光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.47 ふたたび「宝の山」を訪ねて

植西 武子

この日(平成25年12月5日)は真っ青な空に、取り残された紅葉がきれいに映える小春日和でした。空高く一羽のとんびが大きな円を描いていました。

関東支部の「女性の会」の4名(田代悦子様、佐藤蓮洋尼、森井明攝尼、植西)は新幹線で一路名古屋に向かいました。目指すところ、それは昨年初めて訪問した愛知県碧南市の法城寺(「ひかり」誌25年2月号で紹介)でした。

昨年、期せずして訪問の機会を得て、素晴らしい出会いに感激し、この喜びをみんなで共有したいと、直後の「女性の会」で翌年の訪問を計画していました。

法城寺様の公開展示への訪問者

法城寺様は聖者のご命日である12月4日のみの公開展示を原則とされております。

しかし、この日は練馬の光明園でも毎年祥当別時会が実施されており、あいにく重なり、関東支部(女性の会)はご無理をお願いして5日の訪問となりました。 勿論、昨年ご一緒して非常に感激された静岡光明会の袮次金文子さんも友田達弘上人を筆頭に総勢5名で4日に参加されました。また、名古屋から内藤忠雄、規利子ご夫妻も参加されました。この日は檀家の方も参加されており、法要もあったそうです。ご一緒出来なかったのはとても残念でした。 勿論、昨年ご縁を結んで下さった村松年秋、粽ご夫妻は二日間係わって、お世話下さいました。ご親切に深く頭を垂れました。 なお、近畿(大阪)から坂口公恵さんが私達のグループに現地集合の形で参加下さいました。京都の佐野成昭師も法友の方と早朝から終日、ご遺墨の写真撮影に励んでおられました。 その間に、私達の為にお念仏の導師をもして下さいました。

お宝に囲まれて

聖者のご遺墨は昨年よりさらに増えていました。本堂の両サイドには収まらず、廊下から別室(2室)へと続いていました。こんなにたくさんの遺墨があるのは、さすが聖者(が開山され、深き思いが込められている)お寺だからと思いました。 中でも、最もインパクトのあるご遺墨は大きさ、色彩、いや全体から感じる迫力に満ちた二十五菩薩の来迎図です。これだけをお目当てに毎年こられる方もおられるそうです。 この作品は門外不出となっており、一度も外部で展示されたことがないそうです。平成22年の長良川画廊での展示会に、あの大作が無かったことが納得できました。

今なおも眠れるお宝

展示の拝観を終えて、別室でお茶を頂きながら斉藤乘願上人から、いろいろお話を伺いました。斉藤上人は熱心に弁栄聖者と法城寺について熱く語って下さいました。

その後、みんなの質問に詳しく答えて下さいました。まず、お部屋に入ると直ぐ目に入った書類について尋ねました。それは長机の端に置かれているB4版の大きさで10数センチの高さに積まれたものでした。入室直後から佐藤蓮洋尼もしきりとその書類に関心を示されていました。それは一昨年訪問した時にも見せて頂いた弁栄上人の日常の走り書きや信者に与えようとされたであろう書類でした。法城寺のある場所で雑然と置かれていたのを斉藤上人が偶然に見つけられたものでした。

目を通すと聖者独特の達筆で判読に時間を要する部分もあり、内容的にもかなりの知識がいるものでした。斉藤上人はこれを整理して世に出すことが自分に与えられた使命と直感されたようでした。まさに、斉藤上人の重大なライフワークと思いました。その中には百回忌を前にして、聖者からのメッセージが埋もれているように思われました。

故人の陰徳に触れて

ただ驚いたのは一昨年は雑然と積まれた状態であったのが、一枚一枚画用紙のような紙に貼られ、整然と整えられていました。「大変根気のいる作業で大変でしたね。」と云いましたら、「これは江島秀法上人がして下さいました。」とのこと。

それを聞いて心が「ずきり」と揺さぶられました。控えめで実直に光明会を支えてこられ、早世された江島秀法上人の在りし日のお姿を想い、その陰徳を称え、心の中で合掌しました。自己の功績のみを主張したがる最近の風潮に、うんざりしていた時だけに、心が癒やされる思いでした。

本当の「宝」とは?

法城寺は地元の素封家、石川市郎が尼僧育成の道場として創設され、弁栄聖者に開山を依頼されたものでした。聖者は後に病気療養のため、ここに長期に亘って逗留されました。その間に布教のため幾多の書画を残されました。それらは今も法城寺に保管され、現在の我々に、深いみ教えを伝えてくれます。大切な宝には違い有りません。

しかし、ここ法城寺に来て感じる雰囲気には、それに勝るものがあります。本堂、ご本尊様、庫裡の建物、庭に生える一切の草木に至るまでが独特の雰囲気を醸し出しています。更に斉藤上人が法城寺の住職になられた経緯を伺って、聖者との深い縁を感じざるを得ませんでした。この複雑に絡み合ったご縁の糸こそ、目に見えない存在、私流に云うならば、四次元的存在の宝が本当の宝だと思いました。

今回の訪問の真の目的は?

関東支部の女子会が訪問した目的は勿論、聖者のすばらしいご遺墨に是非触れて欲しいと云うことでした。

さらにもう一つ、それは法城寺が尼僧育成のための寺であったことでした。当時はお茶、お花、裁縫等が教えられ、女子の教育の重要な場でもあったからです。その活発な雰囲気が今日の我々に伝わり、蘇るとこを願いました。

更に云うならば、日本のマザー・テレサと云われた颯田本真尼(1845~1928)について詳しく知り、その薫風を受けたいと思ったからです。

颯田本真尼に魅せられて

その時、斉藤上人より光明園に寄贈下さった『颯田本真尼の生涯』(藤吉慈海著)によると、ほぼ同時代を過ごされた弁栄聖者(1859~1920)との生い立ちや、生き様の共通点に驚くばかりです。法施と財施にその生涯を捧げられた立派な女性の存在に大きな衝撃と深い感銘を受けました。後日、何らかの形で詳しく紹介したいと思いました。

〈追記〉

当日温かくご接待下さったご母堂様に深く感謝致します。

なお、斉藤上人に頂いた賀状によりますと、昨年3月27日(石川市郎氏の命日)に先代庵主の養子となり石川乗願と改名されたそうです。

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