山本 サチ子
八月半ばになっても続いている連日の猛暑に一日をどのように支障なく過ごすか戸惑いながら日々を過ごしている。自分が子供の頃には経験したことのない暑さだ。地球温暖化の進む中でいかにこの時代を切り抜けていくかをつきつけられているようだ。地球温暖化だけではない。世界では戦争も起こっている。今をどう生きて行くか模索しながら生活していく時代でもある。そして地球を形成している大地だが雨は土を柔らかくしてその中に栄養分を蓄える役目も果たすのだ。雨と土は植物を保護し育てている。猛暑の続くこの気候でこの関係が崩れ、植物の発育を少しずつ壊している。大地や大気の状態をはやく元通りにと願う思いである。
毎日、野菜や植木に水やりをしながら不安な気持ちになる。今年は去年よりも猛暑ではないかと思う。水やりをしても15分もすれば土があっという間に乾いてしまう。強いはずの雑草でさえも枯れてしまう程の暑さだ。まさに砂漠のような環境にさらされている。
台風が来るとの予報だが、ここ埼玉はそんな気配すらない。台風が来ることを願ったのでは、線状降水帯が来る地域の事を考えるとそうもいかない。本当に困り果てた天候に戸惑いを感じながら過ごしている。昔ばかり振り返っても仕方のないことだが、やはり遠い昔が恋しい。こんな気候になるとは想像もしていなかった。地球温暖化は人間がもたらした結果であるならば世界は争いを止めて解決策を生み出していかねばならないであろう。
地球上の人間は気候だけではなくさまざまな不安を抱えながら暮らしている。そんな心の支えとして宗教を求める人が多いのではと思う…。そこで自分を強く支える柱が必要となってくる。
子供の頃の自分は、「宗教は生きる支えになり、人生を豊かにしてくれるもの」であると信じていた。しかし本当にそうであろうかと昨今の社会を見ていると頷けないことが余りにも多過ぎる。
純粋な宗教であったはずのものが、利潤の追求に利用されていることがあり、それは宗教とは言えず言語道断である。宗教は純粋に神仏を貴ぶ人々が拠り所として受け入れているものであると思う。
随分昔の話になるが私の子供の頃、私の故郷の人々は自然に感謝して生活している人が多かった。自然を愛し、貴び日々神仏に手を合わせる生活をしていた。
水神様、仏壇、神棚、太陽やお月さまや山に向かい合掌していた。秋にはススキと団子をお月さまの見える縁側の片隅に捧げた。当時はそれが当たり前であった。今にして思えばそうした周りの大人たちの生活習慣が神仏や自然を仰ぎ合掌する習慣を育てていた。その習慣から少しずつ信仰が培われてきたのだと思う。そういう生活を支えてきてくれた周囲の大人達は今考えると有難いことである。習慣は体に染みつき宇宙を崇め奉る心が出来ていったとも考えられるからだ。
現代の生活様式を昔に戻すことはできないが、もう少し過去の習慣に引き戻すことは全くできないわけではない。しかしながら明治維新以来、学校教育も含めて封建制度から中央集権国家へと変わっていったことは必然ではあろうが、それまでとは大幅に変化してしまったことは必ずしも良いことづくしではない。改革をすればそれなりに問題も出て来る。幾多の戦争を経て経済成長を遂げたことも事実だが、人間の幸せは経済が発展してもそれのみでは癒されません。私達はそのことに心底気が付き、心のおきどころを作り、生活していくことが大事なのではないか? それには、世の中の便利さや知識偏重を戒め、この時期であるからこそ、念仏の実践をしていくことが大事なのであり、今重要な局面に差し掛かっていると感じている。
〈凡人だから〉
時折、私は無性に山や川、田園風景が恋しくなる。そんな気持ちが伝わったのかも知れない。長男が日曜日に川越市の町の郊外に車で私を連れて行ってくれた。そこは見渡す限り田園風景で稲が黄金色に染まっていた。
思わず「ああ、なんてきれいな景色!」…と声に出していた。それは昔見た郷里の風景と重なって見えたのだ。シオカラトンボが羽をひそめて稲穂に泊まっていた。美しい景色は私を虜にし、素直にしあわせを感じた。
この地域は台風も無かったせいか、稲穂は悠々と頭を垂れている。もうすぐ9月だ。稲刈りの始まる季節が近い。春の田植えと秋の実りの季節にはここに来てこの景色を見ることが楽しみである。やっぱり私は孤独は苦手だ。いつも家族や友人、そして動物が側にいてくれることを願う。「一人では生きていけないなぁ」としみじみと周りの手助けを有難く思う。
念仏さえすれば、如来様がいつも、いつも側についていて下さる。と思ってもそこに弱い自分がこうべを垂れているのだ。やはり自分は凡人である。つまり念仏が足りないのだ。こんな私であるけれども「如来様、私を見捨てないでくださいね!」…と今日も南無阿弥陀仏と称えている。
〈結び〉
上京して友人から光明会を紹介されて以来、もう半世紀以上になる。
その日の会所は、練馬区にある光明園で『田中木叉先生』の法話が始まっていた。18歳の自分には田中木叉先生がどれほどの人物なのか知る由もなくいきなり「如来光明礼拝儀」 をお称えするさまを、礼拝儀の文字だけ目で追っていた気がする。なんと不思議な会所なのだ。実家の父が毎日お経をあげていたが、それとは全然違うではないか。本当に浄土系なの? と友人の説明に疑問を感じた。はじめて参加した時はそんな思いで出発したのだった。
それから数日後に別時にも付いた。大学に入学以来、初めての夏休みに実家に帰省し、父に「松戸の五香善光寺」というお寺で別時に参加した話をした。住職である父は、「また機会があれば是非その法話の会や別時に付くようにすると良い」…と私に勧めた。
もしあの一言がなければ参加してなかったかもしれない。なぜなら、はじめて手にした「礼拝儀」を当時の自分は理解することは到底出来なかった。
「なんじゃこれは?」…とチンプンカンプンだったのであるから。
特に「其れ衆生有てこの光に遭うものは三垢消滅し身意柔軟に歓喜踊躍して善心生ぜん」とある。また驚きは食前のことばにもあり、ただただ、首をかしげるばかりであった。
念仏をすることにより「身口意ともに貪・瞋・痴」がよくなるとのこと。
あの時の驚きから、半世紀、今では当時を懐かしく思い出している。
「報身・法身・応身」の如来様の光明を頂きながら生活出来ることを有難く思い、感謝の生活で毎日を過ごしている。
時代がどんなに便利になろうと、如何に生活が豊かになろうとも、それだけでは幸せはない。人間の究極的生き方に迫りその視点から「煩悩のコントロール」をしていかなければ真の幸せはつかめない。仏の力による光明を頂きながら生活していくありがたさを感じている。
南無阿弥陀仏