過去帳序
亡き人の忌日には、香花灯明等を供して至心に回向なされかし。
何かに意を用いて回向すべきぞとなれば、今後世を通し、即ち迷途の闇をも照し玉うは、独り無量光如来の光明のみなれば、至心に光明名号を称えて是の如くに回念すべし。
願くは大慈父に在ます無量光如来よ、今ここに、亡き某甲の精霊の為に大慈悲の光明を以て摂受し玉え。無量光明土に生ぜしめ、見仏聞法して、速かに無生忍を得せしめ玉えと、懇ろに如来の大悲を仰ぐべし。
また父母師友六親眷属乃至一切の知識と共に同じく大悲の光明を仰ぎ、倶に無量光明土に生じ、「諸上善人倶会一処」の妙果を得べきよう至心に回念したまえ。是の如くは啻に亡祖父等の追孝たるのみにあらず、信仏家の菩提心と謂つべきものなり。此言を寄て序に擬すと尓云う。
大正八年八月 仏陀禅那弁栄
現代語訳
過去帳序亡き人の命日には、お香・お花・お灯明などをお供えして、至心にご回向してください。
どのような心持ちで回向するべきなのだろうかと疑問に思われるでしょう。それは、この世とあの世を通して、その迷いの途の闇をも照して下さるのは、ただ独り、阿弥陀如来の光明のみなのです。ですから至心に光明の名号〔南無阿弥陀仏〕を称えて次のように念じつつご回向して下さい。
どうか、大いなる慈父であらせられる阿弥陀如来よ、今ここに、亡き某甲の精霊のために、大慈悲の光明を照らし、救い摂り下さいませ。〔そして〕極楽に生れさせ、あなたにお会いし、教えを聞き、速かに真理を悟って安楽なる境地に到らせて下さいと、心をこめて〔阿弥陀〕如来の大慈悲の導きを請い願いましょう。
また父母・師友・すべての親類、さらには一切の縁ある友人知人に〔仏縁を結び、彼らと〕共に同じく〔阿弥陀如来の〕大慈悲の光明を請い願い、共に極楽に往生し、〔『阿弥陀経』に説かれるところの〕「多くの善き方々と共に極楽でお会いする」の妙なる結果に到ることができるよう至心に念じつつご回向して下さい。
このような〔ご回向の願いは、〕ただ亡くなられた祖父等の追善の心のみならず、仏法を信ずる者が、悟りを求める心〔そのものと〕と言ってもよいものなのです。この文を〔過去帳〕に記しましたが、それは、序に似せたものに他なりません。
大正八年八月 仏陀禅那弁栄
解説
出典元である『観照』に佐々木為興上人が、広島の佐久間家のために染筆されたことが伝えられている。某甲―は「だれそれ」、もしくは「自分」の意。ここで亡き方の名や戒名、もしくはその両方を読み上げる。
六親―自分に最も近しい六種の人々。
①父・母・妻・兄・弟・子
②父・母・兄・弟・夫・婦
③父・母・兄・弟・姉・妹
④伯・叔・兄・弟・児・孫
⑤舅・姨・兄・弟・児・孫
など諸説ある。(『新纂浄土宗大辞典』より)
眷属―「一般には一族、親族、身内、仲間の意。仏教では特に仏・菩薩を取り巻くもののことをいう。」(『新纂浄土宗大辞典』より)
出典
『観照』三十二号(昭和八 年二月四日)一頁、また『光明』四九四号(昭和五十年 十二月)掲載
機関誌ひかり第736号- 編集室より
- 行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
- 現代語訳の凡例
- 文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
- 付記
- タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」