光明の生活を伝えつなごう

聖者の偉業

聖者の俤 No.72 乳房のひととせ 下巻 7 随行記

乳房のひととせ 下巻

中井常次郎(弁常居士)著

◇7 随行記 大正9年7月27日~8月24日〈つづき〉

(六)唐沢へ

 当麻山での最後の日の午後、横浜から久賀博士夫妻が来られ一泊された。そして翌る〈八月〉十六日の午前中にお帰りなされた。私共は午後三時頃から上人様のお供をして唐沢山の別時へと当麻を立った。
 夕方、八王寺に着。大横町の極楽寺で一泊した。夜、信者が集まり、念仏三昧の後、上人のお説教を拝聴した。
 十七日。五時、起床。本堂にて朝の勤行。初めは、浄土宗の式で、続いて礼拝儀を称え、お念仏を申した。
 十時四十分、八王寺発。いよいよ唐沢へ向った。数々のトンネルを抜けて甲州に入れば、山の景色は改まり、筆も言葉も及ばぬ良い眺めである。時々、下車して、じっと眺めていたかった。さればまた来てこの美しい大自然に接したいものだと思いつつ名残を惜しんだ。
 刻々移り変わる野山の景色に送り迎えられつつ、雄大な甲州盆地を遥かに見下せば、羽化登仙の想いがした。
 汽車は信仰界の総大将を乗せて塩山あたりを走る時、大きなカーブを画きつつ排汽の音も勇ましく大進軍。光栄あるこの一行に加わり、しかも上人のお側に侍し得た弁常は得意満面、感慨無量であった。どこで有ったか、見晴らしの良い駅で、自分は葡萄の一籠を買った。笹本上人と差し向かいで「すばらしい景色ですね」「はぁ、さようで」と話し乍ら、それを賞味した。名物にうまい物無しというが、葡萄は小粒で、味わいはさ程良く無かった。
民家の側に棚作りの南瓜を見た。関西では畑に匍わせる。珍しく思った。線路の間近には桔梗、刈萱、山百合、すすきの穂など咲きほこり、旅情を慰めてくれた。
 夕方、上諏訪駅に着いた。お迎えの信者が数人お待ち申していた。山道に入り、急坂を上る事数丁、やっと阿弥陀寺に着いた。
 上人様は坂道を上り乍ら、新聞紙で鼻をかんでおられた。それを見て自分は「勿体ない事だ。学園の経営や伝道の為に日夜ご苦労なされ、万事節約しておられる」のだと涙が出た。
 山の夜となった。三日月は沈みかけ、湖水は眼下に鈍く光っている。下諏訪あたりの火は万灯の如く、老杉の樹間に瞬く。霊山の夜景は静寂にしてまた麗わし。
 夜具は粗末で、風呂の設備も無い。逃げて帰りたく思ったが、これも修行だとて我慢した。

(七)別時念仏三昧会

 大正九年八月十八日。唐沢山の別時が始まった。毎年この日から一週間、弁栄上人御指導の下に、この霊山で催される定めとなったこの別時は、全国一の厳粛なものとして、全光明会員に参加をそそる、あこがれのものとなるべき筈であった。しかるに、これが上人最後の唐沢別時となったのである。それより後は、笹本師が御意を継ぎ、最後まで続けられた。今も尚、月日と期間は昔ながらに相続しているけれども、定った導師は無い。
 四時起床。岩清水で顔を洗い、口をすすぎ、身心を浄めて道場に入った。
 古来、有名な行場には必ず豊富な岩清水が有ると聞く。行者と岩情水とは離れぬ友らしい。弾誓上人は、恐らくこの湧水を見て、ここに留まり、日夜「阿弥陀、阿弥陀」と念仏三昧に精進された事であろう。徳本行者も此処に籠られた事がある。摂氏三度のこの岩清水、夏は痛さを覚ゆるばかり冷く、冬は滝水凍って流れぬ時も、微温湯のような感じだという事である。
 念仏中、睡魔に襲われて困った。明け暮れ、睡魔や粗食と闘いつつ、念仏と聞法の中に七日間を過ごした。
 初日の午後、自分は六枚の写真を取った。天気は良く、日本アルプスの連山にハッキリ見えていた。
 二十三日の午後、懇意な人々を呼び集め、観月堂で記念の写真を取った。笹本上人もその中にあった。弁栄上人にもお願いしたが、御手紙を書いておられたからお出でにならなかった。
 上人が見晴らしの良いお座敷に机を置いて、何か書き物をしておられた時、自分は上人のお側で諏訪湖の景色を写そうとしてピントを合せていた。上人は「私もはいっていますか」と聞かれた。景色の中へ上人を入れていなかったが「はい」といってごまかした。これが一生一代、ただ一ペン上人にうそをいった事と成った。思い出す度にお詫びしている。かくも早くお上人様がおかくれになるのであったならば、景色の左側へお姿を入れて置けばよかったと思う。
 二十四日の朝九時に別時は終った。笹本上人、久賀さんなどは午前中に下山された。笹川さんは崖から落ち、下痢するとて午後、一人帰られた。我々は最後の衆として、弁栄上人のお供をして下山した。途中、山麓の禅寺に立寄り、宝物を拝観しお茶を頂いた。豊富な湧水の見事な滝があり、大きな鯉が群居していた。それから正願寺へ行って泊った。山の阿弥陀寺は、この寺の和尚が兼務している。和尚は耳が遠く、好々爺で、気持ちの良い人である。ニコニコ笑って迎えてくれた。
 寺で一休みしてから、上人は片倉製糸会社の技師長の兄なる某という和尚に招かれて、その別荘へ行かれた。吾々数人の者も、そこの温泉で一浴させて頂くとてお供をした。

〈つづく〉

  • おしらせ

  • 更新履歴

  •