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聖者の偉業

聖者の偉業 No.9 十二光仏の哲学考察 (形而上論、心理論、倫理論)

出典『観照』第16号 昭和6年10月谷 安三師 速記

十二光仏の哲学考察 (形而上論、心理論、倫理論)

無量寿仏より炎王光仏までは宗教形而上論なり。または如来論あるいは宇宙論とも言うべきである。我々が直接に感覚するものでなく、宇宙に遍満する実在を論じたものである。すなわちこうなければならぬ、こうあるべき筈である(無論宗教の方ではこうであると断定する)。この形而上論に演繹と帰納との二つの方面がある。

演繹とは理としてこうなるべきである。釈迦の教文に説くところを出して考えてみるとこうなるそう言うふうに出し延べていく方である。

帰納とは自分の実験は狭いけれども、しかしながらその得たところの実験から全体を想像する事ができる。それに依って推測してみるとこうなるすなわち節穴から覗いた実験によって青空の全体を想像するのである。それを帰納という。

無量寿無量光仏は宇宙の体は常にかくの如きものであるとの論、無量光仏は宇宙の相はかくの如き大智慧にして且つ妙色荘厳のお浄土であるとの論、また無礙光仏は如来の働きは当にかくの霊徳不可思議であるとの論、すなわち宇宙の体相用である。

次に無対光炎王光仏は人類と如来との関係の究極を積極的消極的の二方面より論じたもので、人類の形而上論とも言うことが出来る。その形而上論を過ぎて次に宗教心理論に入る。

我々の心に直接感ずるものはすべて心理論の範囲である。如来の光明を蒙れば我々の精神状態がこう言うふうになってくる。我々の感覚が清浄光によって浄化されれば、八面玲瓏六根清浄となる。我々の感情が歓喜光によって融化されれば、すべての苦悩は尽き果てて歓喜踊躍、禅悦、法喜、微妙なる感情の中に生活する様になる。我等無明の智慧が如来智慧光の光明を蒙れば開示悟人、如来の中心を明るく知る事を得て、また迷うことがない。我等の意志も如来不断の光明に霊化され善化される暁には、生まれながらにして持っている罪悪の根源たる我欲も消え、絶対の如来に向かう如き我等の意志が確定して作仏、度生の願を起こして如来の御子としての務めを果たすようになる。かくの如く「光化の心相」すなわち光明を蒙れば心がいかに変化するかを論じたものが宗教心理論である。それが難思光無弥光超日月光に入ってからの道程を論じたものである。

我々が信仰に入って如来の光明に浴する。そうしたならば藍壺に布を入れたように一時に染まってしまうものか、それとも漸々に進んでいくものかと言ったならば、それはやはり階級的にいくものである。その階級を三階と言う。

一、難思光 喚起位
二、無弥光 開発位
三、超日月光 体現位

難思はすなわち思議し難しである。我々は経験しないことは解からない。すなわち思議し難いこと時はまだ阿弥陀仏に対する信仰が呼び起こされた時代であるからこういうものであるという事は判然と解っていないが故に難思なのである。蒔いておいた植物の種が初めて芽生え出してきた時である。

その情態の次に花の咲く時期がある。その時は、如来と感応した時である。しかもその感応は言葉で言い表すことは出来ない。冷煖の自知であって説明は出来るが、その実感そものもは説明の範囲外である。これの言えないところまで来なければ本当の信仰ではない。故に無弥光である。

次に体現の時代がくる。すなわち超日月光。太陽の光の中に一切の万物はその生活を営む。我々の心霊は弥陀の光明中においてその生を育まれる。すなわち弥陀の光明中における実行の時代である。自己のすべてを如来に投じて如来の心を我が心とし、身口意の三業、行住坐臥の四威儀が皆、如来の聖旨に契い如来の子として立派にその務めを果たす様になるのである。その信仰生活の道程を論じたものがすなわち宗教倫理論である。

(十二光仏の哲学考察おわり)

編集局より

ここで弁栄聖者とこの法話聴書の筆記者である谷安三師との値偶の縁を紹介したいと思います。その記事を『観照』第23号(昭和7年5月)に恒村夏山氏が認めています。

故谷安三師入信の動機と弁栄聖者

故谷安三師は京都市吉田町の人であります。非常に優秀な頭脳の持ち主で、また弁才に長じ、中学時代から各校連合弁論大会などで優勝された事などもありました。中学卒業後病気にかかり静養しておられました。初め親友松井氏の手引により光明会の事も聞き、また京都光明会の発会式にも来ておられたが、中々独特の見解を持して容易に降りませんでした。

大正9年の5月頃、弁栄上人が私の家に御泊り下さいました。翌朝早朝から随行して見えました鈴木上人と外二三人が御一緒に二階で御念仏最中に、谷氏は突然私の宅を訪ねてみえました。
「弁栄上人が御出だそうですね」との問いに、
「今二階で御念仏中です。早く御上りなさい」
と連れして二階に上りました。皆が木魚を叩いて念仏する様を不思議そうにじっとして見ておられるものですから私は傍の木魚をつきやって、「貴方もこの通りお念仏なさい」と云いました。

谷師は仕方なしに木魚を叩き始めましたが、ものの十分とたたぬ内に谷氏の念仏の声は次第に熱を帯びて高調を帯びましたが俄に木魚を止めてじっとしています。また念仏を始めるとまたまた熱烈なる念仏の声に変り、かくして二三回同様の事を繰り返された後、ワッと計りに泣き伏せられました。

念仏がすんで上人様は深い慈愛の眼をもって谷氏を見給いつつ、下の離れへ行かれました。私は谷氏を促して上人様の居間にお連れ致しました。ご紹介しました後、谷師は告白致されました。

「私はこれまで念仏というものは祈りの一形式だと思っていました。形式であるからぜひ念仏せねばならぬと思ってませんでした。他の形式をもってするのも同じ事だと思っていました。しかるに今日私は初めて上人様の後ろで念仏致しました。そうして悟りました。この念仏こそは私共が生れ出てオギャーと最初の産声をあげたその声の中にも求め求めていたものであったという事を今知らせて頂きました」

と申し上げてワッと泣き伏しました。上人様は一層やさしく
「如来様は昔の昔からあなたの霊の目醒を待ってお出でになりました。今日お会い出来て如来様もさぞお喜びでございましょう。
と仰せられました。

その後の谷師の変り様は一切の家庭の反対もあらゆる事情も振り切って直ちに上人様のお弟子になりました。四年前の夏不幸にして早世されましたが、今に私は谷師ありせばと思い出る事のみです。

(夏山記)

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