光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.35 あれから三十年 命の不思議(2)

袮次金 文子

不思議な体験

確かに現代医学の力で命を助けて頂きましたが、私の心の中にはそれだけでは納得の出来ないものがありました。うまく説明できませんが、第一Aさんとの出会いがなければ病院に行くことも勿論手術もありません。

全てが私の意志に関係なく、何かに引っ張られて行くような、不思議な感じがしていました。

藤田さだ様の信仰の力

入院当日の出来事です。藤田さだ様が私にリンゴ・ジュースを飲ませたいと言って、りんごをもって飛んできて下さいました。私の家の台所でりんごをすりおろし始めて間もなく、「う・・・」とすごい呻き声を上げて座り込んでしまいました。母も私も驚いて駆け寄りましたがどうすることも出来ません。藤田様は声も出ず、立ち上がることもできずに、うずくまったままです。家族の方に来て頂いて、抱きかかえられるようにして自宅に戻って行かれました。その後の容態を心配致しましたが私はそのまま入院してしてしまいました。退院後、藤田様をお尋ねしましたら、次の様に話して下さいました。

「台所に立って間もなく、お尻から錐の先を体の中に差し込まれたような今まで経験したことのないような激痛が体中に走り、『あっ・・文ちゃんの病気を半分もらったな』と直感した」と話して下さいました。その後も体調が優れず、寝たり起きたりで当分の間治らなかったそうです。

藤田様には親子でお念仏のご縁を結んで頂き、その上私の身代わりにもなって頂き感謝の気持ちで一杯です。

母の手

手術後すぐに集中治療室に入りました。容態が悪くて、水さえも吐き出す始末で治まらず、何をしても駄目、苦しい日々が続きました。看護師さんの「この人、長くかかるかもしれないネ」と言う囁きも聞こえてきました。

3日目くらいだったと思いますが、夜に死ぬとは思いませんでしたが、無性に母に会いたいと思い看護師さんに頼みました。「駄目です。規則を破るわけにはいきません」

私は大きな声で泣きながら訴えました。「3分でもいいから」と。

看護師さんはついに根負けして母を連れてきてくれました。

ベッドの上の私はガリバーのように手も足もみんな機械に繋がれた状態で身動き一つできません。母が黙って私の背中に手を入れてお十念をしてくれました。そしてたった一言「大丈夫だからネ」と言って出て行きました。すると、嘗て味わったことの無い安らぎを感じ、今まで張り詰めていた気持ちは一気に溶けていくようでした。

翌朝、何と奇跡が起きたのです。あれほど水も何もかも受け付けなかった体が水も牛乳も受け入れ、心拍数も落ち着いたのです。

回診の主治医が看護師さんに「この人夕べ何かありましたか?」と尋ね、首をかしげていらっしゃいました。

集中治療室に1ヶ月以上と言われていたのに何と1週間で個室に移されたのです。

30年が過ぎた今でも、母の手の温もりが私の背中に張り付いています。

お陰さま

振り返って見ますと、いろいろな面を考えても本来ならば助からない命だったと思います。今回の事に限らず、私の人生は必ず他人様に助けて頂いています。

お上人様方、法友、同僚の皆様の祈りに支えられてきた命だと思っています。

お念仏の輪を広げましょう

私の人生のゴールが目の前に見えてきました。過去の体験から、遅まきながらお念仏のありがたさを身に沁みています。先輩や母たちのお念仏の後姿を見て歩いてきたように思います。嘗ては静岡光明会の黄金時代を経験して、各お上人様方のご指導を頂いて参りました。婦人部の全盛時代も見せて頂きました。

残された命、微力ながら少しでも恩返ししたいと願っています。若い方にお念仏をお勧めするのは勇気がいります。従来の方法に固執するだけではなく、新しい方法をお互いに出し合って進めていきたいものだと考えています。

特に若い方、そして若いお母さん方にはお念仏のご縁を得て頂きたいと心より願ってやみません。

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