光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成20年8月

名古屋・西蓮寺会場

内藤 規利子

西蓮寺には大きな紫陽花(アジサイ)が活けてありました。「すごく大きいですねぇ」と言うと、若奥様が「人の顔くらいあるでしょう」と。よく見ると4種類もの紫陽花が仲良く壺の中に入っていました。6月29日、大田敬光上人様のご指導で例会です。弁栄聖者の『お慈悲のたより』(131)を訳してお読み下さり、それに添ってお話がありました。 ご法話の一部です。

考えてみると、法身の大御親の掟は昔も今も変わりない。梅雨に入れば天はかきくもり、気は湿りをもち、雨は降り勝ちとなる。この恵みの霧はすべての植物を育てるお慈悲の乳、思えばありがたいものです。

この時期、祖山(知恩院)のうっそうとした緑葉を眺めれば何とも云えない感興を覚えます。すべての物は法身如来の現れとすればすべての中に如来様の御力と御恵みがある。あらゆる備えをもって人々を養い育てていただくのも、最終的には報身如来の限りない御光をもって一切の人々の仏心を養い、永遠の生命と円満な霊的人格にするための手順である。そう思えば大御親に広大なお慈悲を感じる。となれば私たちは是非とも無量光の御恵みによって仏の子としての卵を孵化し、真の仏子の面目を表すべき身とならざるを得ない。それについては、仏と衆生が対面できるのはすなわちお念仏です。

日ごろ勢至堂のそばに座して西山の群雲から漏れる日の影を見る時に、常に大御親の慈悲の面影が偲ばれお念仏の声が出ます。今ごろ新潟では北の潟波は静かで仏のお悟りの状態に入っていることでしょう。それを鏡にすれば御仏の面影は明らかに現われて、きっと皆さまの心はさながら、お浄土にいるような感じになるでしょう。

今年は多くの僧の中には志ある者もあるでしょうから、志ある人々と共に念仏三昧の会を今夕より開場することになりました。

さて、自分の事にのみ言葉を費やし、先般から二度に渡って御書簡で伺ったことを後回しにしたことの失礼をお許し下さい。御書簡に仰せられる御地如来光明会を催されることはまことにありがたい極みです。会長の面目は何にしても如来様を会長として、そして珠数の親玉として、皆一つの一連のお珠数となってお互いに慈悲をもって相向い、仏眼を以て相着して仏になるまで互いに良き友となって勇気を持って勤めてほしい。

あとは後便に譲ります。 和南

この度はとても嬉しいことがありました。私(内藤)は息子がお腹にいる時に藤堂俊章上人様に「三帰」を授けていただきました。その時ご一緒に受けられた方は女子を授かりましたが、その子が今はいいお母様で、お子様を連れて初めてお参りされました。5歳の男の子で一生懸命お念仏をした後、私の孫娘や姪の子ともじきになじんで一緒に遊んでいました。一緒に育ってお念仏の花を大きく咲かせてほしいと念じました。

私は幼い頃、藤堂上人様にいただいた御歌を思い出しました。

この小さき 幼き子らの 法の種
芽生えて咲かん 春ぞ待たるる (俊章)

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