光明の生活を伝えつなごう

九州支部だより

九州支部 平成18年2月

年頭別時念仏会報報告

塩先 晋照

平成18年元日(日)午後6時から、5日午前8時まで(4泊5日)大分県宇佐市善光寺を会場に恒例の別時念仏修養会が開催されました。導師は根本道場主管菅野俊光上人。参加者19人。

歳晩にご尊母(故菅野シズ様)ご往生されたばかりの慌しさに、年頭別時会はどうなるものかと、暮のある日菅野上人にお尋ねすると、「別時は勿論開催します」との力強いお言葉を承って、その心意気に驚かされました。在家の葬儀でも会葬の後始末やら、ご近所への心配りなど様々な雑事に追われて、葬儀の後暫く喪家は忙しくなるものです。まして、檀徒葬となると、寺にとって、その後始末の煩雑さは想像するにあまりあります。加えて近年にない厳冬の歳となり、上人のお疲れも如何ほどであろうかと案じられました。

初日は稟とした雰囲気の中で、数名の同行の一行三昧であけました。寒の厳しさは二、三十年前と同じであっても、当時と現在とでは道場の設備環境が異なり、参加者も随分と楽に過ごせるようになっています。不便を感ぜず過ごせることの是非は別にして、別時に対する心構えは先達の意思を確実にしっかりと受け継ぎたいものと思います。

2日目頃になるといつものメンバーが揃ってきます。善光寺先代上人様の「年頭別時は、5月の連休別時に比べたら割合に歩留まりがいいんです。と仰ったことを思い出しました。歩留まりというのは、再び参加して下さるリピーターができる割合を指し、正月別時の方が高いということです。以前は5月に連休別時も開催されていました。気候もよく割合に厳しさを感じない連休別時の方が、また来ようかという気持ちにならないで、気候も厳しく、自身にとっても様々犠牲の多い別時の方が、また来ようかという気持ちになるというのは、本来不思議な道理ですが、そこが人間の心理の奥深いところで、向上していこうという無限の可能性にかけていく人生の方が、これで良しとただ安心のみに腰掛けて事足れりとすることよりどれ程積極的人生だろうかと思う訳です。

そもそも浄土宗は法然上人を正統としており、二祖上人のモットーは「不離仏値遇仏」です。よく別時を開きお念仏を絶やさなかったお方ですから、今日二祖様の御心にかろうじて適うていく事は、別時の実践に心がけていくことという訳です。

4日目は午後から善光寺新年の例会でした。講師は行橋市の炭本義空上人。檀家さんもお参り下さり、新年のお屠蘇気分のなかに心改まるお話を一席。

確かに世の中はどうでもいいものが多すぎます。テレビもその中の一つでしょう。正月早々人間の心を改め精神を豊かにしてくれるものであったら何もいうことはありませんが、昨今のテレビは年末年始むしろ見ない方が人間の心を煩わしくさせないだけまだいいでしょう。テレビのお蔭で寺参りの人数が減ったことと考え合わせると、人間にとって文明とは諸刃の剣。文明の利器は使う心によって自らを滅ぼす害器になります。お話を聞きながら、これからの時代が精神的荒廃によって忌まわしい時代にならないように祈りましょう。

5日間を通して、今年も無事に年頭別時で明けられた幸運を感謝しました。それにお念仏のご縁に出合えた幸運もまた例えようもないことだとしみじみと実感しました。とまれ今年の参加者も昨年と略同数となり、この別時の継続と発展を祈って下山しました。正月早々お世話下さった方々に甚深の謝意を表します。

平成18年度九光代議委員総会報告

塩先 晋照

平成18年度の九州光明会代議員会総会が1月11日(水)午前11時より鳥栖市中央軒で開催されました。出席者は15人、開会に先立ち会長(金田隆栄上人)を導師として礼拝儀のお勤めがなされました。

