名古屋・西蓮寺会場から
内藤 規利子
赤い実をたくさんつけた木が目を引く西蓮寺、玄関にはいろんな種類のサボテンがあり、若奥様が「何もしないのにどんどん増えていくんですよ」とおっしゃいました。本堂には大根の絵と味のある字で「この大根一本百円とはいうけれど大根に銭を払うた者はなし」と書かれたお十夜のお知らせが…。
10月25日、大田敬光上人様ご指導で例会が開かれました。
弁栄聖者が観音様について書かれたお慈悲のたよりを「前にもお読みしましたが……」と再度お読み下さいました。
弁栄聖者は『観音様がとても大切で尊いことですよ』ということで、一番お描きになったのが観音様で立派な絵が全国各地にあります。観音様はおつむの所に一体の阿弥陀様を頂いている。観音様をお参りするということは、そのままアミダ様をお参りすることになる。しかも「南無阿弥陀仏」とお称えすれば観音様をちゃんとお参りすることにも通じます。一般の人で仏様など拝んだこともない方でも名古屋なら大須、東京なら浅草の観音様などへはお参りする。
観音様をお参りするには「南無阿弥陀仏」が一番ふさわしい。(途中で位牌堂にお祀りしてある大きな十一面観音様の前に皆で移動してお話を伺いました)
観音様は人間の形をとって仏様の次の位にいらっしゃる。ご自分では悟っておられるので仏様の次の位置におられるが、そこだと私達と縁が切れてしまうので向こうから救おうとしてこちらへ来て下さる。私達を抱いていて下さる。私達は守られている。観音様はどっちにいても私達を守って下さる。
ある時は人間の方へ来て「まあいいじゃないか、くじけんでも……」などと元気づけて下さる。その時は人間の恰好をされている。ちょうど渡し船の船頭さんのようにその役目を、仏様と人間の間で行ったり来たりして私達を救って下さる。悟ってはいるけれどそこに立ち止まらなくて人間の方へ近づいて救って下さる菩薩様であります。
(若奥様のオルガンで『仏はつねに柔らかに』と『法然上人頌』を皆で歌いました)
(私事)
新聞に「パンダ顔の模様の牛が生まれた」と出ていました。娘宅の近くの牧場です。そこでシルバーウィークの一日、家族あげて見に行きました。
名札には『パンモ』とあり、囲いの一番遠くにいるがどうもそうらしい。「パンモちゃん!パンモちゃん!」と呼びながら望遠で撮っていると、その仔がどんどん近づいてきた。目の回りと耳が黒いパンダ柄。口をもぐもぐ、柵の外にまで顔をだした。小4の孫娘は、服をペロリとなめられました。
家に帰って「どうしてパンモちゃんは私達の所に来てくれたんだろう?」と独り言をもらしたら、主人は「パンモちゃん!!て呼んだせいじゃない?」と。牛さえも呼べば答えてくだる。ましてや如来様は 私達が呼べば答えて下さるそうです。頑張ってお念仏を称えようと思った秋の一日でした。