光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.18 「東日本大震災」に思う

山本 サチ子

私がまだ高校生であった昔のある休日のこと、母が「サッチャンちょっと来て」と裏の方から私を呼ぶ大きな声が聞こえました。行ってみると「ほら、この池のきれいなことまるで絵のようだね・・・」。母が絶賛しているその光景は樹齢300年以上も経つと言われているもみじが色付き、その紅葉が青い空と共に池に映っていたのでした。母と私はその風景のとりこになり幸福なひと時を過ごした思い出があります。

私は東北地方の福島県に生まれました。高校卒業以来ほとんどを東京や埼玉県の川越地区に住んでいます。ここ埼玉県で3月11日の東北関東大震災を経験しました。その時は勤務時間中であったため職場の人達と共に外に出ました。停めてあった車がまるで船のように横に揺れています。揺れている時間があまり長かったからか吐き気がしました。それは私だけでなく他の人も「気持ちが悪い。吐きたい」と呟く声が聞こえたのでかなりの揺れの強さと時間の長いことが解かりました。長く揺れる地震の間、ずっと「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」と夢中で唱えました。最初「恐い。どうしよう」と思った気持ちから解放されて恐怖の気持ちがだんだんと楽になっていきました。あの時のことを私は一生忘れないでしょう。本当に不思議な体験でした。

私は東北の福島県に生まれて、高校を卒業するまでそこで暮らしました。生まれ故郷は私の自慢の土地でした。昔の会津の殿様の行列が通る宿場町でした。子供の頃に、私達の会津の地を倒した九州の薩摩藩を絶対に許せないと思っていた記憶があります。大人達の話からそのように考えるようになりました。「会津の白虎隊」が西の官軍との戦いに敗れ、飯盛山で自決した若い少年達を思うと可哀そうでやりきれない気持ちになったものです。

また、福島県の海は海産物がすばらしく、子供の頃にトラックで運ばれてきたものを母と買いに行くことが楽しかったことが思い出されます。福島県には会津磐梯山・磐梯東連峰・安達太良山脈・会津鶴ヶ城・五色沼どれをとっても皆美しくスバラシイものばかりです。それが3月11日の震災以来、「世界一放射能で汚染された地域」となりました。同じ東北地方で被害にあった宮城県や岩手県は復興をめざして頑張っているのに、福島県は原発の終息がいつのことやらまだまだ先の話なのです。テレビ・ラジオさらに街の至るところで「頑張れ東北」の標語はありがたいけれど福島県出身の私にとっては正直胸が痛みます。

地震・津波・福島原発の崩壊からいまだに私達国民は解放されません。人類の安全よりも「経済と産業」を優先した結果、原発事故の放射能流出はいまだに終息していません。
思いおこせばあの地震の中で無我夢中で「南無阿弥陀仏」を唱えていた自分がいました。ある情報によるとこのたびの事故で政府と大事業家たちは被災者を九州の方に避難させるという巨大プロジェクトが企てられたが実行寸前でそれが中止になったといいます。その話が事実であるならばそれは避難民の「こころ」まで考えられたプロジェクトではなかったからなのではないでしょうか。

【親戚と知人宅】
福島県の親戚の子が中学生で陸上マラソン選手として東北代表選手に選ばれ練習に励んでいましたが、今は放射能が多いという理由でグラウンドに立つことも許可されません。知人の家は酪農家で、もう一人の知人は野菜を出荷している農家です。福島県民はこれからどう頑張ればいいのでしょう?
【自分の今の思い】
今年の桜の花は地震・津波・原発の騒ぎでゆっくり花見ができませんでした。今は辛い大変な時期かもしれないけれど何かできることを見つけながら時期の到来を待つことなのかもしれません。来年の桜の花はゆっくりと花見がしたいなと小さな希望を抱いています。そしてあの恐ろしい地震の時に夢中で南無阿弥陀仏を唱えたあの時のことを思い出しながらこれからも日々、「南無阿弥陀仏」の生活をしていこうと強く思うこの頃です。亡くなられた方々のご冥福と被災された多くの人達のこれからの御無事そして原発事故の終息を祈りながら・・・・。

合掌

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