光明の生活を伝えつなごう

近畿支部だより

近畿支部 平成28年2月

近畿支部弁栄聖者ご祥当会

佐野 成昭

11月30日(土)午前10時より午後4時まで京都山科念仏道場にて合計13名の参加者を得て弁栄聖者ご祥当会を開催しました。

今年は聖者の96回忌に当たり、聖者と近畿の直弟子方のご回向をさせて頂きました。参加者の多くは長い経験者が多かったのですが、初心者が1名おられました。島根県向西寺住職の山上光俊上人をお導師としてお迎えし聖者のことも話して下さるようお願いし、二席のご法話を頂きました。維那が筆者、大木が橋本週平氏。

時間割は午前10時より朝の礼拝とお念仏。11時法話、12時昼食、13時聖歌「清浄光」で始まりお念仏、14時ご回向10分後法話、3時半聖歌「のりの糸」、座談会で16時過ぎ終了。

ご法話は次のように理解しました。

午前の席

聖者ご祥当に当たり聖者のお陰で皆さまとまたご縁が出来ました。その教え、光明主義を難しく説く人もいますが、私は、光明主義とは「全宇宙を身とし心とする阿弥陀様で、気付かないけれど全身から光明〈十二光の〉を放ち続けている仏様で、私達のことを聞いて下さり、見て下さり、分かって下さる方で、殊にお念仏をする人には白毫で照らして下さり、阿弥陀様のぬくもりを与えて下さるので、それが感じられる体験のある体験宗です。

礼拝儀で一番大切な所は、一番トップに書かれている「聖き名(名体不離の南無阿弥陀仏)に帰命〈心から仏や仏の教えに従うこと〉し奉つる」です。そして、次に重要な事は、十二光の「至心に讃礼す」の「如来無辺の光明は…」「絶対無限の光明に…」「甚深難思の光明を…」と「光明」が八回も書かれている所です。そして、その光明をどのように頂いて、それがどのように働き、どのように心に満ちて行くかが重要です。(尚、弁栄上人が晩年大正八年頃北九州市楠橋専福寺で新しい礼拝儀が出来た時、礼拝儀の中で最も大事な所は、「今現に此処に」と「難思光仏」の「至心不断」と田代くまゑ老婦人に問うて説いているということを筆者は思い出します。)
始めお釈迦様は、「悟った」と言わず、「不死が得られた」と言った。「死んだら何もかも無くなる」とガンになって悲嘆した人にこの事を語り、お念仏に導いたら光明に照らされ、心が明るくなってガンが消えた。

物質繁栄国家の米国では、今「マインドフルネス(念)」心の心田を耕すという仏教の思想の本が流行っている。光明主義では、これが「霊応身をいつも心に宿す」ということに発展しています。聖者は物質繁栄からかけ離れた極貧の生活と態度で一点の私心も無かったと岡潔先生が尊敬している。あれがほしい、これがほしいとは言わなかったし、風邪をひいて寒風の深夜、長野駅近くで宿に泊ることも欲しなかった。それ程無私の人格だった。

午後の席

午後は名体不離(名は体を表す)のお話をしますと言って、弁栄上人の木叉上人宛「年頭法語」と木叉上人の「光明三昧(信心を養う方法)」の資料を配布紹介されました。後者について重要なことは次です。[ ]内は山上上人の説明です。

「尊きものは困難なり…辛抱こそ信心の背髄なれ。願心や味が無くとも、心散乱せばするままに念仏す。盲目滅法称名持続さえして居れば味が出る…一心が光明の中に出さえすれば魂の夜が明ける。『南無』と呼ぶ我が前に[そこにある*お絵像の後光のように]光明赫灼〈まばゆいばかりの輝き〉として…活きてまします如来様に物を言うばかりに南無阿弥陀仏、南無阿弥陀と申し…この内感の交渉こそ信心のレールなり[光明として答えて下さる呼応関係を持つ]。み姿が心に浮かべられるように、[想像でもよいから]心の種板に写真の如く焼き付け置くが肝要なり[それが念の形成となる心念口称の念仏です]。口に称うる時も称えざる時も(称えざる時が至極肝要なり)…み姿を憶い奉るべし。『南無』と如来様のみ姿を心に打ち込んで『阿弥陀仏』を頂く…かく心が私と如来様と巡環し…その光明を獲得し、化合し、経験す。」

前述の*印そこにあるお絵像とは「三聖来迎曼荼羅」の三尊仏で山科道場にあったコピーをお飾りしたもので、山上上人が、それを見て「これは見た人に霊性を与える大変素晴らしいお絵像だ。百回忌の時、配布すると良い」と昼休みに述べていたものです。

今回、参加者より維那の三礼が長すぎると指摘されました。かつて佐々木隆将上人や鈴木美津子さんも長目でした。これは重要なことなので次のように返答しました。「私は礼拝儀(平成6年16版や昭和9年の楽譜が正確表示)にある三礼の楽譜に合わせて行っています。皆さまがその楽譜の最後の一小節を省略しているからそう思うのです」と。省略された最後の一小節とは「陀―」を一旦低いシ音階に下げてから「仏―」と称える所です。一旦音程を下げることには、如来様に対してへり下る意味があります。そして、ここで手の平を耳迄上げる時、如来様がこんな私でも接して下さるという大切な個所で、そういう気持ちに成り切ることが大切です。

三礼で聖者に教化された鈴木憲栄上人のように、また、「礼拝儀をあげられない程忙しい方は三礼だけでも行いなさい」と木叉上人がおっしゃっている程「三礼」は大変重要です。聖者百回忌には全国的にこれに統一してほしいと切望します(それ迄に礼拝儀称え方一例の楽譜見本と見本CDを作成する予定です)。

別時後の座談会と再度外に出てのレストラン座談会では、「泊りの別時をしたいが、台所仕事の人手が困難な問題がある。その時間と手間を減らすお別時をしたい。それにはどういう食事方法にしたらよいか」という来年のための前向きな話し合いを行いました。

山上光俊上人のご法話は、難しい言葉が少ないのと、感情を大事にするので分かり易いとの参加者の感想がありました。今回は、2週間前に開催された「りんご念仏会」で古田幸隆上人から頂いた百年以上前の貴重な聖者の御遺髪をクリスタルガラスケースに入れ山科道場にお祀りし、出席者に拝観して頂きましたが、「わー凄い」と大変良いご祥当別時となりました。

合 掌

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