光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.55 ずっこけ骨折体験記

内藤 規利子

2月の終わり頃、娘が習い始めた『クレイクラフト』の生徒の作品発表会があるという。「お母さんが見てこういうのがいいと言えばそれを作ってあげるから見に行かない?」と誘われ楽しみにしていました。「駐車場の都合があるから先に行ってね」と言われたけれどいろいろあってギリギリの時間になってしまって急いで鍵を掛けて、くるりと表に向いたところで吹っ飛んで右肩から着地。「イタタタタ・・・」。主人が起こしてくれようとしたけれど起き上がれない。リュックを外してもらってようやく起き上がる。右肩から落ちたのに肩は痛くなく左脚が痛い!! かくなる上は仕方がない。家に逆戻りして湿布をぺたぺた貼って自転車で地下鉄の駅へ足を引きずりながらのろのろと目的地へ。

作品は素晴らしくて「え~これが同じ人間が指先ひとつで作ったものなの?」と感心することしきり。「あれがいい、この色が好き!!」と楽しんで娘の車で家へ。

それから1週間、誰に聞いてもヒビや折れていたら我慢できるなんてものではないと言うし自分でも筋でも伸びたかな? と思って様子を見ることにしました。でも、もし折れていたら……。骨折の体験をしてみるのもいいかな……(でも内心は痩せ我慢だったかな)。光明会の例会も30日になったし手術を済ませてから行けば間に合うという仏様の思し召しかなぁ……。足は引きずっていたものの家事も最低限はすることができました。

1週間経っても治る気配がないので近所の外科へ行くと「折れてはいないと思います」と1週間分の鎮痛剤をいただき飲んでも効きめ無し、変だなぁと次の日外科へ行くと「『MRI』を撮ると確実に分かるから」とのことで紹介状をもらって大きな病院へ。車イスを押してあっちに行きこっちに行きしてMRIを撮って部屋を出ると「骨折していますから歩かないで下さい」と即刻御用!!になってしまい自分の押していた車イスに座らされて診察室へ。『左大腿骨頸部骨折』。「ややこしい所が折れています。手術をしないとそのうち必ずボキッといってしまいます」ということで覚悟をしました。

それにしても骨折とは……そう骨量も悪くないはずなのに……なんたるこっちゃ。「骨折していても私みたいに歩いている人なんているんですか?」と伺うと「たまにいますよ」と。「個室しか空いていませんから」と個室へ。1日1万円かぁ……。個室で4日間絶対安静。尿は管でつながれ袋へ。おむつをされて……。ボケたらおむつをされるけれど一足先におむつかぁ~。これもいい?体験かな……。それでも「右だけは向いてもいいですよ」とのことで助かりました。ベッドのスイッチで少し起き上がれ食事はいただける(ピクニック食だけれど)でも痛いからすぐ寝てしまいます。主人がテレビのカードを買ってくれたけれど手が届かない。

ある日頼みのナースコールがナゼか手の届かない所へ。「用足し」がしたいのに呼べど叫べど誰も来てくれないこれには本当に参りましたが何とか事なきを得ました。動けない者にとってはナースコール様々です。そんな中で寝たままシャワーをしていただけてよかったです。そこで私が体を動かすと看護師さんに「何かスポーツでもしていましたか?」と聞かれて「全然していません」と答えましたが「私達が楽です」と言っていただきました。大変な中にも割に気楽に耐えられたのは入院するまでテレビドラマ「僕のいた時間」というALS(筋肉が衰えていく病気)の患者さんを見ていたからだと思います。以前入院していた時は忙しかったけれど今度は何にもできない。でも私にはお念仏がある。夜中に眠れなくたって徹夜念仏すると思えば……なんて思っていたけれどあに図らんやお念仏しいているとじきにグーグーグー。特に手術前日はいろいろ考えて眠れないのではと思っていたのにぐっすり眠ってしまったのは意外でした。

私は手術がとても怖い。麻酔が戻らず逝ってしまうことがあると聞いているので。麻酔のことをしゃべっているとお見舞に来てくれていた嫁が「こっちで待っている人がいるということだけは忘れないで下さい」と言ってくれて嬉しく思いました。「腕もいいですよ」という先生に手術していただくことになりました。3月10日3時の予定が急に1時になりあれよあれよという間に手術室へ。脳波計を付けられたのは知っていたけれど何だかんだとおしゃべりしているうちに麻酔のかかることも分からず「内藤さん終わりましたよ。成功しましたよ」との先生の声が……。あぁ生きている。「ありがとうございました」と手術室を後にしました。

