光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.30 父なるものと母なるものと

佐藤蓮洋

私と弁栄聖者との出会いは、河波先生と念仏道場・光明園のご縁がきっかけになりました。4年前には想像もつきませんでしたが、現在は、その光明園の住人です。

仏教に興味を持っていたこともあり、5年前に東京国際仏教塾に入り、後期課程を光明園(毎月2日)で学びました。河波先生のご講義と仏教塾の先輩から法式(浄土宗の日常勤行式を実践する)のご指導をいただきました。信仰心のある祖母のお陰で、幼年期に宗教的な雰囲気を身近に感じていたこともあったのか、50才半ば頃から、仕事中心の生活を卒業して、「仕事(経済)」「自分(人間形成)」「他者(奉仕)」「祈り(平和)」の良きバランスにシフトしていきたいと考え始めていました。

その思いは、寺男ならぬ寺女としてお手伝いできる場を探し求めることに繋がっていたのかもしれません。丁度、その折に光明園の諦奥様から「もしよければ光明園に住みませんか」とお誘いを受け、「これもありがたいご縁かもしれない」と思い、住人にさせていただきました。その奥様が、1年後にはお浄土に還られてしまうなどとは夢にも思いませんでした。信心篤いご両親のもとで、お腹にいらしたときからお念仏にご縁のあった奥様は、独特な発声で、なんともいえないゆったりとしたお念仏をしていたことを思い出します。もっと、ご一緒にお念仏を称えることができればよかったと残念に思います。

それからすでに3年以上が経ちました。光明園で学んだ仏教塾の仲間と一緒に、昨年の暮れに浄土宗の加行を満行し、「浄誉蓮洋」という尼僧になりました。最近は、お念仏を怠けていると、何か忘れ物をしたようで心が落ち着かなくなるというサインがでるようになりました。いつか、河波先生が「お念仏は万徳を具えているのですから、パワーがあるのですよ。蓮洋さんも、お仕事や日常の生活の中でお念仏のはたらきがどのように現れてくるか楽しみですね。

」とおっしゃられたことがあります。

自己実現をめざして自我の確立を最優先に教育されてきた時代に、「霊応常住に我心殿に在まして転法輪を垂れ給え」(礼拝儀にある私の好きなフレーズです)と、自我のはたらきを透明にして、阿弥陀様(大ミオヤ)を心にお迎えするということの意味を、自らの体験によって理解できれば、とても嬉しいと思っています。

昨年の3・11(東日本大震災)以降、予測と予防が強調され、何事も起こらないように備え、起こった場合は最小限にその被害をとどめることが重要なことである、という科学技術に大きな期待をかける時代がますます進展しているように思います。とても大切なことだとは思いますが、一方、人生はハプニングだらけであり、個人差はあっても、老い、病み、そして死ぬことは誰にもいつかは訪れる当たり前の出来事です。その時に臨んで、どのような自分でありたいか。それを考えると、礼拝儀の中にある「我らも完徳の鑑たる世尊に傚いて如何なる境遇にも姿色を換えざることを誓い奉」という心のあり方に、私はとても魅力を感じます。

最後になりましたが、光明園の本堂には三昧仏様の掛け軸、その右側に弁栄聖者のお写真、左側には田中木叉上人のお写真が飾られています。弁栄聖者からは、

「真善美の霊国に生れて聖の世継ぎとならんことを。また、一切の衆生と共に安寧を得ることを、至心に欲望す(せよ)」(礼拝儀)

と、そして、木叉上人からは

「ばかも一心 信願で 無能の全力 つくす時 かげに大悲の 力ぞえ できないまゝに できてゆく」(光明歌集5)

と励まされていることを感じます。世の諸事に心奪われる毎日の生活の中で、このように「欲望し」「ベストをつくす」ことは大変難しいことですが、お二人の理想を高くかかげる父なるものとお慈悲の心に満たされた母なるものに見守られながら、お念仏できることを感謝しています。

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