光明の生活を伝えつなごう

他場所だより

他場所 平成26年10月

徳林院「光のつどい」念仏会

佐野 成昭

7月11日大阪府豊中市の徳本行者の寺、徳林院主催にて毎年行事、前住職元光明修養会上首、佐々木隆将上人の追恩念仏会が開催されました。その三男である佐々木隆晶住職が導師をされ、次男である金田隆栄理事長がご法話をされました。

午前の部は光明会会員、約17名の出席者で、午後の部は全部椅子に変わり浄土宗形式で約60名の地元の方参加で行われました。午後から金田上人の紙芝居と法話で地獄は本当にあるのか考えさせられました。そして、最後に日本のフォークシンガーの有名人、高石ともや氏のフォークコンサートと楽しいトークを楽しみました。

この日のプログラムは、2階の改築された綺麗な本堂で、ご住職と世話人岩月卓郎当会理事のご挨拶、聖歌、礼拝儀とお念仏、ご回向がありました。午後は、1時半から浄土宗のお勤め、2時より法話。3時より15分休憩後、フォークコンサートが1時間余りあり、4時半終了しました。

金田上人の「地獄のとらえ方」についてのご法話は、次の様でした。

死んで棺桶に入った小僧さんが、蘇生して、死んで行って来た地獄の世界の話をする「小僧の地獄めぐり」という紙芝居をされました。それを見た参加者の2人の小学生は、本当のようで怖かったとの感想でした。一方、子供でない大人の感想は、それは「昔話だ」と思ったかも知れません。しかし、地獄のような世界は本当にあるのです。

実際、明治・昭和の頃、愛知県の永井辰次郎氏が死んで地獄へ行き、蘇生して皆に語り、そんな怖い目に合わぬようにと自らも一日3万遍のお念仏をして人にお念仏をすすめたという事実があります。

また、地獄でお地蔵様や観音様が救ってくれたという話もあります。白隠禅師の記録されたお蝶さん『延命十句観音経霊験記』もそうです。人は、法律だけ守っていてもだめで、法然・親鸞・弁栄諸上人も白隠禅師も語っておられますが、この厳しい生存競争の世の中において身口意の三業で、一日八億四千の念の中、知らず知らずに罪を作っているのが人間の現実です。誰もが、幼少以来、うそをついたり、他人をこまらせたりしていますね。

筆者は現実世界に悲惨な地獄があると思います。例えば、挟まれて焼け死する交通地獄や津波の地獄です。

弁栄上人は「地獄の三階」として、
1)家庭の地獄 例:悪い子供が親に暗い押入れに入れられること。
2)国家の牢獄 
3)宇宙大〈の精神と物質的大法則〉
があると『炎王光』に記しています。徳本上人も「地獄へ落ちるなよ」とよく説法された。

これらの地獄を避けるには、本願のお念仏が一番良いです。念仏一遍で効果があるが、一日三万遍等と多い方が良い。歩きながらも仕事をしながらでも。

コンサートの時間の高石ともや氏は、元クリスチャンでもあったのですが、お念仏のご縁が深く、法然上人をたたえる会の会員でもあったり、走り移動で四国三十三霊場観音めぐり、法然上人伊賀二十五霊場めぐり等をされておられます。また、教団をも捨てるひじり空也上人にも感動され、その歌をも歌われました。日本民族学も学ばれ、自然生活に徹し、トライアスロン選手でもあり、日焼けした丈夫そうな体だから、72歳でも元気に歌える・走れるのだろうと感じられました。

歌は懐かしい歌「古時計」、「この素晴らしい愛をもう一度」最後に「感謝」を皆と共に歌いました。人格円満にどの方面も開発されることが光明主義の目標ですが、その方向性が同じようだと思われました。歌と同じ程お念仏を唱えて各地を走れば、更に理想的ですが。どうだったのでしょうか?

