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聖者の偉業

聖者の俤 No.46 乳房のひととせ 上巻 三月別時(夜のお話) 1

乳房のひととせ 上巻

中井常次郎(弁常居士)著

◇無辺光

智慧の光は法界に照り渡り、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智の四大智慧の相として現わされる。如来の智慧は真理と一致するけれども、凡夫の心は磨かぬ珠の如きものであるから、真理は如実に映らぬ。それ故に智といわずに識という。識は宇宙の半面を見る、即ち内面の真理がわからない。六道の衆生は、夫々の阿頼耶識で世界を見ている。識は心の本体を見る事ができぬ。水を魚は住家と見、人は水と見、天人は瑠璃地と見、餓鬼は火と見る。同じ水を、ちがった阿頼耶識を以て見ればかくの如く異って見える。これを一水四見の譬といっている。仏智を以て宇宙を見れば、無辺の蓮華蔵世界である。人間には太陽は明るく見えるが、もぐらは太陽の光の中に出ると、まばゆくて物が見えにくい。人間の立派な家は、蟻には解らない。六道の衆生は各自の業感に依って異なった感じがする。人間はこの世界で、自分を最も高等な生物だと思っている。大便をきたなく思うのは、人間の感じである。養分の無い物は、不用であるから、いやに感じる。それは無駄をさせぬ為である。

アラヤ識が開けて(向上して)仏智になれば、宇宙全体が浄土と感ぜられる。蠅には田舎も無く、都会もない。仏智を信ぜよ。疑いながら念仏すれば、胎生といって、浄土に生まれても、五百歳の間、七宝の宮殿の中にあって、仏を見奉る事ができない。

極楽は仏智の現れである。娑婆はアラヤ識で見た世界である。アラヤ識が仏智に照らされて、大円鏡智になれば、凡夫が仏になったのである。

マナ識とは、おれがおれがという心である。この世界の三世に渡り、人の心の相に全く等しいものは無い。指紋でさえ、皆違っている。まして全体なる心に於ておや。

平等性智とは宇宙一切の真理が解る智慧である。普通の水は混合物であって、一様で無い。凡夫の心も一様で無い。仏心は一様である。宇宙全体を我とするのが平等性である。自性を知る我は、大自覚の我である。人の五官と犬の五官とは働き方がちがう。仏の境界は想像即実現の世界である。これは成所作智の現れである。吾々も三昧に入れば、実感できる。万物と我々の心との間に感応作用が有る。これを妙観察智という。これは宗教上大切なる智慧であるから説法智ともいう。

法(如来の徳)をよく表すは十二光仏なり。また、行なる念仏の効果は十二光に依って示される。信仰が有難くとも、いいかえれば、皮肉よくとも、骨が丈夫でなければならぬ様に、骨ともいうべき意志の信仰となり、道徳が完全に行われねばならぬ。不断光は意志を育てる。無辺光は悟らす光にて光明を与える。次の無礙光は神聖、正義、恩寵により人格を作り上げる。

〈つづく〉

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