光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成26年4月

西蓮寺例会

内藤規利子

積もった雪が溶けた次の日、西蓮寺へ。赤白の梅が咲き、枝垂れの梅が咲くばかりになっていて玄関前には「何これ?」珍しい花が咲いていました。裏庭には孟宗竹が勢揃いしていました。2月16日大田敬光上人御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。

2月15日は涅槃会でお釈迦様がお亡くなりになった日です。80才で一応この世からは去られたということですが同時にお釈迦様のお体はその時を境にしてお釈迦様の御心が全宇宙に広がっていき宇宙の命とひとつになられたというところで本当のお悟りが皆んなのものとなった。それを有難いと思う人の心の中にちゃんとお釈迦様その時からも「お前の心の中に入っているんだよ」とこういうことが言えるお釈迦様になって下さった。そこがお釈迦様の偉いところで普通亡くなると一般の人だったら「あぁ亡くなったね、寂しいね、あの人どこへ行っちゃったんだろう寂しい寂しい」と泣くようなことばかりだけれどお釈迦様の亡くなったということは一面寂しいには違いないけれどお釈迦様のお体から宇宙全体に広がって大きな時が大事な時になった。だから「涅槃会」はお悟りそのものになって下さった。悲しさを越えてもうひとつ大きな命の世界が私達の中にもちゃんと入ってきたというこういうことになっておるんですね。

お釈迦様の歌として「いかなる日にも」(ゴータマブッダ頌)を奥様のオルガンで皆でうたいました。荻野円戒上人のご本の一部を説明しながらお読み下さいました。

今も呪いの人形が

今年、2月15日は2500年前、インドでお釈迦様が亡くなった日である。各寺院ではお花餅を供えて涅槃会がつとまる。この日釈迦は80歳の高齢で鍛冶屋のチュンダの家で法話され、昼食の供養を受けられたが、その茸料理の食中毒で下痢になり気息えんえん。弟子達がチュンダを非難するとお釈迦様は枕辺にチュンダを呼び「心配するな。私の生涯で2人の恩人がある。山中で苦行して6年、やせさらばえて河辺に辿りついたとき、牛乳を供養して力をつけてくれた娘スジャータがその1人。もう1人はお前だ。私が死ぬのは生まれたという原因があるから死ぬのだ。お前の料理は死ぬ縁になった。生涯の最後の食事を供養してくれた縁で80年を閉じることができる有り難う」と静かに息を引きとられた。南伝大蔵経に出ている。最近、豊橋の神社の境内に呪いのわら人形が神木に釘づけになっているのが発見された。災害事故は相手を恨み賠償は法廷の争いとなる。物が豊かになるにつれ争いも恨みも増大している。貧しいインドで「深く諦観し恨みなき心に立ち返るとき、やすらぎが訪れる」と聖訓が説かれている。

ここからは内藤のことです。

北の方では雪害で大変なことになっています。早く雪が溶けることを願っています。雪で思い出したテレビでの話。アメリカの国立公園に住む一匹狼のクロ。首に発信器を付けられ10年に渡り観察される。群れで暮らす狼は生まれると2・3歳で群れを離れ一匹狼となる。クロも雪の中で獲物を追うが一匹では捕まえるのは難しい。獲物には反撃され、熊には横取りされ、自分より小さなコヨーテにまで追い払われすってんころりんと転んでしまう。2歳の冬パートナーとなる彼女を見つけるが群れのリーダーに追われ車道に逃げ帰る。そこがクロの「安全地帯」。他の狼は車を恐れて近づかない。彼女の所へ行ってはリーダーに追われ車道に逃げるをくり返しそれでもめでたく夫婦になって子供も2匹生まれる。母狼は道路近くに住むクロの所へは行かず群れで子育てをする。そこには安全な巣穴がある。普通の父狼は子供など見に行かないがクロは愛情深いので子供に会いに通う。これはとても珍しいことという。

いろいろな苦難にあい何度も命の危機にあいながら8歳の時クロを慕って集まった狼達のかなり遅咲きだけどリーダーになり9歳になった今も元気に群れを率いて狩りの指揮をしている。群れで生きる喜び一番感じているかもしれません。辛い一匹狼の時代に培った経験と智慧を頼りに生きぬいてきたクロ、あえて争いを避けるかのようにその柔軟な生き方が狼の本当のたくましさを教えてくれました。人は一人では生き難い。クロのような心で生きることができたら人も楽に活きられるだろうなと思いました。クロ頑張れ!!私も頑張ろう!!南無阿弥陀仏

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