光明の生活を伝えつなごう

聖者の偉業

聖者の俤 No.7 さえられぬ光に遇いて 1

さえられぬ光に遇いて 1

熊野 好月

救わるる前後

私こそは如来様のまな娘でございます。用意周到な備えをもって、本覚に帰らしんめんとのお慈悲から、手を変え品を変えてお導き下さいました事を思います時、感謝の涙が止まらぬのでございます。いざ、これより暗の中に居りましたこの小さきものが、明るい心に導き出されましたよろこびのあとさきを述べさせていただきたいと思います。

青天のへきれき

生れ難い人の世に生をうけるさえ有難い事でありますのに、財産は無くとも、とりわけ平和な家庭の中に育まれた私は実に幸者でありました。破屋はわずかに八人の家族の膝を入るるに足り、おゆずりの着物を身に着け、食はわずかに餓えを凌ぐに足るという、赤貧洗うが如き状態ではありましたけれども、他に迷惑をかける程ではありませんでした。親子一つ心に溶け合って互いにはげまし合い頼りあう、世にかような幸福な家庭がまたあろうかと、子供心に思われた程でありました。嗚呼かくも美しい清い幸福、それは精神的に結ばれてあるもので、この幸福だけは何時までも、何処までも、永遠に変わらぬものとお互い信じ切っており、そこに無常の風の吹き入るすきまがあろうとは誰も思い及ばぬ事でありました。

親は子を、子は親を唯一無上のたよりとし宝として、この幸福を与えて下さった親のまします事を知らずにおった私共の上に思い掛けない警鐘は打ちならされました。

それは無明に盲た当時の私にとっては余りにも無情なあまりにも手厳しいものでありました。それは一家の希望であり、光明であった、大学に在学中の長兄が流感のため、急にたおれた事であり、続いて中心であった父が、兄を悲しむ余り、兄の忌明の日に脳溢血を起して、再び立つ事の出来ぬ身となった事であります。これぞ、青天の霹靂、残された母を初め世間知らずの私共はお先真暗になり、一体どうなる事かとただおろおろするばかりでありました。

なやみの谷底

一家は淋しさと不安と嘆きの声のみに満たされました。ああ居間までの和気に満ちて楽しかった雰囲気は何処へいって仕舞ったのか、夢であったのでしょうか、人は死ぬものであるという事は知っていましたけれど、私の直ぐそばに死魔の手がのばされようとは、しかも家の中心を抜き取って仕舞われようとは愚かにも思いもかけなかった事でありました。

昨日まで快活に談笑しておった兄が、経は早や呼べど何の答えもない白骨と変わりはてて仕舞った。一体魂の行方はどうなったのでしょうか?一家の嘱望をに荷負っての懸命の努力と修得した学問は一体どうなったのであろうか?

からだと共に消滅したとそれば余りにも果敢ない事である。またこう考える事は恐しくもございました。自分たちがこうしてあくせくと働いているのは、丁度鼠が車を回す姿と同じで、じっとしておれば落ちると思って、ただ足と手を忙しそうに動かしているが、よそから見れば一つ所にじっとしていて車だけがくるくるまわっている。それと同じ、自分のすがたを見出したのであります。一体私は何の為に生きているのか、何を目的として毎日をいそがしく暮しているのか、こうしてあくせくしていても兄のように死んで仕舞えば万事消滅するではないか、父の様に病気につけば頭に蔵めた万巻の書も、腕に覚えた技も何の役に立たぬものになって仕舞うではないかと考えて来る時、何をする気力もなくなって仕舞いました。

腕に頼る力も持たない私はただ、天にも地にも親のみ頼り、すべてを任せておりましたのに、生身をもっているものは何時死とか病気とか襲って来ないと限らぬのである。そうすれば親すら絶対の依所ではない、今のこの身にたよるべき何があるかと省みる時、若い女の身は何ともいえぬ心細さに捉われるのでありました。まして残された弟たちは未だ幼い、この一家を背負うの責任はこの身に振りかかっているではないか、強くなりたい強くなりたいともがきますけれども、素養のないかよわい身は、双肩にかかる荷の重さにたえかねてはよろめくばかりでありました。初めて私は、人の世には何一つたよるべき物はないのだという事を、痛切に感じたのであります。

  • おしらせ

  • 更新履歴

  •