光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.16 お浄土に生まれた母へ

山内 ふじ子

お母さん、お浄土は如何ですか?大好きなお花はいっぱい咲いていますか?
大好きだった法伝寺のお上人様、また他のお上人様方とご一緒ですか?
如来様や菩薩様に囲まれて楽しくお過ごしでしょうね。法友の方達とみんなで楽しくお念仏をしているのでしょうね。きれいなお念仏の声、りんりんと鳴る鈴の響き、さわやかな木魚の音が聞こえてくるようです。
先日、「ひかり」誌で静岡の「エプロン部隊」が紹介された記事を読んで、当時の様子が蘇り、お母さんに教えて頂いたことを懐かしく、嬉しく思い出しています。
それらを、極楽のお母さんに手紙を出すつもりでまとめました。

その① 母の口癖

「ふじ子、お念仏をするんだよ」「ふじ子、お念仏を頂くんだよ」「いつも如来様が見守ってくださり、良きようにとお導き下さっているからね」「ありがたいね。ありがたいね。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」といつも私と妹に口癖のように聞かせてくれましたね。勿体ないけれど若気のいたりと言うのでしょうか、私と妹は「耳にたこができちゃうね」とか「ハイハイ」と言って軽やかな音楽でも聞くように楽しんでいました。

お母さんがお浄土に往って13年、もう一度教えて欲しい。もう一度声が聞きたい。電話でも良い、あなたの声を聞かせて・・・。

如来様の前で涙がこぼれてしまいます。お母さんの教えを大切に聞かなかったこと、本当にごめんなさい。でも、ありがたいことに無数の毛穴から教えが入ってくれたのでしょうか、年を重ねるごとにその教えが解るようになってきました。ありがとう。

その② 死を目前にして、堂々としていた母

雨のしとしとと古肌寒い日でしたね。お母さんは蛇の目傘をさして、二人で病院に向かって歩いていましたね。
「ふじ子、夕べ私が死ぬかと思って泣いたの?目が真っ赤よ」
「そう!だってお母さんの胸に大きな空洞が二つもあるから再検査をすぐにするようにと病院から連絡があったでしょ。良ちゃん(妹)が驚いて私の家に知らせにきたのよ」
「私はいつもお母さんの家に行っているのに、なぜ体の悪いことに気が付かなかったのかと申し訳なくて、悲しくて夕べは眠れなくて泣いたの」
「ふじ子、それは違うよ。もし私が死んだらふじ子と私の間柄は今よりも、もっと、もっと親しくなれるんだよ。今はふじ子がお母さんに困った、助けてと言ってもバスに乗ったり、タクシーに乗らなければあなたの家に助けに行けないでしょう。でも、私が死ねばすぐにそばに行って全力で助けてあげられる身分になるのよ。お経の本にも書いてあるでしょう。本当のことなのよ。だから死は悲しいことでも、なんでもないのよ。むしろ喜ばしいことなのよ。わかるでしょ。」
「うん」

死を目前に迎えた時にこんな強い人はいないだろう。お念仏って、如来様って素晴らしいとつくづく母の横顔を見つめていました。この母の子に生まれたことを嬉しく、誇りに思いました。

そして病院に行き、大きなレントゲンを撮り、先生が真剣に食い入るように写真を見て下さり、母のバストポイントの間隔も測り、しばらくして大声で笑い出しました。「お婆ちゃん、洗濯板に干しぶどうだね。だから乳首が空洞のように写っちゃったんだよ」

信じられないような診断でした。如来様 ありがとう!

その③ 唐沢山お別時の不思議(1)

お母さん、唐沢山のお別時に50回参加させて頂きましたね。50回が終わった時、「これ以上は皆様にご迷惑をかけるので卒業させてもらうよ」と少し淋しそうに、少し満足そうに笑っていましたね。その50回の間にあった不思議なお話を聞かせてもらうのが楽しみでした。