会議は九光事務局で根本道場主管・菅野俊光上人の司会で進み、まず17年度事業報告が各担当(事務局・根本道場・巡回伝道・めぐみ・婦人部・青年部・財団)より詳細になされました。

初めに根本道場(菅野俊光上人)の報告は元旦からの年頭別時に始まり、6月の布教研修会(講師・八木季生上人) 35人、秋季別時念仏会並びに婦人部総会(講師・河波定昌上首上人)と続きました。この時は同時にチェンバロの奏者小林道夫先生を招いて「法話とチェンバロの夕べ」と題して演奏会が開かれ、布教堂では弁栄聖者の遺墨展も開催され出品は15点あり、見る人のk心を打ちました。

次に巡回伝道事務局(西徹空上人)の報告では、昨年度の講師数、会所数、巡回伝道 動員数など詳細にわたり報告されました。

次にめぐみ編集局(大和顕栄氏)から、めぐみの年間報告がなされました。ひかり同様高齢化による部数の自然滅の傾向がみられるようです。

次に17年度の会計報告がなされ、何れも正確で適正であることが報告されました。数年前の緊迫した財政状況がかなり改善され、予算を上回る歳入が見られたことは喜ばしいことです。

引き続き18年度の事業計画が発表されましたが、ここでも巡回伝道教師の増加があり、継続から発展へと精力的に九光を伸ばそうとする意思が感じられます。

今年度は役員改選の年度でしたが、引き続き会長以下役員の再任が了承されました。

次に財団理事長・鶴山瑞教上人からの報告は平成21年度が聖者の90回忌の年度い相当しますので、その法要に向けて一丸となって布教教化の実を結ぶべく邁進しますとの力強いお言葉がありました。浄土宗は教化布教教団とはいえ、自行を欠いては布教も教化も在り得ません。その点光明主義ほど両輪が両立している教えは他にないのではと思っていますが、その光明主義をどのように実践していくかは個人の責任で、共に一兵卒の意気で歩んでいく外はなさそうです。

青年部・婦人部と簡単な報告の後、会食散会となりました。

11月巡回伝道報告

北九州地区 柏原 寿美

19日 舎月庵 8人
20日 大願寺 18人
20日 戸畑光明会 8人
21日 円応寺休会

今回は「如来の光明、お慈悲」についてお話する中、主として「大悲」のお取り次ぎをさせていただきました。

  • 闇路に迷う衆生を常に真正面にましまして慈悲の面を向けてお導きくださる如来。
  • 嬉しき時も悲しき時も常に大悲のふところに迎えてお育てくださる如来。
  • 同行二人と歩む身は越すに越されぬ峠でも護るお慈悲のみ力で越されぬままに越せてゆく。

このような実感は皆様お持ちのおこと。

如来の慈光被れば 七覚心の華開き 神秘の霊感妙にして 聖き心によみがえる

大願寺様では会所をお檀家の長濱様宅に移しての例会でございました。戸惑いが多少おありのようでしたが18名のお集まりで、当家のご回向も出来てのお念仏会となり、大変よかったと思いました。お寺とお檀家の堅密なつながりを羨ましく思いました。今後もこのように、会所を移動しての例会をご計画のようでした。各会所いろいろご配慮いただき、おもてなしに対し感謝しお礼申し上げます。

筑豊地区(前) 佐野 隆和

23日 定禅寺 休会
23日 福円寺 20人
24日 種善寺 休会

当日は寒い夜であるのに20名余りの参加者。法話内容は「往生浄土の念仏」

金子みすず詩

人はお墓に入ります 暗い淋しいあの墓に
けれど善い子(すなほな人)はうれしからう
天使(菩薩)になって飛べるのよ

木叉上人詠

有難し 観音菩薩と同じ身を 受けて永遠 生きて往く我

筑豊地区(後) 岩崎 念唯

24日 西福寺 休会
25日 長安寺 休会
25日 浄光寺 休会

今回は、三ヶ寺とも御十夜法要との関連で、巡伝布教は休会となりました。

筑後地区 炭本 義空

19日 浄源寺 休会
20日 浄土寺 休会
20日 浄福寺 休会
20日 竜川寺 休会
21日 摂化院 8人

秋晴の紅葉がひときわ美しい、空気が澄みきった一日でした。
お念仏の声も遠く響きわたっていくのであろうと思い、心なしか楽しくなりました。
お十夜の季節なので、お十夜のいわれを少し話させていただきました。

