光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.28 あれから一年・・・「3・11の集い」に思う

植西 武子

天も地も灰色一色に包まれた中でヘッドライトがついた車が次から次へと濁流の中に消えて行く。まるでフィクション映画の画像をみているように。しかし、これは紛れもない実像であった。手を合わせ「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」と祈るより、なすすべもないもどかしさ。

あれから一年の月日が流れた。その間、自分は何をした?自責の念にかられつつ直後に義援金を送っただけ。

「何かしなければ、何かしたい」と常に思いつつ、また光明会としても何かすべきと思いながら、声かけもせず悶々として日を過ごした。

去る3月11日にやっとささやかな東日本大震災の犠牲者に向けての追悼のお念仏とご回向ができた。第二回目の「婦人の会」と重ねた。参加された皆さんも口々に同じ思いであったと言う。その熱い思いがお念仏に込められていた。

河波定昌上首の丁重なご回向は彼岸の犠牲者にしっかりと届いたことと思う。これ1回きりで終わることなく、今後も末長く続けていかねばならない。いや、続けたいと思う。

今回の大災害は我々に多くの教訓を残した。被災された方々には何とも申し訳ないが、我々は科学万能を謳歌した時代への警鐘と受け止めるべきと思う。

誠実で、実直、根気強く、古き良き日本の精神文化を最も守り続けている東北地方がなぜその犠牲とならなければならなかったのか、当地の方々は尚更その思いが深いと思う。

「効率」、「便利さ」と引き替えに失ってしまった貴重な精神文化がここで改めて再確認されようとしている。

震災後、「絆」と言う言葉がクローズアップされている。希薄になった人間関係、特に「家族」の絆の大切さを感じた人は多いと思う。あたりまえの存在が予告なく一瞬にして焼失するきびしい現実を突きつけられ、その喪失感は言葉に尽くせないと思う。

一方で失われたと思われていた人と人との絆が健在であったことも確認できた。震災直後から現場に駆けつけた多くのボランティアの方々の献身的な働きに感激した。日本にはまだまだ人としての温かさ、思いやりの気持ちが健在だったことが再認識された。

さて、これからがその真価が問われている。当地の人々の悲しみや苦痛はなかなか癒されない一方で、災害の教訓を風化させないことである。それにはやはり関わりを持ち続けることだと思う。

どのように関わるかに工夫し、是非行動に移していきたい。先日の3・11の婦人の会の時にも話題になった精神面の関わりこそ、特に求められていると思う。

宗教に関わりを持ち、弁栄聖者の御教えを受けてきた光明主義者であるならば、まず、精神面の関わりからアプローチしていけばと思う。

「絆」に次ぐキーワードは「祈り」と思う。それは犠牲者への祈り、被災者への祈り、復興への祈りである。誰にでも、何処でも、何時でもすぐに実行できる「祈り」こそ、持続して実践していきたいと思う。そして、もう一歩進めてたとえ小さなことであっても何らかのお手伝いがしたい。体力的、年齢的にかなりの制約がある身ながら、器は小さくても、それ相応のことを見つけてこれからでも遅くはない。是非行動に移したいと思う。婦人の会の時に聞いた、既に現地入りして活動をした炭屋昌彦氏の言葉には重みがあった。

「理屈はいらない。行動してこそ価値がある」と。

最近、友人から「傾聴ボランティア」の話を聞いた。老人ホームを訪問してひたすら相手の話を聞くと言う。根気と配慮のいる仕事である。即、応用とはいかなくても、例えば仮設住宅に隠る一人暮らしの人が多いと聞く。何らかの接点が見つかるかも知れない。

17年前の阪神・淡路大震災で自宅マンション全壊扱いを経験した。仕事の関係で昼は避難所となった学校をめぐり、夜は役所の床に毛布1枚で寝泊まりしたあの厳寒の1ヶ月の生活経験が少しは被災者の気持ちに寄り添えると思う。淡路島が見渡せる海辺のお気に入りの住みかから一夜にして宿無しとなる現実はかなりきびしいものである。

毎夜、暖かい寝床に入る時、東北の方々に心を馳せ、「申し訳ありません。すみません。

」と手を合わせずにはおられなかった。

自分には仕事があり、しかもその量はかなりのもので仕事に忙殺されていたから、苦痛を味わう間もなかったが、全てを無くし、一人きりになった人の気持ちを思うとやり切れない。一人でも、二人でもそういう方の話を聞きたいと思う。

この5月に関東支部の婦人部の発会式をする予定である。とは行っても人数的にも限られており、大きな事はできないが着実に歩を進めたいと願っている。この婦人部の活動の一つの柱として、東北地方の方々にお役に立つことを考えたいと思う。誠実の会合で何かしたいと言う皆さんの強い気持ちが確認できたので。

弁栄聖者は百年後に光明主義は発展すると言って亡くなられたと聞いている。あと10年弱でその時を迎えることになる。それに向けてただ待つばかりでなく準備が必要である。どんな準備が必要なのか?
最近、あちこちから弁栄聖者についての問い合わせがあると聞く。まず、光明主義とはどんな思想かと問われ、次にどんな活動をしているかが問われると思う。勿論、過去数十年に亘って築かれた先輩方の業績は大きい。しかし今、具体的に世のため人のためにどんなことをしているかと問われると答えに窮する現状ではないだろうか。

先日、若松英輔氏の講演で「自分のために祈るばかりでなく、今日此処に来られなかった人のために、他の人達のために祈ることが大事だ」と話された。河波上首がよく話される「開かれた宗教」とは単に「閉じる」の反語ではなく、社会に対して積極的に働きかける宗教を意味していると思う。

小さくこじんまりとまとまっているだけでなく、世のため、他人のために祈ることが大切と話された若松先生の言葉は百回忌を迎える我々への弁栄聖者からのメッセージと受け止めたいと思う。

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