光明の生活を伝えつなごう

聖者の偉業

聖者の俤 No.14 さえられぬ光に遇いて 8

お授戒について(前号つづき)

熊野 好月

お留守中の事、私共都会人にとって、飛びまわる田舎の蝿ほど気味のわるいものはありませんでした。御飯といわず真っ黒にたかり追えど追えどもしつこくやって来ます。殊に神経質の私達ひまにあかせて庭の棕梠の葉で作られた蝿たたきで、撲滅運動が始められており、その習慣を、お上人様がお帰りになった後も何の気なしに続けていました。何とも仰られずだまって見ておられたのですが、やがて夜となれば今度は蚊軍の襲来です。その鳴声が室一ぱいに少々の蚊やりの煙位では何の効果もありません。お上人様のお頭といわず手といわず所きらわずさしまわる蚊にじっと血をすわせておいでになります。お気付きでないのかと「お上人様蚊が」と申し上げますとお頭をそっとつるりひとなでしながら「蚊はいのちがけで来るのだ血の一滴位供養してもよいではないか。人はわずか蚊一匹のために五尺のからだが捉えられて鬼の心になっている。蚊を殺したと思っているが、豈はからん、仁の心自分の大切な霊性を殺しているのですよ。」その後昼間活躍していた蝿たたきがいつの間に姿をかくしたやら、蝿や蚊は相かわらず、吾がもの顔に飛びまわっていますが不思議にも今迄のように気にならず、仲よく同居しておりました。ここにも理窟でない事実の上の大きな教訓を戴いたのでした。すべてはこちらの心の現れで、対立の敵の心をもってむかうから相手も敵のように禍するのであるという事を。

ある日の事でした。京都で見るような静かな雨が音もなく降っておりました。一同は下のお室で昼の御飯を戴きながら前栽を見ておりました。すると見なれないきたない小犬がむこうから一直線に走って来ました。縁のところで何かくれるのを待つのだろうと思っていますと、そうでなく、何のためらいもなく、小僧さん達の制止もきかず泥足のままでお座敷へ上って来ました。私たちは驚いて犬を追い出そうと、きおい立つ中に、お上人様は優しく静かに、コイコイといって犬の頭を二三度なでておやりになりました。するとそれでいかにも満足したように、またしても振り向きもせず、スタコラと元来た道をいずくともなくいってしまいました。その後一度も姿をみせませんでしたが、犬らしくない仕草と、その心を知りぬいていらっしゃるらしいお上人様の御愛撫の光景にのまれて、常ならば気になるであろう泥の跡までが問題でなく思えたのでありました。

仏画にお忙しい中にも来客が絶えずありまして、そんな時に処せられる御態度がいかにも自然で取つくらわれる事もなく、よろこび迎えてそれぞれの所要を満足せしめられるのでありました。光明学園の生徒が単身たずねてみえました時などあれ程忙しく動かしていらした絵筆を投げすてて、その人の方へ向き直って淳々と時のたつも忘れて、おや様の慈悲を説いておられます。上溝という所の呉服屋の店員が数名休日を利用してお参りした時にもそうでした。かと思うと寺の総代方が紋付羽織で威儀を正して何か寺領の事で御相談に来ました時など、筆を依然動かし続けながらそれに応じておられました。如何なる場合にも他に引きずられる事なく、随所に主となってなさる上人様の無我の行動には何人も文句をいえるすきさえなかったのであります。

時には軽い笑談など仰せられて私達を笑わせられる事もございました。ある日の茶話に徒歩旅行や行脚のお話が出ました。松井さんが「自分は一日に二十五里歩いた事がある。あした東京まで一寸行って来ようと思う」と申されていました。翌朝の事、生憎松井さんはいつになく朝寝をされ、八時頃お上人様が朝食をすませて、二階に皆を集めようと鈴をふりながら、上ってみますと、そこには未だ蚊帳の中に松井さんがねておられたのです。お上人様は御自分で蚊帳の釣手をはずしてやりながら頭をかいて恐縮している彼に「松井さん夢に二十五里歩いたのでそれできっと疲れて寝坊したのでしょう」といって笑っていらっしゃいました。

この生活の間、私は男の方々のように大びらにお昼寝も出来ず、その時間はお洗濯や裁縫をさせていただきますし、朝も皆様に遅れまいとすれば結髪などのため合図より早く起きねばならずどこまで、「からだが続くか試してみよう」と一生懸命頑張っていました。日頃鍜えていないからだですから少々無理でありました。しまいに全く疲れて心ひそかに「ああ家であったら一日位のびのびと休まれるだろうに」と思ったのです。この心をいち早くお読み取りになりましたものか、お上人様が「徳永さん、○○○○○(上の句失念)都の方の恋しくて 当麻の空にあき風ぞ吹くのではないですか」と仰っておからかいになりました。

こんな軽い打ちとけられた一面もこの上もなくなつかしゅうございます。

かくも精進のにぶい私、どうしたら皆様のように目覚ましい進境を得る事が出来るかと、それを苦にし愚痴をこぼしていました。すると、お上人様は声を励まして「法然上人さえ四十三才の時から念仏を申されて三昧発得遊ばしたのは六十三才の時であった。大器晩成という事がある。あせってはいけない」と仰って、お願いした扇面に次のお歌を書いて下さいました。

あくがれて御名はよべども雲はれて
いつみまつらん月の面影  
弁栄上人

(次号へつづく)

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