ボーッとしていてうまくしゃべれない。痛くないはずの右脚まで痛い! これで治るんだろうか? これでは活きているとはいえないと不安でした。酸素マスク、機器につながれ一晩がたちました明朝調子が良かったら車イスに座らせてもらえるとのことでしたが自分でゴソゴソ動いてベッドに腰掛けると看護師さんが「車イスいらないみたいだね」と歩行器を持って来て下さって「基礎体力のある人は違うね」と言って手をたたいて喜んで下さり一番にトイレに連れて行って下さいました。こんなに嬉しいことはないと思いました。トイレに自分で行けることは当たり前のことではなくありがたいことだったのです。

先生の回診があって「治ると思った人は治る、治らないと思った人は治らない」と気持ちが大切とのお話をいろいろして下さいました。歩行器だとどこへでもスイスイと行かれてとても嬉しいです。11日から病棟のリハビリの先生に杖で歩くことを教えていただく。赤ちゃんの頃したであろう「アンヨは上手……」を又ここでするとは思いませんでした。「南無阿弥陀仏」と称えながら一生懸命歩きました。痛いけれど杖があると歩けるんです。2日目には階段の上り下りも。3日目には6階でお世話になった看護師さんにエレベーター内で会って「内藤さんですよね、もうそんなに歩けるんですか」と感心されました。他の看護師さん方にもよくほめていただき嬉しかったです。

リハビリ室へは3日目から行ってナントそこで認知症の簡単な検査をされることになり「それいやなんですよ、苦手なんですよ」と言いながら初めての認知症の検査を体験。合格点をいただきました。やれやれ。体重を軽くして歩く機械はゴーゴーと音がするので小声で「念仏七覚支」をうたいながら歩いていたら後で他の先生に「歌うたっていましたね」と言われ「しまった! バレていました?」と言って笑い合いました。

先生には始めから「いいですね」と言っていただいていましたが5日目には「素晴らしいです」とほめていただき嬉しかったです。

4日目にはピクニック食から普通食になってピクニックのおにぎりの方がよかったなぁと思いもしましたが、でも器が陶器になったからいいかぁ……それに食器は温められていて持つとアチチと思うほど。時たまにですがコメントを書いて名札に付けておきましたら係の方が「若い人達の励みになります」とお礼にいらっしゃってかえって恐縮してしまいました。がなんかコミュニケーションがとれているようで楽しく思いました。

前のベッドの方が留守宅のことでパニックになっているのを自分の経験から励ますと安心されて元気になって嬉しかったです。4人部屋になってからは皆さんと仲良くなってちょっとした「シェアハウス」のようでとても楽しかったです。私が患者さん達と話してみて普段からよく動いている人は回復が早いことを発見しました。そしてよく笑う人も。

私は前の病気の時、主治医先生に「家事のちょこちょこ歩きも入れて1日1万歩以上歩くように」と言われ何が何でも万歩計に1万の数字を見るまでは寝るまいと決めて4年間頑張って歩いているのと1日10分のテレビ体操をやっていたこと普段の生活が畳だったことがよかったみたいです。外科は日々薬というけれどこの脚はそうではなく良くなったり戻ったりを繰り返しながら治ってきているようです。

看護師さんはとても優しいいい方ばかり。私達患者がどのくらい「ありがとうございます」と言われてしまったことやらわかりません。2週間で退院許可が出た時「お世話になりました。ありがとうございました」と言うと「こちらこそありがとうございました」。とおっしゃったのでびっくりしました。

4月から消費税が上がり「診療報酬が変わります」と書かれていて一足お先に清算もできラッキー!!

リハビリで通院することを覚悟していたのに通わずにすみ、30日の例会にも間に合ってよかったです。4月14日には「1日1万歩以上歩くこと」を再開でき、5月18日からは許可ももらって自転車にもスーイスイと乗れて便利になりました。

手術後半年程たったある日、あと3百歩で2万歩になり後3百歩歩けばよかった!! と思い脚がよくなっているのをしみじみ感じました。仏様に守っていただき、皆様方にも早く回復するようにお祈りしていただいたお陰だと思います。感謝感謝です。

『筋肉を丈夫にしておくことは骨折などで寝たきりになるのを防ぐばかりでなく病気に対してとてもいいという。筋肉が衰えていくといろんな病気になる。ある程度の筋肉量が無いと人は生きることができないという筋肉を増やすと病気の予防になり治りやすくなる、筋肉は命の財産だという』。

筋肉を付けるといっても走ったり特別のことをしなくても年相応に筋肉の付くやり方をテレビの健康関係の番組で教えてくれているので皆さん方にも筋トレをおすすめしたいと思っています。私もこれからもお念仏を称えながら歩き、自分に合った運動法で筋肉を少しでも付けようと思っています。そしてお念仏の道を歩いていきたいと思っています。

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