植西 武子
光の中に育まれて
高校一年のある日、自分の進路を考えていた時にふと抱いた大きな疑問、「もし、最高の大学に入って、最高の仕事に就いて、素晴らしい結婚相手に恵まれたとしても、それが何だ。その先に何がある。」さらに、「人は何のために生きるのか」
これは誰しもが経験する人生でのセレモニー。この答えを求めて私の心の旅が始まりました。あちこちとさすらう中で、大学の頃、伯母に誘われ初めて参加した信州、唐沢山別時念仏会、しかも田中木叉上人の最後のお別時でした。
これが私の光明主義との出会いでした。この時の感動は私の心に大きな波紋を描き、今なお余韻となって響いています。あれからほぼ半世紀、遅々たる歩みに自分の非力を嘆きつつ今日に至っています。今振り返り、光明主義を信奉する祖父母、伯母、母の育てがあったことに感謝の極みです。さらにその後ろで大いなる愛の光でもって育んで下さった弁栄聖者、如来様のご加護を実感している昨今です。
何のために生きるのか
これに関する答えが私なりにフォーカス化されてきました。「極楽往生」もさることながら、宗教は「生きて働くもの」でなければなりません。今まで受けた恩恵に感謝し、世のため人のために微力ながら、お返しをすることだと思います。
これといった才能もなく、役立つ特技もありません。しかし、幸い意欲だけは萎えていません。これを唯一の頼りとして、健康である限り、ささやかながらお手伝いをすることが私の生き甲斐とでも言えるかと思います。
この混迷の世に生きて
物質文明の爛熟期がもたらす精神の荒廃、あらゆる分野で危機的状況が叫ばれています。今こそ宗教の出番です。この尊い光明主義の教えを世の人々に伝えるべく行動をおこす機会です。自分だけ甘露の味を貪っている時ではありません。
さりとて、何を何処から始めればと思う気持ちは同じです。まず、小さなことからでも行動に移してみませんか?勇気ある行動が発火点となって「法のともしび」が輝くように頑張りましょう。子供たちに明るい明日を約束するために。
手をつなぎ、発揮しよう、命を育む女性力
「弱き者よ、汝が名は女なり。」これはシェイクスピアが生きた16世紀の話です。確かに生物学的には今もそうだと思います。しかし女性は本能的に素晴らしい力をたくさん持っています。特に情操や感受性に秀でています。そして子供の人間形成に大きな関わりを以ています。若い人たちに入信の動機を尋ねますと、大抵は「小さい時におばあちゃんとお寺に行っていた。」という返事が返ってきます。
子供たちの心に宗教性を涵養するよう、女性力を発揮しましょう。
一人では何もできません。小さな力が集まって、大きなうねりとなるように、みんなで頑張りましょう。かねてよりその女性力を説いておられた弁栄聖者の慧眼にひれ伏す思いです。
聖者の100回忌に向けて、今からみんなでこの礎を築いて行きませんか?