光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.15 エプロン部隊の活躍

祢次金 文子

エプロン部隊を支えた人

「エプロン部隊」と言えばその要は何と言っても故藤田さだ様の存在です。お念仏の熱心さに関してはこの方の右に出る人はなかったと思います。その藤田様を中心に、井出景子様、佐藤きん様、盛岡かね様、吉永登志様、祢次金よ志の皆様方が活動を支えていました。後にこの輪は広がっていきました。

大切にしていたこと

特別な決まりごとはなかったと思いますが、次の二点は暗黙の約束でした。
①お互いに誘い合う。声をかけ合う。
②万障繰り合わせて参加する。
当時は家庭に於いてご主人様、お子様のご協力が得られ安心して外出できたことも大きなことだと思います。そして皆様が一緒になってお念仏に燃えていたように思います。

弁栄聖者のお声を聞く

戦後間もない頃は、どの家庭でも暮らしが大変な時代でした。藤田様も幼い二人の子供を抱え、毎日商売に走り回り苦労をしておられたようです。そんな時に二日間のお別時がありました。参加したいが商売を休むわけにもいかず、とても悩んでおられたそうです。
そんな或る日の朝方、枕元で「財を積むより徳を積め!」と言う大きな声に驚き自分の迷いが一ぺんに吹っ飛んでしまいました。
仕事を休み別時会場に入ったら、大きな如来様が目に飛び込んできて、申し訳ない気持ちで最後まで頭を上げることが出来なかったと・・・。私はこのお話を直接藤田様から聞きました。この事がきっかけとなり、藤田様のお念仏に対する思いはますます強くなっていったようです。世の中のことはどっちに転んでも五十歩百歩、とにかくお念仏のご縁を大事にすることと教えられました。

エプロン部隊が自転車部隊に

昭和27~28年頃はお別時が盛んで、特に田中木叉上人は静岡に1週間もご滞在なさり、安東小学校のPTAの皆様にご講演されたり、光明会の各家庭を回り、狭い部屋で膝つき合わせてのご説法や念仏会をされました。そんな時に「エプロン部隊」が「自転車部隊」に早変わり、各家庭に出向いて会を盛り上げ励ます役割もしていらっしゃいました。

各地区、各家庭での念仏会

この時の田中木叉上人の種蒔きがお縁となり、その後各家庭での念仏会があちらこちらで盛んに行われるようになりました。内容は夜7時から8時まで、念仏三昧の後お茶を頂いて散会というごく簡素な会でした。南町地区、三番町地区等に分かれて1ヶ月の内、どこかのご家庭でお念仏の声が聞かれるようになりました。故友田達明上人、故寺本信浄上人様方も時間の許す限り、自転車で参加して下さいました。何とのどかな良き時代だったことでしょう。あれから六十年の歳月が流れ、現在は三軒だけが続けられています。

投稿についてのお願い

植西武子

金田隆栄理事長は弁栄聖者百回忌に向けて、光明主義の灯火が一段と力強い炎となって全国に広がることを祈念して、日夜ご尽力下さっています。その一つとして「婦人部」「青年部」を立ち上げて、未来を支える若い力を育てようとされております。

その活動の一環として「ひかり誌」に女性のページを設けられました。それに応えて、微力ながらお手伝いすべく、皆様方に原稿をお願いする仕事をさせて頂いています。

難解な教義に関するお話も大切ですが、日常の生活に根を下ろした体験や実践は人の心に訴えるところが大きいです。ところが原稿をお願いすると「自分の自慢話のように思われる」「過去の話ばかりでは発展性がない」「うまく書けない」「皆さんに公表するほどの内容がない」等々の答えが返ってきます。

難しく考えないで、同じ法の仲間として、過去から学びつつ新しい方策を生み出し、気楽に意見交換したり、自分の体験や考えを積極的に発表して、共に精進したいと思います。どうかどしどし投稿くださることを願っています。

インターネット上で呟くように、このページが「ツイッター」のように意志表示ができる場になれば、光明会の前途に一条の光が差し込んでくると思います。

この趣旨をご理解下さって、皆さんにお願いのラブレターを差し上げた時には、どうか暖かくお受け入れ下さい。

合掌

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