次は『礼拝儀』の一番はじめにでてくる「三礼」について考えよう。この三礼というのは三回、頭を下げておじぎすることだね。そのおじぎのくわしい仕方は上手な人にきいてね。 この三礼、だれにむかって頭をさげるんだろう?もちろん仏さ…
(続きを読む)次は『礼拝儀』の一番はじめにでてくる「三礼」について考えよう。この三礼というのは三回、頭を下げておじぎすることだね。そのおじぎのくわしい仕方は上手な人にきいてね。 この三礼、だれにむかって頭をさげるんだろう?もちろん仏さ…
(続きを読む)次は『礼拝儀』にある「至心に回向す」について考えよう。この「回向」というのは「如来様のお手伝いをします」という意味なんだ。私たちが毎日しているすべてのこと、これを如来様のお手伝いと受けとめていくんだ。お念仏をお称えするの…
(続きを読む)次は『礼拝儀』にある「至心に懺悔す」について考えよう。また難しい漢字が出てきたね。正直に言うと僕もこの字は難しくて書けない。でも意味は簡単。いつもしかられたあとに君がいっているあれ。「ごめんなさい。もうしません。」これが…
(続きを読む)次は『礼拝儀』にある「昏暮の礼拝」の「至心に感謝す」について考えていこう。感謝というのはみんなもう知っているね。「ありがとう」ということだ。今回はこの感謝について真剣に悩んで考えて、そして答えを見つけたあるお坊さんの詞を…
(続きを読む)次は『礼拝儀』にある「至心に発願す」について考えよう。「至心」というのは「こころをこめて」という意味だったね。その後の「発願」とはどういう意味かな?発とは「ホツ」と読んでいるけど、出発の「パツ」と同じ漢字だ。意味は「はじ…
(続きを読む)次は『礼拝儀』にある「至心に勧請す」について考えよう。「至心」と「勧請」、これはむずかしい漢字がでてきたぞ。簡単にいうと、「至心」というのは、「心をこめて」という意味。そして「勧請」というのは、「如来様どうか私のところに…
(続きを読む)『礼拝儀』にある「至心に帰妙す」っていうのは、自分勝手にならないよう、心から如来様におまかせします。って意味なんだ。 君の命って自分勝手にしていいものかな?よーく考えよう。お米だって、お魚だって、みーんな命をもっている。…
(続きを読む)声をだして「なむあみだぶつ」とおとなえすることをお念仏というんだよ。ころんで怪我したりすると、「お母さん、痛いよ。助けて」って声をだすよね?テストの点数がよかったら、「お父さん、ねぇねぇこのテスト見て」って言うよね?それ…
(続きを読む)私達は、本当は 如来様 の光の中にくらしています。如来様は、なむあみだぶつとお念仏する私達の命を抱っこして、いつも一緒にいてくれます。お父さん・お母さんのように優しく見守って、手をひいてくれるから、私達の命の親様です。 …
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