弁栄聖者生誕兼教学別時念仏会
佐野 成昭
平成26年4月20日京都市京都事務所念仏道場にて近畿支部主催弁栄聖者ご生誕念仏会を兼ね教学別時念仏会を下記の時間割で開催しました。生誕別時は従来2月に実施してきましたが、インフルエンザ等の病気流行のため4月に延期させて頂きました。今後もその予定です。
京都府在住川本剛空上人(久美浜西方寺)をお迎えし、総勢14名が集いました。重要なお話があり有意義な会でした。
午前10時 礼拝念仏
午前11時 法話
午前12時 昼食
午後1時 念仏
午後1時10分 法話
午後2時 休憩
午後2時15分 法話
午後3時15分 質疑応答後念仏
午後4時 ご回向と支部長挨拶
午後四時半 閉会
今年67歳の川本剛空上人のご法話を、次のようにお聞きしました。その語り口は機知に富み独特のものでした。
一席目
私の師匠山本空外上人も述べましたが、『礼拝儀』と『宗祖の皮髄』は、山崎弁栄上人が生前目を通した正しく重要な書物であります。両方共大正五年に発行され、意義深い年でした。『礼拝儀』は、当初千葉弁語で書かれたので笹本戒浄上人が標準語に訂正された。しかし、まだ、一部改定すべき処が残っています。しかし、弁栄上人のような方が現れたら改定すべきで、今はこのままがよいと思います。
『宗祖の皮髄』は、理屈面、『礼拝儀』は宗教生活面が内容となっている。弁栄上人は、以前見仏見仏と言われておりましたが、晩年は光明生活を唱えるようにしました。『礼拝儀』はこの種本に『大乗起信論』(三昧方面)、『大原談義』(以前は浄土宗の重要本)『西(または東)宗要』である。これらは、現在の浄土宗で重要視されていないが弁栄上人は、重視され時々引用されている。
現代人は三昧方面が欠ける。例えば、民芸品を機械量産したものも民芸品と認めている。手作り品と比べると木取り(材料選定)が無い。「ものになってものを考える(見る)」「胆(はら)でわかる」が必要である。これは西田幾多郎の思考だ。真実に迫るには理性=ロゴス=言葉によっては迫れない。言葉にした時点でことを割っている。分別している。言葉の起こる前に迫るべきで、それには、三昧、念仏三昧である。それで覚りが得られる。それが弁栄上人の筑波山二ケ月お籠りの次の結果です。
「一心専念能所亡 果満覚王独了々」
「一心に念仏したら拝まれる如来様(能)と拝む私(所)が亡くなり(空になり)残ったものは、果として覚りの王が独り了々と満ちていた」と歌った。
弁栄上人は、笹本上人に答えたように法身でなく報身を拝むようにと語っている。川本上人は、黒板に三角形を描いて(次頁参照)三角頂点に如来性、底辺の右左角に衆生性を書く。法身は、その右辺を伝い、頂点から衆生性に降りて来る生産を現し、途中に我々の世界性がある。左辺は慈悲の救いを現し、左角の衆生性から頂点の如来性に昇る働きのある報身を現す。また、法身は智慧、つまり法則の働きがあり、報身は、人が育ち向上させる働きがある。私達の拝む対象はお育て下さる報身の如来様となる。善導大師も法然上人も報身仏を拝んでおられる。
哲学は「何であるか」を示すのみで人格が悪くても探求出来るものである。一方、宗教は「なる」ことを目的としている。立派な人格になる。霊化された人格になることである。
二席目
なぜ三回礼拝するのか? 浄土宗は「前三後一」と言い、始め三回、最後に一回礼拝する。それは、五正行から来ている。四番目の称名行の前に三つ、後に一つの行があるからだ。礼拝儀の三礼は、三身即一から来ている。河波上人は十種礼の六番目の内観法の「他仏を念じて自仏を念ずる」、つまり、仏様を念じて自分が仏に近づくことで、これが光明主義の重要な所であると語っている。空外上人もこれを語ったように、私もこれが光明主義にふさわしい重要事項と思う。
「南無阿弥陀仏 三礼」と「三礼」の前に名号が礼拝儀に書かれているが、私はこれが、法然上人の『選擇本願念佛集』巻頭「南無阿弥陀仏」その下に「往生の業は念佛を先と為す」と書かれている所から来たと思う。
鈴木憲栄上人が弁栄上人を高等講習会の講師室に案内された。「その部屋にあったご名号に普通は誰も礼拝しないが、弁栄聖者は、まるで生きている阿弥陀様に頭を下げているかのようにご名号に頭を下げた」と鈴木上人から直接耳にタコが出来る程聞いたことがある。皆さんもこのように三礼出来ますか?