合掌

第93回 唐沢山別時念仏会報告

植西 武子

◇日 時:8月19日(火)~25日(月)
◇会 場:唐沢山 阿弥陀寺
◇導 師:河波定昌上首
◇維 那:古田幸隆上人
◇大木魚:大和伸嘉氏・金田昭教上人
◇参加者:50名

今夏は全国各地から集中豪雨の被害が報ぜられ、唐沢山の登山路も多少の被害があろうかと案じられましたが、大過なく、なんとか天候に恵まれました。

前日の朝に諏訪駅に降り立ち、急いで買い物を済ませ、一路阿弥陀寺を目指しました。本年より、大和啓二氏が代表を引退され、林溥氏がその後任となり、世話人が実質二人と言う極めて厳しい状況にあったからです。大和氏は責任感が強く、会の運営を案じられて体調が優れない中、ご子息と前々日から入山されていました。頭の下がる思いでした。

参加者

案じられた参加人数も標準値に達し、一安心しました。申し込み下さった50名(男性29名、女性21名)の皆様には感謝の気持ちで一杯です。遠路、北海道からもご参加下さいました。 聖者のみ教えの灯火が北の地で今も受け継がれていることは嬉しい限りです。

参加者の実状は全日程参加者が21名、初参加の方が7名、数十年ぶりの参加と言う方が4名おられました。ご縁の糸で結ばれた参加者50名の名簿を自宅の如来様の前にお供えし、お別時の満願成就を祈念致しました。

開会式

夕食を済ませ、7時より開会式がありました。開会宣言の後、世話人代表からの挨拶がありました。本年度より代表の交代と言うことで、前代表の大和啓二氏から挨拶と、新代表の紹介がありました。そして林溥氏の就任の挨拶がありました。

「別時中の心得」についての説明の後、引き続き導師河波上首のお話がありました。

お上人様はお別時中の心得、特に専心念仏についてご教授下さいました。みんなが明日からの一週間に決意を新たにしました。

ご法話

ご法話は毎日(5日間)午前と午後に各一席、計10席がありました。その内、河波上首が通院される21日と23日の午後は大南龍昇上人がお話し下さいました。

河波上首は念仏すれば人は人格的に変容する。それには、①全てを大ミオヤにおまかせし、常に大ミオヤを念ずることの大切さ、念仏三昧は不離佛値遇佛であると説かれました。②さらに、「如来是法界身 入一切衆生心想中」、「仏心充満於法界 普現一切輝生前」と如来は宇宙全体に遍在するが、称えることによって一点に集中して入我我入の境地となる。③また、日本人特有の「大自然の中に神を見る」習性が日本的霊性を育み、これが日本に仏教を栄えさせた起因となる。その核心は縄文的霊性であり、「月」が中心的役割を果たした。④更に三力加持(佛の威神力、三昧定力、本功徳力)、『開経偈』(無上法、甚深法、微妙法)についても詳しくお話し下さいました。⑤最後に日本は科学、技術、道徳、宗教等あらゆる面で優れており世界一と言って過言ではない。インド仏教とギリシャ哲学の結合が大乗仏教を生み、やがてそれがキリスト教と結合することによって世界一の宗教の誕生となる。これこそ弁栄聖者が説かれた光明主義である。最後に「汎神論」についても言及され、今後の展望と我々が果たすべき役割を示唆下さいました。

大南上人は『念仏修行の道しるべ』と言うタイトルで立派な冊子を準備され、それに基づいてお話を展開されました。

まず、①お別時の心構えとして念仏三昧の修行「口にもっぱら佛を称え、意にもっぱら佛を念ず」、②安心の形式と起行の用心について、③行儀分としての五根、五力・七覚支・八正道について、④更に詳しく「七覚支」についての順に注釈を加えながら冊子に沿ってお話し下さいました。非常に詳しく冊子にまとめられているので、後で改めて読み直し理解を深めることができて非常に好評でした。

