こころの更生と云うは、人の生れつきの心はわがままにてよきものでなく、物を苦にし、いろいろの気質のためにまどわされて、自身で自身をせめ、また人に対してもへだてがつきなどして、気質のかどがあり、円滑に人ともゆかないのである。それをば如来の御めぐみの光りにてのぞきさりて、まことに平和なやすらかな心によみがえることができるのであるけれども、如来の大なる力をあてにせずして、自分はかような生れつきの気質であるからしかたがないと自分からきめてしまうから、気質がいつになってものぞくことが出来ず、一生はかなきひぐらしをするのであります。それを生れ更りて、よきひぐらしにして下さるのが如来の御めぐみの光りであります。
人の生れつきの気質というものは取りのぞくためについて居るのであるから、それを取て、よき生活させるのが如来の真の思召であるから、まことに如来の御慈悲を信じて、心の生れ更りとなりて、此世から心だけは極楽のひぐらしに成りなされよ。
現代語訳
心の更生という〔ことについてご説明しましょう。〕人の生まれ付きの心はわがままであり、良い心ではなく、物事に苦しみます。また色々な心の気質があるため、困惑し、自身で自身を責め立て、他人に対しても心に壁をつくり、気質のかどがあり、円滑な関係を他人と築くことができないのです。そんな〔苦しみもがくあなたの心を〕如来様のめぐみの光は除きさってくださり、真実に平和で安らかな心に生まれ更ることができるのです。しかし、〔愚かな者は〕如来様の大いなる力を当てにせず、自分はこのような生まれつきの気質があるからしかたがないと自分から決めつけてしまいます。〔そしてその〕気質がいつになっても、取り除くことができず、一生はかない空しき生活することになるのです。そのような空しき生活から生まれ更り、良き生活にして下さるのが如来様の恵みの光なのです。人の生まれつきの気質というものは、取り除くためについているのです。ですからそれを取って、善き生活をさせるのが如来様の真の御心でありますから、まことに如来様のお慈悲を信じて、心の生まれ更りをさせていただき、〔来世の極楽だけではなく、〕この世から心だけは極楽の生活と成らせていただきなさいよ。
解説
今回の書簡は前回ご紹介した尼僧さまへの書簡の続きの文章です。弁栄上人の御文章は、人間関係や、自己肯定感を損ない苦しむ私達に、こんなにも、具体的に、如来様の光明の更正(救いとお育て)をお説き下さっています。この文章もまた、毎日拝読したい文章です。
出典
山崎弁栄上人『弁栄上人書簡集』「二〇」山本空外編一四四頁より掲載
機関誌ひかり第706号- 編集室より
- 行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
- 現代語訳の凡例
- 文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
- 付記
- タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」