光明の生活を伝えつなごう

九州支部だより

九州光明会だより 令和4年9月

6月巡伝報告

《福岡地区》 塩先 晋照

◇16日 正法寺 10名

 法話は信仰の目的・ご本尊・行法より話を進め安心・起行へと展開しました。これについてこの中、所求の働きにふれました。光化の四光(清浄・歓喜・智慧・不断)の展開については、従来の浄土宗では積極的には説かれないが、弁栄上人の見方ならではの事である由を改めて申させて頂きました。
 法話は、化他行ではなく自行であると巡伝に出る度実感した次第です。

《長崎地区》 岩崎 念唯

◇24日 善隣寺 20名
◇25日 慶巖寺 7名

 コロナ禍の中二年半ぶりの巡伝でした。善隣寺様は三年半ぶりで、参詣の皆様方の以前と変わらぬ熱心な拝聴さに頭の下がる思いです。法話は「炎王光」についてで、宗教・信仰の大切さと光明生活についてお話させて頂きました。慶巌寺様は5年ぶりのご縁で、約一時間の法話でした。宗教・信仰・光明生活についてお話させて頂きました。本年の四月三日は故河波定昌先生の七回忌でしたので、記念の遺稿集の話や先生から導いて頂いた話もさせて頂きました。久し振りの巡伝で有難さを改めて感じました。合掌

《北九州地区》 大谷 決正

◇21日 円応寺 36名

 令和2年のコロナが発生した当初には、感染予防のため三密を避けて、さらに手指消毒が奨励されました。現在ではそれがごくごく日常の生活様式となり、数年前には想像もしなかった状況に変化しました。コロナは一向に終息しませんが、体の方はこの生活様式によってかなり護られていると実感出来ます。しかし心の方はみ佛の教えにも出会う機会も減ってしまい、決して明るいものとは言えません。
 法話は「至心に勧請す」についてお話させて頂きました。「月も日も及ばぬ人の心まで 照らす佛の光なりけり」(弁栄上人)

《筑豊地区》 金田 隆栄

◇24日 種善寺 12名

 法話は礼拝儀より「至心に帰命す」についてでした。
①本尊の確立 三身のこもった名号の仏様である事。
②今現に此処に在すことを信じて 光明主義は来現の宗教である事。
③全身全霊の全てを捧げる 信仰生活の大事な姿勢。
④あなたのお使いが出来ます様に 天職を持ってこれを貫く。例会を勤めて頂いたことに感謝!

《大分地区》 西 徹空

◇4日 善光寺 13名
◇5日 蓮華寺 13名

 法話は善導大師の「三縁」についてで、お慈悲という面からお話させて頂きました。今回は、コロナ禍の為に何処の会所も十分な活動が出来なくなっているにも拘わらず、開催して下さった巡伝でした。私も久し振りの人前での法話で、新鮮な有難さを感じました。善光寺様では菅野上人が「どうぞマスクを外してお話し下さい」と仰って下さり、閉塞感を打開した清々しい気分で話が出来ました。また蓮華寺様では鶴山上人と旧交を温めながら夕食を共にする機会をいただき、光友の絆あっての巡伝である事を改めて教えられた心地です。
 こうして九州光明会の布教活動が一歩でも二歩でも回復していくようにと願っています。
 合掌

7月巡伝報告

《長崎地区》 石原 義堂

◇24日 善隣寺 7名 (石原 義堂)
◇25日 慶巖寺 8名 (辻本 光信)

 善隣寺・人が人として生まれてきた最大の目的は、此の人生を通して帰るべき故郷である浄土に導き育てて下さる阿弥陀様の本願に遇えたことです。法話は「炎王光」についてのお話でした。25日は辻本上人に交代して頂きました。
 慶巌寺様・信じ仰ぐの信は漢字としては「違わないこと」「言葉や約束を守る」というのが第一義的な意味。和語で読むと「まこと」。これも嘘偽りの無い事。教えの元に日常の生活をお話しする時、果たして私はこれで良いのか・教えに違わないのかと考える。身近な方にそんな方がいて、聴衆の皆さんと考えました。お話は「三業四威儀につとむなり」(南無超日月光仏)でした。
 

《大分地区》 川端 勝教

◇4日 善光寺 10名

 空は青々 日はうらら 
 田には満々 慈悲の水
 秋は稔らん 無量寿を 
 うえた南無阿弥 田植え歌
 青い稲穂は その中に 
 白いお米の みのるため
 死ぬる体は その中に 
 死なない命の そだつため
 田植えを終えた田圃の水面には小さな早苗が青々とし、お日様が映えています。
 秋には稔ってほしい無量寿という白いお米、南無阿弥陀仏と称えて、早乙女が早苗を植えています。青い稲穂は白いお米を稔らせる為に、葉の全ての窒素・リン酸・カリの三要素をお米に捧げます。それは丁度私達の死んでいく身体は、死なない命の無量寿を育てるためであるかの様に。なむあみだぶつを称えて無量の命を育てようと田植え歌がある。 時空 無量寿(時) 無量光(空間)のお話をさせて頂きました。
至心合掌

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