光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.9 私の光明生活 其の1

田代 悦子

(1)光明主義との出会い

「悦子ちゃん、明日は良いお話が聴けるから、学校から帰ったら、直ぐ伯父さんの家においで」と伯父さんから言われて、当時高校1年生だった私は急いで帰って伯父さんの家に参りました。

奥座敷を埋めた沢山の聴衆はすべて正座して、熱心に正面のお坊さんのお話を聴いていました。実はこの方が田中木叉上人でした。大変難しいお話でしたが、皆熱心にお上人様のご法話をお聴きしている雰囲気に、身が引き締まる思いがしたのを覚えております。

我が家に帰って、今まであまり深く気に留めなかった暖簾の文字が光明標語である事に気付きました。

いつもニコニコ明るい笑顔
いつもハキハキ元気な言葉
いつもイソイソ働く手足

改めてよく見直してこれが光明主義の生活の基本のような気がして、それからの私の生活の指針になりました。
黙って暖簾をかけたり、ご法話を聴く機会を作ってくれた両親や伯父さんに感謝しています。

(2)息子達とのお別時参加

私には二人の男の子がおり年子です。主人の勤務地の関係で岡山の水島臨海工業地区に住んでいた頃、私の両親から電話がありました。
「子供達ももう中学生になったから、今度二人をお別時に一緒に連れて行きたいけどどうかしら?岡山から近いので、神戸の六麓荘のお別時に一緒に行こう」
と誘ってくれました。
子供達にとって初めてのお別時でしたが、小さい頃から、おじいちゃんとお念仏の真似事をしていたかたと思いますが、
「おじいちゃん達と一緒なら行きたい」
と言いましたので二人を連れて、神戸に参りました。

杉田上人ご夫婦が無理をしない様にと気を遣って暖かく迎えていただき、少々の不安も吹き飛んで有難いお別時でした。
「お念仏の時間が2時間半と長いので、おやつを持ってきてお休みしてもいいですよ」
と言ってくださいました。
お別時は3日間だったと思いますが最初は1時間毎の休憩を取っていた子供達も段々馴れて、終わりの頃には2時間半のお念仏が出来るようになりました。
神戸の夜景の素晴らしい所を見せて頂いたりした楽しい思い出と、一緒に参加された方々の熱心なお姿や朝食後のお掃除に全員参加できびきびと働かれている様子を見たりして、二人にとってとても良い体験になったと思っております。

(3)鉢伏山雲上別時の思い出

高校生になった子供達は二人だけで、同年輩の従兄弟達と相談して、夏休みに鉢伏山雲上別時に参加しました。大自然に囲まれて、全てが初めての経験だった5日間は余程楽しかったのでしょう。感激して帰って来て、
「僕達が留守番するから、来年はお父さんとお母さんと二人で是非行ってきたら」
と薦められて、二人で参加しました。
沢山の高山植物の咲き誇っている素晴らしい山でした。此処の1週間のお別時は心洗われるお浄土の様な所でした。
早朝にまだ暗い中、朝露を一杯含んだ草を踏み分けて御来光を拝みに行きました。美しい山並みの向こうから朝日が昇る様子は神々しくて言葉では言い表せない程の感動で御座いました。思わず一心にお念仏をしました。

そして、昼休みにはお花畑の散策をしたり、名古屋から毎年来てくださるお茶屋さんのご奉仕で、野点を楽しませて頂いたり又、鶯の美しい音色にも感激しながら、空外上人のご法話を拝聴いたしました。
難しいご法話も同行された広島大学の新本助教授が、毎晩茶話会の席で質問に答えて優しく解説していただき、時に聴かせていただいた尺八と共に忘れられない1ページです。
このお別時に参加してもう一つ嬉しかった事は、それまで仕事の忙しさに振り回されていた主人が、難しい空外上人のお話とその親しみ深い人柄に心を惹かれ、この後熱心に各地のお別時に参加するようになった事でしょう。今振り返って、このお別時は私の心の中に貴重な宝物として残ったと思います。

つづく

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