光明の生活を伝えつなごう

聖者の偉業

聖者の俤 No.10 さえられぬ光に遇いて 4

大悲のみ手にひかれて

熊野 好月

法悦の味わい! 世の中にこれ程深く無限に、さむる事のない喜びが他にありましょうか? 滅ぶべきこの世の浅はかな快楽、あの露のように消え失せる喜びの半面に悲哀と苦痛とをふくんだそれと、絶対に比べる事の出来ないものでございます。私は初めこの尊い歓びに浸るには余りに心の汚れとひがみと疑いとを持っておりました。けれどもこの心の垢も、大慈大悲の光明の前には、朝露のように消えて、今は真正面に如来の慈光を心ゆくばかり仰ぐことの出来る身となりました。

これでこそ、人と生れた真に意義ある心ゆたかなる生活をなす事が出来る事を知りました。

大悲の救いの御手に泣きぬれて「南無」と御許にひれ伏しました時、大ミオヤ様はこの世のすべてのものをゆるがせて、この私一人の為にすき間なき御はからいを賜わりました。ああ、私ぞ「如来様のひとり子」でありました。如来様のひとり子というこの思いほど絶大の幸福がありましょうか、真のみ親を知ったよろこびほど嬉しい事が何処にありましょうぞ! 誰れもが一度はこの「如来様のひとり子」という実感に立ちかえらねばうそだと思います。

ああ、すべては無礙であり、よろこびにふるえておりました。草木も虫けらにさえも我が同胞であり我が友として話しかけたい無限のなつかしさと親しさを覚え、合掌したい貴さを感じました。喜びあふるる当時の心境はお慈悲の中に落ちつき、大悲に馴れました今から顧みてなつかしい思い出であります。平等一子の大悲! 

何と意味深遠な言葉でしょう。さえられぬ真理の光、道徳に捉われずして自然に道にかなう、愚痴も取り越し苦労も心を煩わす事なく、世人におもねらずして然も人にいれられる。すべてのものをそのままに見る事の出来る総べてをそのままと許さるる世界、そこは実に心ひろく体ゆたかな境界でありました。もはや貧しさなど何のわずらいもなく、また不思議にも必要な時には自然に必要に応じて物は与えられるのでした。はてはその日その日の天候さえもこの身の為に都合よくはからせ賜うありがたさ、すべては光でありよろこびであり、右するも左するもみむねの裡にありました。ああ念仏! 念仏こそ死んでから先の為に唱えるものでなく、今日ただ今より真に生きるためには一時も離れる事の出来ぬものである事をよくよくわからせていただきました。端的に申せば私たちは念仏するために人と生れて来たとさえ申せましょう。この世のいとなみ、起きて食い、着て働く衣食住のために営々とわけなく動いているそれは何の意義がありましょう。これは活計でなく一歩一歩墓場に近づく死計であると弁栄上人は仰せられました。実に真の活計は仏を念じ仏の世界に生れるにある事がわかりました。然し私が初めそうであったように、念仏するという事は余りにも世の人々に悪い先入観がしみ込んでいます。念仏を申す身となって後も尚この先入観が素直に無心になる事を妨げました。

ある時上人様に「このみ教えこそ万人等しく要望する最も自然な最も勝れたもので、ぜひすべての人々に伝えひろめたい心が切におこりますが「南無阿弥陀仏」と申す言葉はあまりに世人に嘲りの感や縁起の悪いもののように思い込まれておりまして非常に伝導のさわりになります。同じ意味で新時代に適した、かわった唱え方をお考えになったらいかがと思います」と申しますと、上人様はお笑いになってやがて「やはり南無阿弥陀仏ですね」とただ一言仰せられました。その時私は返すべき言葉もなく心を打れて襟を正したのでありましたが、今になってこのお言葉を実に貴く味わい深く感じ、やはり「南無阿弥陀仏」より外はないと思うのであります。

御光に照らし出された歓びと、この道をただ一生懸命まっしぐらに進もうという勇気をおこさせ、それと同時に上人様は前後も忘れてよろこびに浸る私の、次に行くべき正しい道をお示し下さいました。すき間なき御導きのあとを私は何時も忘れる事が出来ません。

御光は忽ちに暗かった我が家にもさし込みました。初め父は私の余りにも熱中いたします事を案じて「宗教に凝りかたまってはいかぬ、やはり正当に批判して、よい所をとって短所を捨てよ、宗教狂いといわれるな」などと申しておりましたが、終にはこのみ教えの最も優れて高尚で深遠、知情意のどの方面からも徹底的に満足する事の出来る円具の教えである事を知り、また弁栄上人の御霊格に接しましてからは寧ろ私を励ましすすめてくれるようになりました。弟妹達も皆深くみ教えに帰依してくれまして、一時は中心を失って去就にまよい、淋しさのどん底にあった私の家に、今度は、大ミオヤ様のかわらぬ御光を中心と仰ぎ共にお慈悲を歓びあう明るい家としていただきました。その後今日に至る幾星霜、入信後第一年には、はや悲しくも師父弁栄聖者の御遷化、続いてその翌年父の西逝にあい、その他幾多の波瀾を越えなければなりませんでしたけれどもその間ただ、貴きみ教えを力の杖とし、すべての逆境をも育てんとの大ミオヤ様の御慈悲と思い取らせて戴き、心からなる感謝の裡に越させて戴く事が出来ましたのは、全く大ミオヤ様の御慈悲、師父上人様の御まもり、そして先達、道の友のおかげと、こ洪恩に報いるべき何の力もなき身を至心に懴悔し、只管、ミオヤの光を盛るべき容器となって身と口と意の上に聖意の現われん事を至心に冀い奉る次第でございます。

