光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.42 「病気の体験記」その二

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内藤 規利子

24時間点滴につながれること15日。どこへ行くにしてもガラガラと点滴の相棒と仲良く一緒。このくらい仏様と離れないでいられるといいのに……。

廊下を歩いていると「お元気そうですがどこか悪いんですか?」と皆さんに聞かれ、「しかじかかくかく」と言うと「そんなにお元気なのに間違っているんじゃないですか?」とよく言われ、「病め友」もできました。

息子は忙しい時期だったのに会社の方々がお母さんが病気だからとカバーして下さるからと帰りによく寄ってくれ、いろいろ話しては大笑いしました。

癌告知 その後もめげず よく笑い

法友が御夫婦で遠方からお見舞いに来て下さいました。その頂いた田中木叉上人のご法話の本を読んでから、仏様に御挨拶して、さて、寝ようかなと思ったら、思わず「最大の贈り物(癌)をありがとうございました。」と言っていて自分でもびっくりし、仏様に守って頂いているのを心から感じました。他にも不思議なことがいろいろありました。

4人部屋で消灯された闇の中、本も読めず、できるのはお念仏、お念仏だけなんです。死を前にしたらお念仏しかないのです。

癌告知 しててよかった お念仏

抗癌剤の副作用のことも説明を受け、2月2日抗癌剤治療開始。主人と娘が付き添ってくれ心強かったです。準備して下さる先生から「遅れます。」との連絡に、いつも楽しい看護師さんの「来なきゃ来ないでいいや。」の冗談におかしくて思い出しては何度も笑い、これは私の人生の道しるべとなりました。

吐き気は全然なく、食事も完食、八回はしたいという治療を通院での六回と合わせてすることができました。

抗癌剤治療が終わり、地下鉄での帰り道、フラフラする。どうしたのかな? 帰宅して夕食を頂いたら元気になって何だ! お腹がすいていたんだ! 次回には治療中に「あんぱん」をパクパク。その日はスイスイ帰れました。

優しさと厳しさを持ち合わせた主治医先生。看護師さんはまるで観音様のよう、後で「ここの看護師さんは皆さんいい方ばかりですが、この病棟は特別いい方ばかりです。」と聞いて、本来ならば他の病棟のはずなのにそんな中に入れていただいた私は果報者だと思いました。4人部屋でいろんな方が出入りして、いい人生勉強の場となりました。

先生は「僕はスパルタですから……」とおっしゃり2月3日には「病棟10周して下さい。」、2日後には「今日から30周して下さい」と。点滴の相棒を道連れにガラガラと回る。ベッドで字を書いて、書きにくいなあと思って先生に言うと、「これからどんどんしびれて書けなくなりますから、毎日ノートに10頁書いて下さい」。10頁かあ。ただ字を書いていてもつまらないから友人にレターを書き、さてと住所録……。そうだ! あの時の年賀状に住所があるわと仕舞い込んだのを出ました。これはあちこちから返信があるので楽しみでした。

病棟30周にノート10ページ書く。病め友と話をしたり、病め友の悩みを聞いて励ましたり。その方は急に元気になって退院されました。テレビも見ないのに忙しくて、半日時計を見ない日もちょくちょく。

足音を 木魚がわりに お念仏

先生に「こんな年になってもまだ生きていたいんですよ。」と言うと「当たり前じゃないですか、生きて下さいよ。煩悩が無くなるまで。……」

いろいろ心配して聞くと「先のことは考えないで、今出来ることをやりましょう。」(これが私にはむずかしい!)「心配なんかしないで楽しみましょうよ。」お釈迦様のことなども言って、いろいろ励まして下さいました。

「副作用も無いし若い人と同じくらい治療が進んでいます」「血液は上々ですよ」。

順調の快復ぶりのようでした。36日間の別荘(病院)暮らし、暑からず、寒からず……。主人は洗濯などしたことの無い人なのに、一日も休まず洗濯をして届けてくれ、他にもいろいろしてくれ助かりました。私は感謝状を書きました。

退院の時、看護師さんに「生きては帰れないと思っていました」と言うと「大変でしたものね」。

やっぱり! いつもの取り越し苦労ではなかったんだと思いました。

嫁が車で迎えに来てくれ帰宅。家に帰っても何か普通、私って何だろうって思いました。ご近所に挨拶に行くと皆さん喜んで下さり、「内藤さんが元気でないと私が困るから、お願いだから元気でいてね」なんてあちこちの方が言って下さり、他にもいろいろあって「生きていて良かったんだ!」って思いました。

私の人生はマイナス思考のため、「失敗人生」だって思っていたけれど、この度、大病をして「失敗人生」では無かったと感じることができました。

大病するのも悪いことばかりでは無く、大病しなければ気が付かないことがいろいろあるのだと思いました。

入院中からずうっと元気で髮がオランウータンの赤ちゃんのようになっているのを見て、病気だと思うけれど、つい病気を忘れてしまいます。髮は抗癌剤がすまないうちに、もう生えてきて、先生も「すごいですね」とおっしゃいました。

息子は「お母さんは『健康おたく』だったから今の元気があるんじゃないの」と。

それは大いにあると思うけれども仏様のお陰。そして私を元気になるようにお祈りして下さった方々のお陰があると思うのです。

娘の嫁ぎ先から千羽鶴を頂き、息子宅からも千羽鶴が届きました。

4月20日には「家事のチョコチョコ歩きも入れて1日1万歩以上歩いてください」とのことで今でも続けています。これからもお念仏を称えながら、歩きたいと思います。

私はなぜか癌と「戦う」とか「憎む」とか「恨む」とかの気持ちになれず、せっかく私を気に入っている癌細胞さんに「死んでね」なんて言うのが悪いような気がして「死んでね、なんて言ってゴメンネ!」と謝っています。

入院している時、上の妹が絵手紙をくれました。それには元気な水仙が描かれていて「今、今が 毎日となり 一年となる」と書かれていて随分と励みになりました。

「治癒は無い」「延命するだけです」との私の病気ですが、今、今を大切にしたいと思いつつ、つい忘れてしまう日々ですが私に残された日がどのくらいあるかわかりませんが頑張りたい思います。

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