光明の生活を伝えつなごう

発熱の文

発熱の文 52 真実と方便


 宗教伝播につきて真実と方便とあり。方便とは方法便宜にて、能化の師より所化の人に宗教の必要を感ぜしめ、求道心を発す処の動機を与うこと。未だ宗教心なきものの為に、或は演説等によりて人は宗教なくては終局の目的も明らかにならず、また人生闇の中にくらすは浅ましきものであるということを自覚せしめ、いかにして其明なる道を得られんものぞとの求道心を発さしむるは方便にて、而していよいよ求道心が発りし上は、能化の精神の国に常に燃ある信念の光明の火を求道者の信心に点ずるのである。ここに於て今貴姉に望む処はここにあり。方便としては他より教師を請ずるもよし、演説師を聘するも非にあらず。然れども真実の信念、即ち真髄の段に至っては、貴姉が常に自己心中の奥に活躍し在る霊の光明を其ままに同胞等に伝播するにあり。それには自己の信に至誠熱中せざるべからず。自己が全く如来の心光によりて自己の奥を支配し、自己此によりて恩恵を感じ、此光明によりて霊活し活動し、之を以て自己の霊命を成すあらば、同胞にもまた之を頒つべし。


現代語訳

  宗教を伝え広める方法については真実と方便の〔二つ〕があります。方便とは方法と便宜のことです。仏法を伝える師より人々に宗教の必要を感じさせるように導き、求道心を発すための動機を与えるのです。未だ宗教心の無い者のために、或いは演説等によって、人は宗教を学ばなければ〔人生の〕終局の目的も明らかにはならない〔と伝えるのです。〕また人生〔の意義も知らず〕闇の中に暮らすことは浅ましいことであることも自覚させ、どうすれば、その明るい道を〔歩むことが〕できるのだろうか、との〔問いより〕求道心を発させることが方便なのです。そしていよいよ求道心が発りし上は、仏法を伝える師の精神世界に、常に燃えつつある信念の光明の火を求道者の信心に点ずるのです。このような〔真実の勤めを、私は〕今、あなたに希望するのです。方便としては他より〔仏法の〕教師をお願いしてもよいですし、演説師を招くのも悪くはないと思います。しかし、真実の信念、すなわち真髄〔を伝えるという〕段階に至っては、あなたが自己の心の奥に常に活躍している霊の光明をそのまま同胞等に伝え広げていくのです。そのためには自己の〔如来への〕信を真実のものとし、〔また敬慕の心を発し〕熱中させていかなければなりません。自己が全く如来の心光によって支配され、そこに恩恵を感じ、その光明によりて霊的に育み活動し、これによって自己の霊の命を得ることができてゆけば、それを同胞と分かち合うべきなのです。

解説

行者(この文を拝読する者)の信仰の発熱を促す経典や念仏者のご法語をここで紹介していきます。
また、現代語訳を、他の弁栄上人の御遺稿を参照しつつ、〔 〕によって加筆し作成しています。今後、より正確な現代語訳作成の叩き台となれば幸いです。

出典

『弁栄上人書簡集』「八二」 二八五〜二八六頁、『御慈 悲のたより』上巻「二一八」 三九二〜三九三頁。真言宗 尼僧、渡辺厚盛尼宛。

掲載

機関誌ひかり第753号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」
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