福岡地区 永徳 光明

15日 福岡光明会 10人

60分間のお念仏、お勤め、法話と中味の濃い集いであり、終わったあとの茶話会も心温まるひとときでした。下司様をはじめ、光友の方々の求道熱意、ご精進がより尊く想われました。

前日にご連絡をいただいての代行でしたが、光明摂取の讃題のもと、老・病・死に臨む心のありよう(安心)、正受(正観)についてお話させていただきました。

聖恵(めぐみ)病院 軍嶋 鳳龍

28日 35人

静かにお話を聴いて頂きました。

佐賀地区 日隈 敬慈

19日 安養寺 代講
20日 浄泰寺 60人
21日 九品院 50人

南無阿弥陀仏。初めて唐津の地にご縁を頂きました。にも拘りませず、自坊檀徒の葬儀の為に初日の安養寺さまの法座を断念せねばならなくなりました。深くお詫び申し上げますとともに、急遽万障お繰り合わせ頂きおつとめくださいました、九光会長・金田隆栄上人さま、そしてお手配にご尽力くださいました巡伝事務局・西徹空上人さまには心より感謝申し上げます。

小春日和の中、浄泰寺さま、九品院さま、共にお十夜法要です。朝、庫裡の玄関を訪うなり、山内の活気が伝わってまいります。法要は如法なるお勤めと熱心なるご聴聞。通常二席の「臨終来迎の事実」と「平生より被る光明摂取の益(歓喜光のお育て)」を一席につづめて「十夜のいわれ」も交えてのまことに欲張ったお取り次ぎにて、まとまりも悪く、ご参詣の皆さまには窮屈な思いをさせてしまいました。まことに申し訳なく、反省いたしております。

安養寺さま、浄泰寺さま、九品院さまには宿泊お食事等に甚厚なるお心尽くしを賜り、厚くお礼申し上げます。

大分地区 柏原 寿美

4日 善光寺 20人
5日 長昌寺 休会
5日 迎接寺 23人
6日 蓮華寺 42人

善光寺様では「如来光明歎徳章」の「其れ衆生有て斯光に遇うものは三垢消滅し身意柔軟に歓喜踊躍して善心生ぜん。若三塗勤苦の処にありて此の光明を見たてまつらば、皆休息を得て亦苦悩なく寿終の後皆解脱を蒙らん。」を重点にしたお話をいたしました。

迎接寺・蓮華寺では「礼拝儀」「至心に発願す」の「如何なる場合にも姿色を換えざることを誓い奉る・・・」について、「安忍」六波羅蜜の「忍辱」を取り上げ、例話として明治天皇の歌のお相手の中ひとりで女官であった税処敦子さんのお話をさせていただきました。

敦子さんは、人一倍気難し屋の厳しい姑につかえて、細やかに誠心誠意孝養をつくし、母の心のもつれの解ける日を待つ「忍辱」の生活でした。「朝夕の つらきつとめは み仏の 人となれよの 恵みなりけり」。

姑から提案された下の句「鬼婆なりと人の言うらむ」に対し、敦子さんの上に句は「仏にも勝さる心と知らずして」でした。この合作和歌で、敦子さんの誠心が通じました。姑は深く懺悔する処となり全く別人となり、何もかも敦子さんなしではならぬ人となられた。敦子さんの辛抱は忍辱波羅蜜修行であり、それを可能にしたものは幼時より培われた念仏精進力によるものです。