私は小学校低学年、妹は5、6才の頃だったでしょうか。導師は田中木叉上人でした。お念仏の最中に「ふじ子と良子はどうしているかしら。ご飯は食べたかしら。熱でも出しているのではないかしら」と心配した瞬間、田中木叉上人の木魚がぴたりと止まり、「何もかも如来様におまかせしなさい。私が全責任を負います」と大きな声でおっしゃって、その後、何もなかったように澄み渡った木魚の音が鳴り響いたそうです。
「私の心の奥をご覧下さったと至心に懺悔して、ありがたくお念仏に目を輝かせ、安心して精進させてもらった」と話してくれましたね。
「如来様、田中木叉上人は何もかもお見通しで、お別時は不思議な、嬉しいことがいっぱいあるよ。ありがたいね」と話してくれました。

その④ 唐沢山お別時の不思議(2)

あの時は何回目のお山に登るときだったでしょうか?唐沢山のお別時に行く3日位前にお母さんはぎっくり腰を患ってしまい歩くこともできなくなってしまいましたね。「今年は唐沢山のお別時はお休みね」と悲しそうでした。でも法友(エプロン部隊)が集まって下さり、「大丈夫、藤田さんの荷物は私が持ってあげる」「私は藤田さんを引っ張ってあげる」と励まされ、支えて頂きながらお山を登り始めた時、不思議!目の前の参道に手すりが現れ、その手すりにすがりばがら如来様に手を引いて頂くように、お山に登ることができました。そしてお念仏とご法話を頂くことができたそうですね。

更に帰りには腰もすっかり治して頂き、私たちが静岡駅に迎えに行った時はにこにこと、すいすい走るように元気な姿で帰ってきましたね。その時の貴方の顔は本当にきれいで、卵の殻をむいたようにつるつると輝いていました。本当に不思議!いつもお別時の帰りに迎えに行くと、疲れなど知らない元気いっぱいの笑顔のお母さんでしたね。

お念仏ってすごい!エプロン部隊のおばさん達もみんなきれい。身も心もあんなにきれいになるんだったら私もお別時にいきたいとあこがれたものでした。
その尊い手すりはある尼僧様が全財産を投じてお作り下さったそうでした。
母は「ありがたい、ありがたい」と手を合わせていました。

その⑤ 徳分を袋に詰めて頂く

ふじ子、愚痴を言うのではないよ。愚痴を言うとせっかく頂いた徳分を喰い尽くしてしまうからね。誰でも生まれてくる時に徳分(しあわせ)を唐草の風呂敷に一杯つめてもらい、如来様からしょわせてもらってくるんだよ。愚痴を言うと今日も一つ、明日も一つ徳が逃げて行ってしまうよ!「なむあみだぶつ」ありがたいと感謝すれば徳が一杯に増えてしあわせがいっぱいになるんだよ。

よろこべば よろこびごとが よろこんで
よろこびつれて よろこんでくる

よく教えてくれましたね。今も大切にしています。
今は法伝寺様のお上人様方のご法話がとても楽しみです。お陰様でよろこびを多く頂いている今日このごろです。

その⑥ トイレの神様 ありがとう

トイレ ありがたいね。世の中で一番気持ちの良い時は、大きなトイレを済ませた時だね。ありがたくてつい、「なむあみだぶつ」と拝んで流すね。母の言葉を聞いていた私もいつの間にかお十念をしてから流すようになりました。そして「感謝に心は・・・」と鼻歌を歌いながらキュウキュウとトイレのお掃除をする朝の楽しいひとときを過ごす様になってしまいました。

その⑦ 大きな手をいっぱいひろげて

お母さん、親って本当にありがたいですね。この頃つくづく思います。私たちを大変な思いをして生んでくれて、苦労して育ててくれて、お念仏を教えて下さって・・・そしてお浄土にいってもまだ今も守って下さって・・・。本当にありがとう!

私が「お母さん、仕事頑張り過ぎちゃった。背中が痛いよう」と夜のお念仏をいただいていると、「ふじ子、大丈夫だよ」と大きな手を一杯広げて「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」と私の背中をさすってくれている。

そのお母さんの姿が感じられて、お念仏の三礼が終わる頃には、すっかり元気になれることが良くあります。本当にありがとう。

何ごとも 如来様のお導き 良きように 良きように お導く下さるありがたさ
母のありがたさ 法友たち 数えきれない 周りの人たちの やさしさ あいがたさ
光の中に包まれて 生かされている私 ありがたいこといっぱい
ありがとう ありがとう

「如来様のご恩に報いるんだよ。ふじ子。なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」と母の声が聞こえてくるようでございます。

合掌

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