難にはのこともあしかりぬへし
往生はよにやすけれとみなひとの
まことの心なくてこそせぬ
五根五力程の段階を含む。
③の「関係」は、念仏七覚支が例であり、
かりそめに色のゆかりのこひにたに
あふには身をもをしみやはする
が例であり、これが原因となり、
阿みた仏と心はにしにうつせみの
もぬけはてたるこゑそすすしき
が結果となる。尚、念仏七覚支は、念仏の心の悟りの工程を書いたもので、古今誰も書きしるさなかっっと山本空外上人が認めているものです。
④更にカントの次の「様相」という範疇の可能性、現実性、必然性という順に3つの範疇に分けられます。
聖者の順はまず先に「必然性」の範疇で次のお歌を用いています。
月かけのいたらぬさとはなけれとも
なかむる人の心にそすむ
という浄土宗宗歌です。
月「かげ」とは光で、月かげは報身であり、太陽が法身に当たる関係。「ながむる」とは、長むる、眺むる、名崇むるという意味を含む。「すむ」にも澄む、済む、住むという意味を含む。念仏を行じてながむる人は、必然的に近縁・親縁・増上縁の三縁の関係で心にすんでくる。そして、聖者は、いつもそうですが、形式から内容に進み、内容として「至心信楽」で感情から情操に変わり、四智では、阿弥陀様はいつも、
- 私を見ていて下さり、
- 愛して下さり、
- 聞いていて下さり
- 良いようにして下さる
と実感(心での実在)が得られる。皆さんはその実感を得られますか?
「可能性」の範疇には
極楽へつとめてはやくいてたたは
身のおはりにはまいりつきなん
の歌になる。
宗教に退と不退の問題があるが、修行途中でご縁が切れて退となっても臨終往生は可能である。
「現実性」の範疇には
むまれてはまつおもひ出んふるさとに
ちきりしとものふかきまことを
になるが、が、聖者は、この最後の歌のことには筆を進めていない。この歌の「ふるさと」に極楽が、「ちきりしとも」に阿弥陀仏が、「ふかきまこと」に本願が含まれている。念仏者のありようが歌われている。