念仏三昧

唐沢山別時の特徴は何といっても「念仏三昧」にあります。これほど長時間連続して念仏できる道場は数少ないと思います。そのため、初参加に方にはかなりの重圧となります。

参加者の状況は年齢的、経験的、時間的ずれと千差万別です。そのため、維那の古田幸隆上人は非常にご苦労されていますが二日目くらいからやっと木魚が揃うようになりました。しかし部分参加者の交代があり、全体が纏まるには時間と努力が必要です。

そんな状況の中で、今年は参加の皆さん方は出入りの回数も少なく落ち着いてお念仏に集中されておりました。その後ろ姿に手を合わせました。

聖者墓参

墓参は23日に予定されていましたが、天気予報によると22日以降、雨天が続くとのことで、急遽21日に変更しました。河波上首と手助けを必要する方が一足先に出発され、後全員は玄関前に集合して例年通り、「聖きみくに」を歌いながら一列でお山を登っていきました。墓前は既に何人かの方々の手によって清められ、河波上首、大南上人は着座されておりました。三礼のあと、礼拝儀を拝読し、古田上人がご聖者の略伝を浪々とした声で読み上げられ、在りし日のお姿を思い浮かべながら、その足跡の偉大さに平伏するばかりでした。その後、各自がそれぞれの思いを込めて、お焼香しました。爽やかな一陣の風が参拝者の間を吹き抜けていきました。誰しもの心を捉える年一回の厳粛なるひとときでした。下山しながら眺める諏訪湖の湖面は朝日に輝いていました。

閉会式

最終日は3時半に起床し、4時からの最後のお念仏に励みました。その後、河波上首による総回向があり、いよいよ閉会式を迎えました。林溥世話人代表の挨拶に続いて、河波上首から最後のお言葉を頂きました。お上人様は熱心にお念仏の大切さを懇々とお話し下さいました。その熱意がひしひしと感じられ、ひとことひとことを大切に受け止めました。最後に深い思いを込めてみんなで「法のいと」を歌いました。

懇親会

最後の朝食は親睦をかねて、食卓を□の字形に配置して賑やかに始まりました。古田上人の司会で、自己紹介と感想や意見を述べて頂きました。世話人の立場としては参加の皆様の考えを出来るだけ尊重したいと思ったからです。その中で初めての参加者への対応が指摘されました。貴重なご意見で来年に活かしたいと思いました。

また、この親睦を通して、それぞれが交流を深め、法の友達の輪が広がらんことを念じました。来年の再会をお互いに約束して閉会しました。

別時雑感

別時中、維那として、やさしく、厳しくご指導下さった古田上人は期間中、みごとに「無言の行」を貫かれました。その姿に感動したと言う方が何人かおられました。

それに引き替え「無言の行 目は口ほどに もの言わず アイコンタクトの 難しさぞ知る」と実感し、金田上人より注意された自分が恥ずかしい限りでした。

今回、関東より二人の女性が初めて参加されました。二人とも僅か1泊の参加でしたが、それぞれに感想をききますとAさんは到着するや否や、「この雰囲気すばらしい。」と連発して唐沢山が大変気に入ったようでした。また、Bさんはご絵像を見て、「いつも複写の如来様しかお目にかかっていなかったが、直筆に初めて感動した。如来様が立体的に浮かび上がり、にっこりと笑ってくださった。」と感動しておられました。お別時のセールスウーマンと自称して、お誘いしてよかったと思う一齣でした。

今年は世話人が実質2人と言う厳しい状況の中、村松年秋、粽ご夫妻が前日よりご参加下さり、受け付け、と食事関係を担って下さいました。大変なご苦労をおかけしました。衷心よりお礼申し上げます。 また、下司仁美様も前日から遠路、九州より沢山の食料を携えて参加下さり、お漬け物や副菜を毎回準備下さいました。おいしい家庭料理を手早くご準備下さいました。深くお礼申しあげます。また、ご参加の皆々様には清掃、食事当番後片付け等ご協力ありがとう御座いました。

謝辞

導師をお努め下さいました河波定昌上首は通院しながらの厳しい健康状況の中、熱心にお導き下さいました。西洋哲学を踏まえた幅広い文化論を基調に21世紀の宗教の在り方を示唆下さいました。光明主義の前途に明るい灯火を頂きました。

