大なるミオヤは十方法界を遍く照し、わけて我名を呼びて頼む者に答うる心光を以て衆生の心霊に霊妙の響を与え玉う。されば、あなたが一心に余念なく称名する時、あなたの一心、弥陀に対して真正面に心を向けて念ずる時は、あなたの真正面に在ますミオヤは、また真正面にてあなたに答うるに、霊なる響を以てす。
あなたに御答が如何に聞え上げられますか。それともまだ御答の声が確と聞え上げられませぬか。御答の響が感ぜられませぬか。もしあなたが聞えぬと云わば、そは何故に聞えぬのでしょう。ミオヤはあなたを真実に愛して在ますことなれば、「能くも遣る瀬なき親心を汝は思いつきしぞ。真実に汝が真ごころから吾ミオヤよと云うて呉れよかし」と忘るる間はなきに、「能くも我名を呼んで頼む心を発せしことよ」と思召す如来に在ませば、何ぞあなたの称名は御答なき筈ない。斯ような訳なれば必ず御答は有る筈なれども、あなたがよそ心の為めに御答を自ら聞きはづして居るのかと思う。実に甚深微妙なる御答の響は麁略な思を以ては聞え上げられぬ。
現代語訳
大いなる御親の〔阿弥陀如来〕は、あらゆるすべての世界を遍く照し、とりわけ〔南無阿弥陀仏と〕我が名を呼びて、〔救いを〕求める者に応答して、〔その〕心〔を照らす〕光をもって、衆生の心霊に霊妙の響きを与えて下さいます。ですから、あなたが一心に余念なく、〔南無阿弥陀仏と声を出して〕称名するとき、〔そして〕あなたの一心を、阿弥陀如来に対して真正面に心を向けて念ずるときは、あなたの真正面に在ます御親もまた真正面に〔在して、〕あなたに霊なる響きをもってお答え下さいます。あなたには〔その〕お答えがどのように聞こえていますか。それともまだお答えの声がしっかりと聞くことができませんか。お答えの響きが感じられませんか。もしあなたが聞こえないというのであれば、それはなぜ聞こえないのでしょうか。御親はあなたを真実に愛して下さり、「よくよく〔衆生を念じている〕遣る瀬ない〔私の〕親心に、汝は気付いているか。真実に汝の真心から、我が御親よと言ってほしい」と〔いつも念い〕忘れる時間はない〔のです。そして、お念仏を称えるあなたを見まもり導く〕如来は、「よく我が名を呼んで頼む心を起こしてくれたことよ」と思し召すのですから、どうしてあなたの称名に、お答えがないということがありましょうか。このようなわけですから、必ずお答えはある筈です。〔お答えを聞くことができないわけは、〕あなたが、よそ心で〔お念仏して〕いるために、〔その〕お答えを、自ら聞きもらしているのであろうと思うのです。実に甚だ深い妙なるお答えの響きは、粗雑な念いでは聞くことができないのです。
解説
御慈悲のたより上巻に掲載のこの書簡を、本号と次号に分けて全文、現代語訳して紹介していきたいと思います。 原本未発見のため、この書簡の宛先は不明ですが、懇切丁寧に、また平易に如来さまからの働きかけ声)があることを御教示して下さっています。お念仏の前に拝読し、粗雑になりがちな念いを引き締めていきましょう。
出典
『御慈悲のたより』上巻445~446頁。掲載
機関誌ひかり第746号- 編集室より
- 行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
- 現代語訳の凡例
- 文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
- 付記
- タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」