第40回 法のつどい
佐野 成昭
平成26年5月17日(土)~18日(日)一般財団法人光明会主催「第40回法のつどい」が、大本山百萬遍知恩寺にて86名の参加を得て開催されました。「百萬遍」の称号は、源智上人建立の知恩寺が、善阿住職上人の時、上人が百万回称えた功徳で後醍醐天皇から賜っています。
今年はここ数年になく2日共晴れの日が続きました。湿度が少なく爽やかな土曜で始まりました。各地の参加者は、関東21名、中部16名、近畿17名、中国四国7名、九州10名でした。光明学園の若い新任先生5名と引率の先生1名も含みます。また、別途五感に訴える無料特別行事、「心の光コンサート」のみの参加者は15名程(ほとんど過去に縁付いた方)でした。
開会式
プログラムは12時受付、13時鶴山恒教師の開会宣言と聖歌「月かげ」斉唱により、「法のつどい」が開始されました。大本山知恩寺の執事長・長谷雄良裕上人および金田隆栄理事長上人のご挨拶後、亀山政臣師維那にて「如来光明歎徳章」を全員で唱和し、念仏が始まりました。
一席目
14時より1時間大本山の服部法丸台下のご法話がありました。私は次のように理解しました〈今回他の法話もすべて筆者の理解によるものです〉。その概要は、法然上人幼少時父を亡くされた話から浄土宗開教迄と台下の幼少時のお話でした。また、本山行事で最大は法然上人ご生誕の御忌会で大数珠繰りと市で大勢人が集まります。幼少時台下は学校で毎日肝油と一個ではなく特別に飴2個も頂かれた話でした。今はもう、それをくれた方は亡くなられました。お十念を称える時は、いつも数回多目に称えています。それはその方のご冥福追善のためです。
15時より念仏一会
二席目
16時より大厳寺長谷川匡俊住職より「明治の念仏僧・原青民上人に学ぶ」と題してのご法話でした。明治33年『浄土教報』主筆浅草正定寺住職の原上人は、明治33年鎌倉光明寺の千手院で結核静養中弁栄上人とお会いされ、以来上人と多年に渡り深く交わり、弁栄上人の教えに触発された。報身仏の重要性を説き「進歩的宗教」・「弥陀の栄光」・『仏教要理問答』・「信仰要領(聞き書き)」と多くの書を残し、心眼開いて39歳の若さで惜しくも遷化された。長谷川上人は、原青民上人の史料は少ないので史料があれば、是非教えてほしいと述べてお話を終えられた。
暮れの礼拝・念仏
17時より『礼拝儀』を使用し、暮れの礼拝・念仏後、会場を出て別棟の食堂へ行道で移動し17時40分夕食をとりました。
心の光コンサート
18時半より1時間半特別に「心の光コンサート」があり、中国琵琶の名手、?善祥(ト・ゼンショウ)さんが中国琵琶で中国の曲、雲南省の恋の曲等を 琵琶を十指で自在に操って巧みに演奏しました。日本の美しい桜を見て作った「さくら変奏曲」、他に「荒城の月」も。「故郷」は琵琶伴奏で皆が歌いました。日中国交正常化四十周年記念公演(2012年)自作曲の「白帝城追想」は、漢詩の朗詠が含まれていて朗々としたお声を加えて演奏。掛け声「ホウホウ」等視聴者もその歌に加わり楽しませて下さいました。20数年在住の日本語で楽しい説明を加えて10曲余りを演奏。演奏の合間には日本の琵琶との違いを説明されたり、津軽三味線やギター、マンドリンのような音色を出しました。中国政治は厳しいけれど市民レベルは友好です。?さんは日本人奥様と結婚し日中友好と語り、笑いを得ていました。
略歴は『ひかり』四月号に載せてあるけれど、それに加えることは、中国上海音楽学院を卒業後、1989年に来日し名古屋芸術大学作曲研究生後、東京芸術大学大学院を経ています。アンコールは、ベトナムの印象を基に作曲した「越南素描」でした。
また、ジャズ尺八を得意とする矢野上人の尺八が加わった即興と尺八のみの演奏もありました。