「至心に帰命す」至心とは浄土宗では、『無量寿経』から
1、至心 2、信楽 3、欲生であり、
『観無量寿経』からは、
1、至誠 2、深心 3、回向発願である。
弁栄上人は、画期的な表現で次のようにされている。
至心(に)
1、信(ず) 2、愛(す) 3、欲(望す)
特に「愛」は画期的な用語である。仏教では、愛欲という悪い面に使用するが、弁栄上人は、現代人が使用する良い意味で使用している。
礼拝儀(「至心に帰命す・・・我身(わがみ)と心との総てを捧げて」)のように命懸けで今日の別時についている人はありますか? おそらくいないでしょう。独身の時の別府上人と空外上人は、命懸けでした。私は、家族を連れてお寺に入った時、失敗したらこのかもいに首を吊っても良いと命懸けでした。
三席目
欧米思考は、計量的、理性的な思考だ。東洋思考は、空外上人では自然中心の思考だ。ものと一つになる、三昧になる。ヨガ(結ぶ)になる。
「法身 報身 応身の聖き名に帰命し奉つる」は、どの時代の礼拝儀にも改変なく共通している文章で、光明会とはこの言葉で代表される。これらの三身が「三身即一」という考え方は普通である。阿弥陀仏と名号の関係で見ると「南無阿弥陀仏」は、名体不離である。つまり、名義具足する。名号には、四智(四大智慧)・三身(法報応の身)・十力(仏の十種の力)・四無畏(おそれを無くす力)等の一切の内証の功徳、相好・光明・説法・利生の外用の功徳があります。法然上人は万徳と言ってます。この万徳を私は、その人の事情において一番ふさわしいあり方をその都度都度示してくれることです。具体例として、川本上人の空外上人との出会いから現在迄の経験の中でそうであったことを話されました。
法身・報身の関係を三角形を黒板に描いて説明されました。この説明は、昨年迄の説明と少し変えて今回図のように四大智慧を関係付けて説明されました。(年々の法話毎に工夫して○―○記号表現を用いているのには感心しました。)
礼拝儀の「在さざる処なきが故に」で空外上人は「何処にも在る・内在」と言われた。神は何処にもいる(汎神論)なら、うじ虫にもいるはず。皆さんはうじ虫を拝めますか? 増上寺の管長、行戒上人は、お朝時の後、止められても「仏心が動いているのが見えないか!」と言って、ホームレスを拝んだ。弁栄上人もそれに近いことがあった。
いずれも死を怖がる犬やウジ虫・動物と人間との違いは何でしょうか? 私は願いと思う。
光明会では、善導大師の「映現心想中」、人の心に阿弥陀様が移って入って来て下さると言う。これが霊応身です。私達の心に現れてくるものです。一般的には歴史上のお釈迦様が応身です。光明会でないある人は「人の汚い心に弥陀が入って来ることは無い」と言いましたが、如来様のその力は必ずあると思います。
「恩寵(みめぐみ)を垂れ給え」(恩寵・愛を私にそそいで下さい)と礼拝儀にありますが、恩寵とはギリシャ語でアガペと言います。河波先生は、愛には4つあると述べていますが、私は次の3つしか発見出来なかった。1.神からの愛であるアガペ。2.憧憬であるエロース(少し疑問がある)。3.友愛であるフィーリアです。しかし、先生の4つ目が慈善であるカリタスです。キリスト教が日本にやって来た時、アガペは「大事」と訳された。人が大事にするものの考え方の違いがその人の人格の違いになる。皆様は神と金等とどちらを大事にしますか?
弁栄上人の礼拝儀は、何度も改定されていますが、全ての文章に根拠の無い言葉は無いと考えます。同称十念
質疑応答
「愛」について質問があり、川本上人は次のように答えられました。
キリスト教からの影響があった。礼拝儀には他にも多くその語が見られる。当時、愛は愛欲と考えられた。「愛」は、「こそばい」使い難い言葉だったと思う。人へのインパクトが強烈だったと思う。ましてやアコーディオンを弾いて歌って布教することにヤソ(キリスト教)臭いと言われたが、画期的で活力がある。現代ならビートルスが現れたようなものと思う。
質問者=アコーディオンを調べたら、難しいドイツの(指運びの)楽器を日本人として初めて弁栄上人が本格使用したと記載されていた。先駆的に「愛」という用語を仏教に多用したことも、現代のように将来よく使用されるという先見性が弁栄上人にはあったのではないでしょうか?
川本上人=空外上人も含め学者の説は種本を明かさないことが多いですが、大抵種本があります。種本を弁栄上人が各地で読み、取り入れていると思う。キリスト教の本やギリシャ哲学(邦訳)、進化論等。キリスト教が認めないダーウィンの進化論が明治30年以前からよく読まれた。特にキリスト教と対抗したい仏教者が。弁栄上人は、進化論のように発展史的な十二光体系を創造された。法然上人は念仏とは何かと説くが、弁栄上人は、念仏したらこう成ってこう成ると説く。その構造をもう一度別の立場で展開した人が山本空外上人です。従来123と順に説いたのが、空外上人では1の中に123があり、そのまた1の中に1から3が在る。また、その1の中にというふうに立体的に解釈している。十二光仏も螺旋(階段)のように見ている。そこが現光明会員に余り理解されていない処だ。