各会所におかれまして過分のおもてなしをいただき厚くお礼申し上げます。

熊本地区 鶴山 恒教

22日 荘厳寺 40人
23日 善樹院 30人

「今年こそ今年こそはと年が暮れ」と詠んだ方がいますが、その心情がよくわかる今日この頃です。十夜法要の席を兼ねて熊本地区・荘厳寺様並びに善樹院様にお邪魔をいたしました。

23日はちょうど八代市内最大のイベント「妙見祭」の日にあたり、運良く絢爛豪華な衣装をまとった行人や矛山車の行列を拝見することができました。その列の中に青鬼・赤鬼・黒鬼の大面を奉った神輿があり、私どもの心を迷わす貪欲(青鬼)、瞋恚(赤鬼)、愚痴(黒鬼)の三毒を表すものであろうと想像しました。

これらの鬼と決別することは私にとって至難の技ですが、そのような弱き私であっても明るく正しく和やかな光明生活に導いて下さるのが大ミオヤであり、お念仏であるといただいております。出来の悪い私を救うために四十八願をお立て下さり、西方極楽浄土を建国して下さった阿弥陀親さまに改めて報恩感謝するのが「お十夜」であり、「年末」であることを「四恩」を通してお取り次ぎさせていただきました。会所提供法要随喜聞法して下さいました皆さまに感謝申し上げます。

長崎地区 岩崎 念唯

22日 善隣寺 20人

半年ぶり、2回目の佐世保善隣寺様への巡伝布教でした。参加者の皆さんのお顔も覚えていて、何となく、なつかしいような、アットホームな雰囲気の中でお話させていただきました。前回に引き続き「三垢消滅し身意柔軟にして歓喜踊躍し善心生ぜむ」ということについてお話させていただきました。

念仏申していると、知らず知らずの内に、不思議な功徳を受けているものです。このことに気付くことは大切なことで、いろんなご縁や目に見えないおかげに支えられて生きているこの私、感謝の日暮らしをしていると、不思議と身も心もおだやかになり、争うこともなくなってきて、全てがおかげさま。「善き人に出会い導かれ、悪しき人に出会い教えられ、善悪ともにありがたし」と暮らしていけるのではないでしょうかという話をしました。

今回は平日ということもあり、若い方、とくに小学生や中学生の姿はゼロでしたが、出席者の皆様に「お寺の法要や念仏会には、是非子供さんやお孫さんと一緒に参加して下さい。信仰の種まきは、家族でしっかりとしておかなければ、信仰の芽を育てることはできませんよ。『人の道 親がつくって 子が歩む』といいます。『人の道 親が迷えば 子も迷う』しっかりとした人としての道を親が手本となり示さなければ、将来大変なことになりますよ」との話をさせていただき、1時間の話を終えました。

島原地区 塩先 晋照

25日 慶厳寺 休会
25日 安祥寺 11人

11月も押し詰まった25日というのに、まだストーブが要らない暖かさで、異常気象を肌で感じるこの頃です。経済、物、第一主義からの転換が早急に望まれます。

ご住職の森下上人はご主人亡き後、お一人でお寺を守ってらっしゃるとの事。今回は2度目のご縁でしたが、境内の木々の佇まいに以前の思い出があり、懐かしく変わらないものを感じました。

対馬地区 永徳 光明

13日 修善寺休会
13日 海岸寺 10人

対馬の修善寺は、お勤めだけで、法話はなさらないので、海岸寺様へ直行でよいとの事でした。

海岸寺は厳原港を眼下に見下す高台に位置し、眺望絶佳。禅宗の寺院が多い中で、浄土宗の寺院は唯一(修善寺と併せて)とのこと。それだけに、島の十方にお念仏の声と鉦・木魚の音が広流されていく尊さがしみじみと感じられたことでした。

十夜法要ということで「お十夜」の意義、光明摂取について話させていただきました。

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