次に20時よりお念仏が半時間あり、その日は終了。入浴後21時半就寝でした。大方丈という大きな部屋に男子、女子も他の大部屋2ヶ所で寝ました。
朝の勤行
翌朝5時起床5時十五分に勤行のため広い廊下に木魚持参で並びました。行道で大殿に入堂、しばらく古田幸隆師大木で念仏後、本山の勤行が始まり、唱和しました。
その後、念仏会場に戻りしばらくお念仏。
三席目
6時40分より大屋収栄師の「五眼」と題し自分の経験と大切に思う点をお話されました。その概要は、
- 肉眼…肉体の物理的眼〈ものの一部しか分からない〉
- 天眼…肉眼で見えない世界のものが見える眼。天界の眼。天界は、三十三天あるが、美人のマヤ婦人等が居て非情に心地良く、数億年等の長寿の世界なので、一度味わうとそこに居たい執着が消えないし心が進歩しない。しかし、必ず衰え寿命が来て悲しむ。自己中心で他人のためを考えない世界だ。念仏者は、この天眼に迷い込み抜けられない人が案外居るので大変注意が必要です。念仏中良いものを見ても天眼かどうか注意してください。
尚、別範疇三つの世界の分け方で欲界(地獄から天界の一部迄)、色界(欲は無いが物に執着有り)と無色界(欲も執着も無い精神界)の三界がある。その色界の中に梵天界があり、
そこに生ずる四無量心には慈・悲・喜・捨の利他の心が有ると筆者は思うのですが、それが起こるのは稀なのでしょう。 - 慧眼…この物質世界を輪廻しない本質や真実の世界を見る眼。
- 法眼…仏・菩薩を見る眼。
- 仏眼…あらゆるものが分かる眼。慧眼・法眼共に十分備えた仏様の眼〈他人に仏・菩薩を見させる力がある〉。
能礼所礼性空寂〈礼拝する人と礼拝される仏が禅・念仏によって一つになれば空寂(煩悩を離れた静かな空の境地)となる〉
感応道交難思議〈仏と私が感応道交する境地は思議し難い〉
故我頂礼無上尊〈故に我は無上の尊い方を仰ぎます〉
これは、天台〈禅〉の句ですが、この「無上尊」とは何でしょうか? 聖者が笹本上人に語ったように阿弥陀尊以外の仏菩薩で無く独尊の阿弥陀尊です。他宗では対象の尊像が異なるので仏眼迄到達し難いです。瞑想や禅では、自せい(省)自しょう(照)しなければならないが、念仏は如来様に念仏しながら聞くことが出来ます。
唯一間違いない最良の道は、三昧仏様の一部一部で無く全体〈総相〉をよく見てお念仏することです。これが一番大切なことです。
7時40分朝食後、広いお寺のトイレ、風呂、廊下から各自の部屋迄清掃でした。
朝の礼拝・念仏
8時40分『礼拝儀』により朝の礼拝・念仏
9時30分聖歌「念仏七覚支」斉唱
四席目
9時40分より西蓮寺住職、藤本浄彦浄土宗総合研究所所長は、「辨榮理解の文献・歴史的視点の必要性」と題されたレジメ(要約)を配布され、この必要性があるというレジメ内容の前段をお話ししますということで次のように話し始めました。
仏教は縁起である。法然上人、辨栄上人の道筋があって今日がある。法然上人の教えは『選擇集』や第二祖聖光上人の『末代念仏授手印』等の書物に著されている。また、辨榮上人の教えは『宗祖の皮髄 改定版』・『辨榮上人書簡集』に著されている。宗教とは何かは、西谷啓治先生の「空」の見解、深く探求(深心)する点と岸本英夫先生の人間の生活の意味を与え、人間の問題を解決するものという見解がある。レジメも含めての結論として、真実を深く探求するためには、山本空外上人のように歴史的史料を深く掘り下げる必要がある。そして、体験と照らして、体験と共に車の両輪とすることが大切であると語られました。尚、筆者は藤本先生が以前のご法話で語られた『礼拝儀』も含まれていると思われ、「その読み方記号の付いた文献がある。音符化が必要。」と言われたことを思い出しました。
30分予定より遅れ11時10分より休憩。
11時30分よりお念仏後聖歌伴奏者(ピアノ演奏家)のバッハのインベンション等二曲演奏が有りました。