うつり香

お香を包んだ紙には自然の香りが移るように、また電磁石の磁場内におかれた鉄片はおのずと磁力を持つように、聖者の雰囲気の中にある私達は、不思議にも無礙でありすべてに自由でありました。み光に常に充ち満たされた心にはもはや虚偽も飾りも必要がないのでした。生れたばかりの赤ん坊のように赤裸々な単純さ、のびのびとして何の行き詰りも感ぜず、常に歓喜と平和に満たされたその当時の心持ちは到底筆や紙に尽されませぬ。

おじいさんを取り囲んだ孫たちのように、この地の若い光明会員とそして私達は暫しもお側を離れずにお話をむさぼり聞いたのでありました。今までの善の裏には必ず悪をともなっている。所謂相対的の善にあきたらなかった私に、ハッキリとした唯一の絶対的な標準を知らせて下さいました。今はただ、この目標に向ってまっしぐらに進めばよいのです。

私の短い生涯は、この唯一つのめあてに向って近づくべき努力そのものでなければならないのでした。また、この目標に統一されてのみ、国家も社会も家庭も理想的な、矛盾なきいとなみが出来るのである。「これこそ求めておったわが宝、我が使命」と、私たちはもはや今にも理想実現の力を得たかのように、有頂天になって喜んだものです。この有様をみて上人様は、にこやかに笑みをたたえて、「うつり香ですね」とただ一言仰せになりました。全く聖者の雰囲気中にてのみ香り得しうつり香に過ぎなかったことは、御許をはなれて京都の生活にかえった時つくづくと感じた事でした。単なるうつり香では未だ何の力もないのでした。さても偉大なる光りと香りの持主よ! 何ものをもうち捨てあらゆる障害を打ちやぶってここまで参りました私には必死の覚悟がありました。これまで求めて来たものをこの度こそ、はっきりとつかまなければならない、この願いを妨げる何ものをも退け、打ち捨てなければならぬと、その時ばかりは家も学校も問題ではなかったのです。故郷を離れた寂しさも不思議に感じませんでした。この心のうちに貴い御教えは植えつけられていきました。

お授戒について

仏教に縁の遠い家庭に育った私には、授戒会というのが何の事とも知らず、唯、上人様をお慕い申すその一事で、こうして見も知らぬ所まで参ったのでした。
授戒会第一日に初めて、授戒には三聚浄戒といって、
一、一切の悪をつくらず(摂律儀戒)
二、一切の善をなす  (摂善法戒)
三、一切の衆生を利益す(饒益有情戒)
の戒を授けられ、戒体発得し、仏となる資格をうけ、その戒の保持を誓う。世にも荘厳な式である事を知りました。

そして、戒と信とは二にして一、丁度表と裏の如く、親のよかれよかれの育て心の現われを信といい、戒は親の意にそむくまいとの子の心がまえ、かくして仏の子として漸々(全受分持)お育ていただくお慈悲なる事をきかされました。一旦戒をうければ丁度、土を焼いて陶器としたようなもので、たとえ、また土の中に交っても、もとの土とならぬように、一時は堕落する事があっても、必ずは仏子としての自覚は失われないという事を上人様にしっかりと暗示されたのでした。これぞ私の心の田に、仏となる種を蒔き下して下さるのだという事を知りまして、私は、この罪障深き身の、何の勝宿縁あってか、かくも世にあい難き聖者に直接に仏種をいただくの縁に恵まるるかとただ勿体なさ、有難涙に咽び、懴悔と感謝のうちに、御手ずからなる御剃度、御血脈とお袈裟、そして戒名を「好月」とつけて戴いたのでございます。ああいずれ今は拝すだに貴き聖者の御形身でございます。もともと何の素養もない私の心には、お上人様の授戒でのお説教は、「ただお念仏せよ」これがすべてであったようにさえ聞こえました。「たとえば杉の種をまいて芽生えても一時に大きな杉の木とならぬように仏様のお慈悲を戴いて段々とお育てをうけるのである。我々に無始以来、多くの業障をもっていて、初めは如来様のいます事尊いという事さえわからぬ、至心に懴悔し、念仏する時、次第に光が入って来て罪の深い事もわかって来るのである。信仰心のない人は人の悪は見えても、自分の悪い所は見えぬ、唯如来様のみ光に照らされてのみ己が罪に気付くのである。こうして人として生かされているその事がすでに大きな御恩ではないか、まして耳に聞き眼に見る事等の能を与えて戴いた御恩を忘れてこれを我欲のために悪用し、かえって恩を仇にかえしている。如来様は親なればこそ益々あわれと思召して救いの御手をさしのべ給う。

※1 私ぞ 私こそ。「ぞ」はいくかの中から取り立てて強調するための助詞。
※2 幾星霜 長い年月。(出典『広辞苑』第六版)
※3 西逝 亡くなること。西方浄土へ逝くこと。
※4 戒体発得 受戒によって、自身の中に備わった戒を守る力が発動すること。
※5 全受分持 戒を全部受け入れ、力に応じて、一部分ずつでも勤めて実行することをいう。
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