光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 目の手術

山本 サチ子

 「目は口ほどにものを言い」と言われる。大切な眼が霞んで見えることに気が付いてから早くも数年が経つ。もうこれ以上グズグズできないと考え病院に行く。  
 まだ開業したばかりの眼科病院である。院長先生は眼科医としての勤続年数は長い。周りの評判も良いこの病院で手術をすることにした。
 八月一日、八月八日と片方ずつ眼の手術を受けた。猛暑の時期に手術は避けたかったが周りの状況と合わせ実行する。視力はそれほど悪くはないが、文字や物が二重に見えて読み違いがおこる。つまり乱視が酷い状態である。眼の中でカメラのレンズの役割をしている水晶体という部位が濁ってしまう状態である。いわゆる白内障だ。水晶体が濁ってしまうと視界がぼやける、かすむ、二重に見える、まぶしさを感じるといった症状が起こり、徐々に視力低下が進行していく。夜空の星やお月さまが重なり合って見えることも水晶体の濁りの為である。と以上の説明を受けた。さあ大変なことだ。私は医者の説明があてはまる状態であった。

〈手術後の状況〉

 手術は上手くいった。手術時間は短かったがその前後の処置が長い。丁寧過ぎるくらいだ。通院と三種類の目薬を一日4回と2回ずつさす目薬を五分間おきに使い分けなければならない。忘れないよう日程表と回数表のチェック一覧を作成して記入する。ともあれ何とかこの作業を切り抜けられた。
 手術後の視界はまるで別世界に来た心地だ。これが現実の世界なのか? テレビがこんなに美しく見える。周りの風景なにもかもが、はっきりと見えて心底嬉しかった。長い間、はっきりと見分けがつかない状況から解放された。全てピントが合っている。主治医の先生、そしてよくお世話してくださったスタッフの皆様ありがとうございましたと心の底から感謝の気持ちでいっぱいになった。合掌
 
 だがそれは喜びばかりではなかった。自分の容貌もはっきりと見え年齢を改めて自覚することとなったからである。それだけではない。家の掃除が行き届いてないことを嫌というほどに思い知らされた。台所、お風呂場、部屋の隅々に至るまであからさまに汚れが見えたことは大きなショックだった。毎日、一応掃除はしてたのに。何故だろうか? 愛猫まで家の中で空中跳びをして部屋を汚す。色々あるが、一番の原因はやはりこれまでキチンと見えてなかったからだろう。これではいけないと気が付き今では毎日、お掃除を小道具をつかいながら丁寧にするように心がけている。猫も外遊びから帰ったらきちんと拭いてあげている。最初は嫌がっていた猫も今では嫌がらない。几帳面な自分ではないのでなるべくサボらないよう頑張ってみようと思う。手術を受けてこのような諸々の事を感じながら暮らしている。

〈心の目〉

 念仏と読書、植木の手入れ、食事作り、そして日々の散歩は私の楽しみである。庭で植木や花の手入れをしていると「奇麗なお花が見られてここを通ることが楽しみです」と言う人がいる。その言葉は私を元気付けてくれて嬉しい。が一方で、コンビニの袋を捨てていく人、歩きたばこの吸い殻を捨てていく人等様々である。大方の人は奇麗な花だね。との声が多いが一方で庭にゴミを捨てるひとがいるのだ。
 私は、「花が咲いてるところにごみを捨てるなどもっての外」とこれまで腹を立てていたが、最近ではゴミを捨てる人のこころの内側を考えている。ゴミを捨てる人は、幼い時からの環境が劣悪であったのかも知れない?…とも考えられる。何故そうした行動に出るのか。もっと優しい気持ちを持つことが出来ない人に出来上がってしまったことは、大きく言えば親の責任はもちろんだが社会の責任もある気がする。劣悪な環境から救い出すことが出来たならもう少し違った心の持ち主になっていたかも知れないのになぁ…。今、社会福祉が昔より充実してきつつある世の中ではあるが「ひとのこころをどのように育てていくか」が抜けている気がする。経済的援助と合わせてむずかしいことだが「心の育成が必要なのではないか」…と思案する。
 最近、庭でよく虫に刺される。昨日は蟻に噛まれ、今日は名の知れない茶色でクワガタのような形をした小さな虫に刺された。土や植物には色々な虫がいる。中でもシークワーサー・清美オレンジ等の柑橘類にも幼虫がいるのだが、アゲハ蝶の幼虫は色こそ緑色だが田舎で養蚕していた「蚕」によく似ているため退治できない。そのせいで我が家の庭は毎日アゲハ蝶が何匹も悠々と飛んでいる。そのさまは楽しくもあり、これで良いのかなとも思う。昔、私の生家では、養蚕業も営んでいて、それにより、かなり家計を助けられた。「蚕部屋」では「蚕」が「桑の葉」を食べ、上下に首を動かし、懸命に食べている様子が分かる。その桑の葉を一斉に食べる「食音」はまるで「春雨かちいさな沢のせせらぎ」の音のようでもある。その瀬音が私にはとても心地よく聞こえたものだ。その当時、私は母に桑の葉かけをいつも手伝わされていた。その時の母の真剣な様子を鮮明に思い出す。そうした子供心の思い出が蘇る。「蚕」が「繭」を作り、繭が高価な値段で売れた時、私は母から手伝いのお小遣いを貰いその当時は、まだまだ貴重であったチョコレートを買いにお金を握り締めて駄菓子屋へと走った。遠い昔の思い出である。それが「アゲハ蝶の幼虫」を退治することが出来ない所以でもある。

〈結び〉

 つらつらと書き並べたが「眼の手術」後は、はっきりと見えるようになり、それはありがたいことであるが、物は見えても他人の心は見えない。それは幸せでもあり、不幸であるかも知れない。見えないことにより様々な誤解が生じることもあるからだ。人のこころが全部見えたらそれはそれで怖いことでもある。しかしながらこのような社会に「南無阿弥陀仏の御教えと実践」を広めていけたらと私の願は尽きない。人生で何に頭を下げるかで人の生き方は決まる。今日まで私はずっと御教えを戴いて来た。平和な生き方とは「南無阿弥陀仏」に頭を下げる生き方であると信じている。
 人の一生は精々百年未満。ならばこの百年をどのように生きるのかをきちんと考え生きなければと思う。地球上にいることが限られているならば皆で分け合って楽しみながら暮らす。戦争を止めたらそれだけでも飢餓に苦しんでいる人々の問題解決にも繋がる。人間の欲望は究極的には大きな戦争へと繋がってしまうと思う。欲望には終わりはない。欲望を捨ててひとの命の尊さを世界中の人々が考える世の中になればいい。人々が皆が仲良く暮らせる世の中を造り上げること。それが必須である。人はみな、如来さまの子供であり 「生かされている」その思いをきちんともつこと。未熟であるからこそ皆でこころを見つめ直して精進していく必要があるのではあるまいか?
 人間に生まれたことを考え「人生の意義」を考慮して生きなければ争いは絶えない。

  親も子も またいもうとも はらからも
   経のいともて ちぎりむすべよ 
(山崎弁栄上人詠歌)

 山崎弁栄上人の開かれた光明主義を何とか一人でも多くの人に広めていきたいと願うばかりである。           合 掌

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