ご回向
次に会祖より諸先徳および、申し込み回向のご回向が一時間余りなされました。
12時40分より35分間昼食と休憩。
五席目
13時20分聖歌斉唱後、東洋大学名誉教授、光明園園主、河波定昌上首のご法話です。「これは最先端のテーマです」と補足されて「光と空の現象学」と題されました。
京都の下賀茂神社の糺の森は、二~三万年前に形成された原始京都です。この森が出来たのは、まさに目に見えない如来様が現象して出来たものです。何かしら霊性を感じます。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる
(古今和歌集)
秋が来たと目にははっきりと見えないけれども、風の音にはっと気が付かされた。と言う、これも現象学です。
この「現象学」という概念は、ヘーゲルの『精神現象学』から来ていて、彼はカントの「叡智界と現象界」の2世界を批判している。現象とは光明主義では、光明獲得のことです。
田中木叉上人がよく言われるように、お念仏の功「積み」ではなく「積り」のごとく如来様の功=徳が積もる。(法然上人のお歌「いけらば念仏の功つもり、死なば浄土へまいりなん。とてもかくてもこの身には、思いわずらうことぞなき」を引用)
ひかり誌六月号に載せた所ですが、弁栄上人は、キリスト教と仏教を合体させている。キリスト教の神と仏教の如来は同体異名だと言っている。上人の少年時代は、住まいの地、鷲の野に東方教会が有った。そこでイコン(聖画像)を見ている。プレゼンス(存在感)というものを感じる。端的にお経で著されたものが『般舟三昧経』であり、現前に仏を見る内容のお経である。現れた十二光仏は光の現象学であり、無量寿仏が空の現象学である。そこを木叉上人は「あなた無量寿わたし無量寿共に白髪ははえはせぬ」と歌っている。空は禅宗の専売ではない。空は、念仏、浄土門から派生している。光明主義は大乗究竟の宗教である。世界の諸宗教すべてを含む宗教である。今回本題を思うように話せなかったので、次の機会にお話ししますとのことで終了しました。
確かに弁栄上人は、キリスト教の知識を収集していたと思われる証拠の記録を筆者は見ました。それは、『日本の光』220頁「鎌倉安居」に「頭陀袋に聖書…を入れて持っていた」と記述されていたからです。
閉会式
15時全員記念写真を撮り、閉会式を開催。聖歌「法の糸」斉唱があり、15時半終了しました。今回講師の方々だけでなく、各地の参加者の色々なお話しも伺い、交流出来て有意義でした。特に光明学園相模原高等学校から来られた修養会責任者の長谷川明彦先生は、最近学園創設当時の貴重な史料が麻山無量光寺で発見されたと聞かせて頂きました。
それは大正8年4月付け私立光明学園の「宣誓簿」で最初に241文字の立派な宣誓文とその年以後昭和20年迄の教職員・生徒等の署名と血判が押された厚い書類でした。先生が拝読した後、熱いものがこみ上げ頬を伝ったとのことで感激され、すぐに生徒に伝えたとの事でした。弁栄聖者の念と共に、この立派な普遍的根本精神をもって生徒が世界に羽ばたいてほしいという強い願いをもって生徒に伝えたとのことでした。「折しも光明学園は、5年後に創立百周年を迎えますので、その前の良いタイミングに発見された〈本当にそう〉ので生徒に前もって伝えることが出来ます」と熱く話して頂きました。
また、受付近くの光明会書籍や頒布用の唐沢山三昧仏カラーA4写真と田中木叉上人ご法話のCDが置かれていたことは、かつて無く画期的なことでした。両方共、五感も含めそれ以上のスピリチャルなものが流れ出て来るものです。ご法話CDは、本年2月の評議委員会で笹本戒浄上人以下幾人かのお上人のご法話と標準礼拝儀録音例が今後頒布される予定です。尚〈〉内は筆者の参考用の文です。
合掌