光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.43 家族と共に

安宅川 桂子

私が初めて光明会のお別時に参加させて頂いたのは、30数年前、長男がお腹に居た高野山別時でした。和歌山県田辺市の龍泉寺藤堂俊章上人の導師で仏前結婚式を挙げてから半年後のこと、義母に連れられ、住み込みのお針子さん達と一緒の参加でした。

それからは、義父母と知恩院の「法のつどい」には何度も参加させて頂きました。

初めの頃はついて行く形でしたが、義母が老いるにつれ、和順会館からの長い地下廊下・階段を義母を支えて行き来するようになり、次第に私たち夫婦が車で両親を伴って行くという形に変わっていました。

新緑の風が心地よく吹く阿弥陀堂で、山本空外上人、佐々木隆将上人、荻野円戒上人、河波定昌上首等、諸上人方のお話を聴かせて頂くことは、私にとってこの上なく有り難いひとときでした。

平成5年のことだったと思います。春の連休に3人の息子と家族5人で、鳥取・島根を旅しました。確かこのあたり(温泉津)に佐々木上人の極楽寺があるはずと思い、お寺にお参りさせて頂こうとお伺いしました。お参りを済ませ、庫裡の方にふと目を向けますと、ガラス戸の奥にお上人のお姿が見えました。

ご挨拶だけでもとお邪魔しましたところ、お上人がとても喜んで迎えて下さり、子ども達にも忘れられない旅行となりました。

その年の夏、古知谷のお別時に、ご縁を頂いた佐々木上人にお目にかかろうと、家族5人で参加させて頂きました。子ども達にとっては初めてのお別時、正座の足の痛みや睡魔に必死に耐えていました。お別時を終えた時は3男(小学3年)は汗か涙かわからぬものをTシャツの裾でしきりに拭っていたことを覚えています。

その年から毎回古知谷のお別時に子と共に参加させて頂きました。そして再び家族5人が揃った平成8年のお別時。その帰りの車の中は、子ども達の明るい笑いに包まれて勿体ないほどの幸福感に浸りました。

このようなお別時が私達家族の原点になったのではないかと思います。子ども達はその後、学校行事・クラブ活動・入試等を経験することになりましたが、そのどれを取ってみてもお別時よりも楽だったと言います。それは子ども達にとっては辛く苦しかったお別時であったようですが、家族5人が共にお念仏に精進させて頂ける体験は、実に尊い宝であったことを、夫共々深くかみしめています。

それからは子ども3人揃ってということはなく、2人だけ、あるいは1人だけ私達と一緒に「法のつどい」等に参加させて頂くこととなりました。その折りに、お上人方にお声をかけて頂き、周りの方々に優しくして頂いたりすることが励みになっているようです。最近は3人とも社会人となり、お別時に参加させて頂くことも難しくなりました。今年の「法のつどい」に私達はどうしても都合がつかず、3男が1人参加させて頂きました。

両親から戴いたお念仏のご縁を、子ども達へとつなげていけることは本当に幸福なことだと思っております。この先も、家族一人一人精進して参ります。私事の仕合わせを綴り誠に恥ずかしい文となりました。

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