光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.45 法友との別れ

祢次金 文子

突然の旅立ち

昔から「遅れ先立つ世のならい」と言われていますが、この10月26日に訃報が届きました。山内ふじ子様がお浄土に旅立たれたとの知らせです。

長い間、服飾デザイナーとして活躍され、明るく華やかな彼女の死は会員の誰もがただ驚くばかりでした。3年前、「ひかり」誌に母と娘の情愛に溢れた記事を書いて下さいましたが、2度と書いて頂くことが出来なくなりました。残念です。

その同じ年だったと思いますが、光明学園での親子別時にご一緒した時のことです。参加する前に検査を受けて来たので結果が少し心配だと言っていました。私と細谷様が「そんなに元気だから大丈夫よ。」と言いましたら、本人も「そうね。」と明るく笑っていました。その後、彼女から病名を聞いた時には誤診ではないのかと耳を疑いました。

手術をして病床にあっても明るく振る舞って病気に負けていませんでした。でもやっぱり病気には勝てませんでした。

彼女との出会い

山内ふじ子様は故藤田さだ様のご長女で私とは60余年のお付き合いです。以前「ひかり」誌でご紹介しましたように、静岡光明会青年部のメンバーで、昭和29年の京都、古知谷別時に参加した仲間の一人です。

ふじ子様は何事も几帳面で丁寧な性格でしたが、私は粗雑で思いつきで行動する、全く違った色合いだったと思います。楽しいこと、悲しいことなど山のようにありましたが今は懐かしい思い出だけとなりました。

たった一度の大きな仕事

昭和49年に、会社の社員大会でショーをやる事になり、そのモデルの衣装を彼女に依頼したのです。2人で試行錯誤して約1ヶ月、それはそれは大変でした。

作品はギリシャ神話の女神をイメージしたものでした。会場は帝国ホテルの大宴会場で、すごく緊張したことを憶えています。

大会も無事に終わり、ほっと一息ついていましたら、社員が私達のところに来て、会社のトップが大満足して下さり、2人にご褒美として帝国ホテルのスイートルームを用意しましたから、そちらを使用して下さいとのことでした。

何がスイートルームなのか、わけもわからないまま、疲れた足を引きずりながら、部屋に着きました。すると、あまりにも素敵な部屋で、2人で歓声をあげてしまいました。

そして、「私たち2度とこのような部屋に泊まることは無いわね」と言って、今迄の疲れはどこへやら、目を輝かせて部屋の中を飛び回りました。どのように使ってやろうかと相談しました。ふじ子様はベッドの上に上がり、「文ちゃん聞かせてあげる。」と言って十八番の島崎藤村の詩、「まだあげそめし前髪の……」を朗々と歌いました。私は「ふじ子ちゃんに聞かせてあげる」と言って、『大経』の一節「汝等一心に我が名を呼びて直ちに来たれ……」を読み上げました。そして寝ることも忘れて語り合いました。

翌日、新幹線の中では2人とも死んでいるかのように、疲れ果てていました。今になってもまるで昨日のことのようにその場面が浮かんできます。これが彼女との唯一の仕事でした。

残された者の使命

昨年から今年にかけて静岡光明会では山田はな様、大谷きよ様、伊東ゆき様、そして山内ふじ子様と4人もの方がお浄土に旅立たれてしまいました。

金田理事長が「婦人部結成」と声を張り上げておられるのに、この現状です。

でも新たに桑原登世子様、黑田ふみ子様の2名が加わって下さり、毎回の例会や、「法のつどい」にも参加して下さり、逆に私を励ましてくれます。暗いことばかりでなく、新しい芽も出てきています。弁栄聖者百回忌に向けて、何ができるのか、何をすべきか、今一度考えて、残された者が協力し合って前に進んで行きたいと強く思います。

お浄土にお帰りになった皆様からもご指導とお力添えを頂きたいと願わずにおれません。ご冥福を心より念じています。

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