光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成27年8月

6月 関東支部報告

一行三昧の会

佐藤 蓮洋

◇日 時:6月6日(日)
◇会 場:光明園
◇法 話:河波定昌上首
◇参加者:16名

梅雨とともに光明園にも紫陽花が咲き、お仏前を飾りました。炭屋師の維那で例会はスタートし、島根県から上京された三上妙光尼もお念仏に参加いただきました。午後には河波上首のご法話を拝聴し、茶話会では三上尼のお父様の三上善戒上人の思い出話をうかがうことができ、懐かしい雰囲気になりました。

ご法話

  • 大谷仙界上人への御慈悲のたよりは、お念仏をするときの指針です。その大谷仙界上人は初め弁栄聖者を浄土宗によからぬお坊様と思い、短刀でお命を狙うお気持ちもあったようですが、聖者にお会いされた時にその威厳に圧倒され帰依された。笹本戒浄上人も、大串法道という学生に狙われたのですが、やはりその威厳に圧倒されていった。お念仏が深まっていくと何とも言えない威厳がそなわり、その高貴な人格に人は自ずと頭を垂れるのだと思います。
  • 観音様は頭に阿弥陀様を宿されている。善導大師は六時礼讃の中で「観音頂戴冠中住 種々妙相宝荘厳 能伏外道魔?慢 故我頂礼弥陀尊」と詠われている。これは真善美の高い価値観、いわゆる今までの人間になかった高い精神的な徳が私たちの中に具わってくる、そして無意識のところで宝がいただけ、それが威厳となって自ずと現われてくるという意味です。
  • 二祖上人は、『徹選択集』の中で、「念仏とは不離仏、知遇仏の義なり」とお書きになり、私たちは仏様といつも離れず、相対していると述べられた。法然上人も「我はただ仏にいつかあふいぐさ 心のつまにかけぬひぞなき」と詠われ、如来様をいつも心に抱くことに心を向けていらしたのです。
  • 龍樹菩薩は『大智度論』で、「般舟三昧をもって父となし、般若波羅蜜をもって母となす」といわれました。「お念仏」と「空」を二つに分けることはできないのです。つまり空になりつつ、仏になっていく。
  • 現代のように念仏と空が分かれていては、念仏の全体がわからなくなるし、大乗仏教の本質がわからなくなる。念仏の中に無尽の宝をいただくのです。死んだあとも念仏の功徳は貫かれ、人間形成がなされていく。気がつかなくてもいいのです。お念仏の中から、自ずと不思議な力が私たちの中にはたらき出してくるのですから。

?小松さやかさん、ヴァイオリンコンサート

佐藤 蓮洋

◇日 時:6月14日(日)
◇会 場:光明園
◇法 話:河波定昌上首
◇参加者:30名

梅雨の晴れ間のコンサート日和になりました。

京都から小松さやかさん(ヴァイオリン)と向内潤子さん(ピアノ)をお迎えし、バッハ、モーツアルト、チャイコフスキー、ベートーベン等のクラシック曲に加え、「浜辺の歌」「花は咲く」等の身近な曲も楽しみました。

司会は、前回のコンサートにお呼びした五日市田鶴子さん(ソプラノ)。曲ごとにユーモア溢れる解説を交えていただき、最後は五日市さんの指揮で聖歌「清浄光」「のりのいと」を合掌しました。ヴァイオリンの独特の音色は、心の奥深くに響くものがあり、午後の一時を清々しく過ごすことができました。近所の方も多数お見えになり、お念仏のご縁にもなればと思いました。

?念仏と法話の会

山本 サチ子

◇日 時:6月28日(日)
◇会 場:光明園
◇法 話:河波定昌上首
◇参加者:28名

梅雨空の蒸し暑い中それでも元気な念仏の声で会は開催されました。

ご法話の概要

●光明主義・浄土宗・キリスト教

ご法話の大筋は光明主義と浄土宗そしてキリスト教との関係が中心の内容であったと受け止めています。『選択本願念仏集』から導入されました。

─往生之業 「念仏為先」「念仏為本」─ 

選択本願念仏集で説かれています様に私達は先ず念仏を優先しなければなりません。

法然浄土教は近代に至って西洋の哲学、自然科学、キリスト教と出会うことにより広大な弁栄聖者の光明主義の展開がなされてゆくことになりました。聖者はお念仏で開ける世界のそこを現象学で説かれました。そのことは神仏があるかないかの議論を脱却して実在に触れていくことが大事なのでありそこに突入していかなければ解かりません。現象学に関してはドイツのフッサール(Edmund Husserl 1859~1938) においても神があるなしの議論は( )に入れてあるなしよりその現象に突入していくことが大事なのであると論じています。全部を捨てお念仏に入っていくことです。リアリティ(reality)に触れていけば本当の宗教が成り立っていくのであり普遍的になっていきます。かつて西洋で3つの宗教が対立していた頃ドイツのニコラウス・クザーヌスが1453年に「普遍的和合」を唱えました。ただ一なる神を拝んでいるだけで本当は内なる神様を拝んでいるのです…と説かれました。

河波上首は2011年(平成23年)にスイスのチューリッヒの修道院で修道僧と尼僧さん達にお話ししたことがあります。その時に浄土宗ではどういうお経をあげるのですかとの質問がありました。上首は「皆様が一緒に参加するのであればお経をあげましょう」と修道僧や尼僧さん達と全員で南無阿弥陀仏を称えました。修道院中が南無阿弥陀仏の声で埋まりました。まさに感動的なシーンでありました。

私達が称えている礼拝儀もキリスト教をなくして成り立つことはありません。ぞれぞれの宗教がありますがどれも繋がりがあります。表現は違っても「同体異名」なのです。これを一番に説いたのは覚鑁上人(佐賀県出身)です。大日如来も阿弥陀様も一つであることを主張されました。弁栄聖者もまた①法華経の中にも②無量寿経があり無量寿経の中にも法華経があるとして統一されました。聖者から見れば①も②もなくまた天台宗も禅宗も対立を超えていてそれはみな念仏の中にあると悟られました。そして浄土宗と光明主義の関係でいえば浄土宗と光明主義が違うといえば困り同じというのも間違いです。2つを超えているところに弁栄聖者たるゆえんがあります。不二とは2つがないということです。

不二而二 難思儀  (不二法門)

田中木叉先生が生前に河波上首にお手紙を送られました。そこにはお歌が詠まれてありました。

学と覚 是れ青年の華 驀直突進 横向く勿れ

またあるお手紙では、

念仏を先とし 学問を従とす

まさに田中木叉先生のご指導が偲ばれます。 ●結び

法然上人の学問の蓄積がやがて『選択本願念仏集』となりその中で法然上人の中から十二光の体系が説き出されました。

阿弥陀仏と 思ふ心の増鏡
限りなきまで 照り渡るなり

ともあれ念仏をしないと四大智慧はわかりません。また念仏を離れて議論することは主旨が合いません。もう少し広い視野に立って考えていく。大切なことは私達が念仏を通して目覚めていくことが大事なことなのです。…と結ばれました。

合掌

茶話会

今日は新人の方が2名参加されました。どうか共に歩んでいただけますようにと願います。役員会がある為に茶話会は少し早めに終了となりました。

関東支部総会

出席者15名、委任状と併せて総会成立。平成26年度事業報告と会計報告の後27年度の事業予定と予算予定の計画を審議し可決されました。(付記)関東支部一部規約の改訂が可決されました。

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