大南龍昇上人は誠実なお人柄で、資料を準備し、「念仏修行の在り方」を詳しくお示し下さいました。資料は今後の勉強にも使わせて頂きます。

古田幸隆上人、金田昭教上人は前日からご入山下さり、会場の設営や物品購入に至るまで、中心となってご活躍頂きました。衷心お礼申し上げます。

大和啓二様は平成12年より、実に14年と言う長きに亘り、河野恒雄氏の後任として、世話人代表の重責を果たして下さいました。87才と言うご高齢の上に視力に支障が生じ、大変困難な中を最後まで会計関係の帳簿整理もして、引き継ぎをして下さいました。今年も健康状態が優れない中を、17日から21日まで唐沢山に滞在して別時の進行を見守って下さいました。実に誠実なお人柄と強い責任感でもってご家族挙げてご尽力下さいました。奥様は毎年緑茶の接待とお風呂を担当して下さいました。ご子息の伸嘉氏も会場準備や部屋割り等に尽力下さいました。その功績を称え、皆様と共に感謝の意を捧げたいと思います。ありがとうございました。

参加者の感想

初参加の村石恵照上人(元武蔵野大学教授)から素晴らしい感想を頂きました。是非とも全文を掲載したいので、紙面の関係上来月号に回します。

第59回 高野山別時念仏修養会 報告 意馬心猿の老境

三島 健稔

いつしか忙しい世相に埋没し、虚しく時を過ごしていたものである。

残された時間は多くはない。愚かにも慌てふためいている。

もう資質があろうと無かろうと高野山別時に飛びついたのである。

ここをぞとさやかに今は見へねども
月のかなたにぞあくがれにける  
辨榮聖者

 

この度はどうでもこうでも阿弥陀佛
蓮の臺に乗せて給はれ
徳本行者 

真言密教の大本山である高野山は、あの深山に四千人(僧侶三千人)の街を成し、宗派に関係なく祖師や先人の墓碑が並び、懐の深さ、器量の大きさを感ずるに十分であった。

差定は、四時半入堂、二十一時退堂、参加者は北海道から九州に及び、初々しい世代から相当の年配者まで広範であった。

入堂すれば咨嗟の念仏に入って居られる方があり否が応でも力がこもったが、筆者は意馬心猿の有り様で空回りするばかりであった。それでも四日目にして幾らか念仏らしくなったのである。此処までは何時ものお別時とさほど変わることはない。

ただこの度のお別時で更めて思い知ったことは、場の効用は想像を遙かに超えた非常に強いものがあると言うことであった。

はじらひて悔い改むる夕べには
罪も燈火の油とはなる
辨榮聖者

 

南無阿弥陀仏申して好きの学問も
具してくるよに勤むればよい
徳本行者 

散見する先人の記録は帰途に就いてから種々と啓示を得たと言う。筆者が記すのは烏滸がましいが、この度は、幾ばくか霊育をいただいていると確信したことである。

永年混迷していた頭の中が次第に明るさに充ち、断片的な知識と理解がさらさらと統一的なものに変わって行った。もやもやとした霧の中に迷っていて次第に霧が晴れた時の嬉しさは一入である。実に愉快な有り難いことで、下山してなお歓びの日々が続いた。がしかし、更に老いても業突く張りの身は

はじらひて悔い改むる夕べには
罪も燈火の油とはなる

この度はどうでもこうでも阿弥陀佛
蓮の臺に乗せて給はれ

と、器量など構わず確りしがみつく外はない。

一方、形ばかりとは言え出家の身の筆者は「恐ろしや物は云はねど木像殿食はせて呑ませて地獄へ落とす(徳本行者)」に身震いする日々でもあります。それだけに一層高野山別時を維持して来られた大阪中央光明会の方々と、得られた勝縁に至心に感謝するのであります。

殺すことなかれ己が霊格を
辨榮聖者

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